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2020/01/03

万葉集・千一夜・目が点

月刊誌「図書」2019年12月号に面白い記事が載っているので、いくつか紹介したい。

「万葉集」
万葉集は明治時代に国民的歌集としての文学的位置を確立したことは夙に知られている。例えば俳人正岡子規は
「紀貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」
と古今集をこきおろし、万葉集を賛美してる。
随分と乱暴な評価をくだしたものだ。
こうした子規の主張には裏があって、明治政府は新時代の天皇親政のモデルを、日本の過去の政治形態に求めた。ところが平安時代は摂関政治の藤原氏が、鎌倉時代以降は武家の幕府が政治を担ってきた。天皇親政は聖武天皇の奈良時代まで遡らねばならなかった。
子規はそれと足並みを揃えるように平安時代の古今和歌集をけなし、奈良時代の万葉集を褒めたたえた。
子規にとっては、それが文学の世界で新国家建設の役に立つ「有為の人」となることだった。
以上は、俳人の長谷川櫂の見解だ。
こうして見ていくと、昭和の軍国主義時代に万葉集が利用されたのもうなずける。

「千一夜物語」
アラビアン・ナイトの別名で知られる千一夜物語は、妻の不貞から女性を憎悪するようになった王シャフリヤールが新しい妻を娶っては翌日処刑するという理不尽な行為を繰り返していた。こうした女性たちを救うべく立ち上がったのが賢女シェヘラザードだった。彼女は毎夜、王に面白い話を聞かせ、それを常に「惜しい切れ場」で終わらせる。王は続きが聞きたくて彼女を生かしているうちに王が改心するというもの。
これだけ有名な物語であるにも拘わらず、今から12世紀前に作られたという千一夜物語の原典は誰も見たことがなく、写本でさえ今では散り散りになってしまい、翻訳書のみが残されているという。
なかでも有名なのが「ガラン版 千一夜物語」で、フランス人のアントワーヌ・ガランによって18世紀初頭にイスラム社会から持ち帰ったものを編纂、翻訳した最初の翻訳本だ。
ところが作家の深緑野分によると、定番ともいえる「アラジンと魔法のランプ」「アリババと四十人の盗賊」「シンドバード航海記」のいずれもが原典には収録されておらず、ガランが出版する際に他の物語と一緒に混ぜて出版したものだという。
これはビックリ。
アリババモもアラジンもシンドバードも登場しないアラビアン・ナイトなんて、あまり面白くなさそうだけど。

「目が点」
目が点、という言い方はかなり一般的になっていて、最新の「広辞苑」にも載ったそうだ。「誰が最初に言い出したのか?」という問いに対して、編纂者によれば「1970年代の終わり頃に、歌手のさだまさしの周辺で使われていた」との見解だったという。
そこで、当のさだまさしが経緯を書いている。
言い出しっぺは、当時さだのコンサートのギタリストだった福田幾太郎だったという。漫画家のどおくまん作の「嗚呼‼花の応援団」の主人公、青田赤道が言葉を失って絶句する時に、目が小さな点で描かれるを面白がり、「目が点々になっている」と表したのが、仲間内の流行語になった。これをコンサートの楽屋で聞いた笑福亭鶴瓶が面白がって、彼から芸人の間に拡り、1980年代には世間でも流行語になったという。
こうした新語が、最初に誰が言い出しどのように広まったのかが明白になるというのは珍しい事だと思う。
先のアラビアン・ナイトのエピソードには、私も「目が点」。

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コメント

長谷川櫂によると、短歌、俳句は禅問答になっているとか。
問 かはづ飛び込む水の音
答 古池や
のように。斬新な説を展開する方ですね。
ところで、その本は買ったの?いいえ、買わず。図書館で借りました。

福さん
とんだ所で『金明竹』ですね。長谷川櫂の記事は、この後『坂の上の雲』の司馬史観への批判に向かっています。

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