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2020/02/28

「ニセ情報」先ず自分の頭で考えてみよう

トイレットペーパーやティシュペーパーが店先から消えているというニュースをみて、たまたま近所のドラッグストアの前を通りかかったら、本当に店頭の売り場がカラになっていて驚いた。
何でも新型インフルエンザの影響で中国からペーパー製品が入ってこなくなるとか、マスクの量産の影響で原料のパルプが不足しているとか、そんなデマが元になっているらしい。
だから今のうち、買いだめしておこうという人がいるらしい。
でも、ちょっと考えてみようよ。
トイレットペーパーやティシュペーパーはほとんどが国産だ。
また、マスクの大半は不織布で作られており、その原料はポリエステルなどのポリマーだから、パルプが足りなくなるなんて事は起き得ないのだ。
ちょっと考えればニセ情報だと直ぐに分かる。

数日前には知人から、「新型コロナウイルスは26度だか27度だかで死滅する」というメールが、「拡散してください」という注釈付きで回ってきた。
「バッカじゃなかろか!」と、その知人に返信した。
もしそんな温度で死滅してくれるなら、人体には無害だということになる。
ちょっと考えればデマだと直ぐに分かることだ。

いま、国民の間で不安が拡がっているのをいいことに、様々なニセ情報やデマが流されている。単に面白がって流している場合もあれば、意図的に流されている場合もある。
政府から流される怪しい情報だってあるから、要注意だ。
こういう時こそ先ず自分の頭で考えて真偽を確かめる、そうした冷静な態度が求められる。

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2020/02/27

「春風亭一之輔 独演会」(2020/2/26)

みなと毎月落語会「春風亭一之輔 独演会」
日時:2020年2月26日(水)19時
会場:赤坂区民センター ホール
<  番組  >
前座・春風亭与いち『紙入れ』
春風亭一之輔『のめる(二人癖)』
春風亭一之輔『雛鍔』
~仲入り~
春風亭一之輔『柳田格之進』

国立演芸場の各主催公演が次の様に中止となった。
3月上席公演 3月1日(日)~3月10日(火)
3月花形演芸会 3月7日(土)
3月中席公演 3月11日(水)~3月15日(日)
さすが国立、政府の方針に敏速に反応したね。
今のとこ他の定席には動きはない様だが、落語会の中には中止を決めている所も出ている。季節は春を迎えるが芸能人にとっては冬の時期に入ることになる。
この会も完売だった様だがいくつか空席があったのは新型コロナウイルスの影響か。

「春風亭一之輔 独演会」、先ず評価したいのは前座を除けば演者は一之輔一人だけ、これが本来の独演会の姿だ。3席演じてくれたのも嬉しい。
ただ、みなと毎月落語会はこの会場のキャパでありながら囃子はテープだし、プログラムも無し。「立川企画」はしみったれだね。

一之輔『のめる(二人癖)』
何とか相手の口癖「つまらない」を言わせようと隠居が最初に知恵を授けたのとが、大根100本をぬか漬けするのに醤油樽に詰まるか?だった。これが失敗すると隠居が次に詰め将棋のアイディアを出してくるが、「こっちを先に言ってくれよ」とツッコム所が一之輔らしい。
処で、「都詰め」って皆さんご存知なんだろうか。将棋をした事があれば知っているだろうが、将棋盤の中心で王を詰めるという難題だ。角と金銀に歩が3枚では到底「つまらない」。
将棋の駆け引きから最後のサゲまで一気呵成の高座だった。

一之輔『雛鍔』
子どもを上手く演じる人は例外なく噺も上手い。志ん朝が典型だった。
一之輔も子どもを描くのが巧みで、このネタでも子どもの貴賤の演じ分けが良く出来ていた。

一之輔『柳田格之進』
一之輔が1席目のマクラで、今日ここに来られなかった方にも届くように演じると言って、ちょっと照れ笑いをかべていたが、そうした気迫が場内に伝わるような高座だった。
このネタの勘所は、柳田格之進と万屋源兵衛の品格が出せるかどうかだ。同じ品格と言っても片方は武士であり、片方は商人だから自ずから人物像は違っていなくてはならない。
番頭の徳兵衛に50両を盗んだとの疑いを掛けられた時の格之進の屈辱や無念さをグッと呑み込む姿が良かった。翌日、格之進が娘に手紙を渡し縁者に届けるように言う時に、平然を装いながら覚悟を決めていた格之進の表情もいい。だから娘が「お腹を召すおつもりでしょう」と見抜くのだ。
50両が出てきて疑いが晴れた格之進が店に乗り込む際の、儀礼は尽くしながら主人と番頭を手討ちにするという揺るぎない決心も表現されていた。しかし、主人と番頭が互いに相手をかばい合う姿を見て将棋盤を切り裂く格之進。
一之輔の高座では、娘は既に格之進が身請けし、婚礼を控えて静かに過ごしているという設定にしていた。その婚礼の費用を万屋源兵衛が出すことに決まり、「また格之進様とは碁会所で一番お相手致しましょう」で終演したのも後味が良い。
堂々たる一之輔の高座、結構でした。

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2020/02/23

「花形演芸会」(2020/2/22)

第489回「花形演芸会」
日時:2020年2月22日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・林家彦星『やかん(序)』
三遊亭美るく『半分垢』
入船亭小辰『いかけや』
まんじゅう大帝国『漫才』
鈴々舎馬るこ『八幡様とシロ』                                          
   ―仲入り―
柳亭左龍『名刀捨丸』
坂本頼光『活動写真弁士』  
桂雀太『八五郎坊主』

いよいよ上方落語協会が東京で定期的な落語会を開くが、近ごろ上方の若手の充実ぶりは目を瞠るものがある。パッと思いつくだけでも、たま、吉坊、佐ん吉、鉄瓶、福丸、そしてこの日のトリ雀太と、他にも知らない人が大勢いるかも。まさに綺羅星のごとくだ。
それぞれ噺が上手いが、加えて芸人として魅力がある。そこが大事なのだ。

美るく『半分垢』
初見。喋りのリズムがいい。

小辰『いかけや』
この人、いい感じで突き抜けてきた。いずれ師匠を超えるだろう。

まんじゅう大帝国『漫才』
初見。出だしは固さが見られてが、途中からエンジンが掛かってきた。落語家出身らしく落語ネタを採り入れてのトーク、「また夢になるといけない」のサゲも気が利いている。

馬るこ『八幡様とシロ』
タイトルの通り『元犬』の改作。神様が出てきて白犬を人間にしてやるが、元が犬だと知れたら取り消すという条件を付けられるというストーリー。力技で受けていた。

左龍『名刀捨丸』
木曽の山奥、美濃村の百姓の倅で治太郎、治三郎という兄弟がいる。兄の治太郎は子供の頃から手癖が悪く勘当になって村を出ていく。一方、弟の治三郎は親孝行で、江戸・日本橋の佐野屋という店に奉公に出る。懸命に働き20両という金が出来、治三郎は親を喜ばそうと美濃村に帰るが、途中で道に迷い盗賊に身ぐるみ剥がれてしまう。せめて獣除けにと錆だらけの刀を受け取り、再び江戸の佐野屋に戻る。佐野屋の主人がこの錆びた刀を見て名刀と気付き研ぎに出して整えると、武士が50両で買い上げてくれた。治三郎はその金を持ってまた盗賊の家を訪ねると病に伏せって女房の看病を受けていた。盗賊に半分の25両を渡し真人間になるよう説諭するうちに、正体が分かれた兄の治太郎だと分かる。一緒に美濃村に帰ろうと説得するが、治太郎は今までの罪を恥じ自害してしまう。治三郎は治太郎の女房と共に故郷の美濃村に帰り親に孝行を尽くした。女房は夫と彼の手にかかった人々の菩提を弔ったという。 
講談の演目を落語に仕立てたと思われるが、治三郎を滑稽化することにより落語の世界に移し換えた。
進境著しい左龍の実力を示した一席。

頼光『活動写真弁士』
映画の影響で活弁が世間から認知されるようになったとか。
『豪勇ロイド』(1922年制作)の活弁で、バスター・キートンと並ぶ喜劇王ハロルド・ロイドを初めて観ることができた。

雀太『八五郎坊主』
桂雀太、2002年5月に桂雀三郎に入門。
主な受賞歴
2016年、NHK新人落語大賞
2019年、上方落語若手噺家グランプリ優勝
2019年、文化庁芸術祭賞新人賞
坊主になった八五郎、「法春(ほうしゅん)」という名前を貰う。「麻疹(はしか)も軽けりゃ、疱瘡(ほうそう)も軽い」という言葉に掛けて「はしかも軽けりゃ、ほうしゅんも軽い」と洒落をいってご満悦だが、すぐに名前を忘れるので紙に書いてもらう。
坊主になった姿を仲間に見せに行くといい、衣姿に着替え、言葉使いに気をつけるようにいわれ寺を出る。
友達に会って名前を訊かれるが思い出せないので、名前を書いてもらった紙を見せると、友達は「ほうばる」、春は春日神社の「かす」だから「ほかす」、法は御法(みのり)で「のり」とも読むから「のりかす」かと友達、皆違ってる。
やっと「ほうしゅん」かと友達が言うと、八五郎 「ほうしゅん、ほうしゅん、はしかも軽けりゃ、ほうしゅんも軽い」
友達「分かったか」
八五郎「わしの名前は、はしかだ」でサゲ。
上方のネタの中でも最も分けの分からぬネタと言える。
そこを雀太は全体のリズム感と、間に挟むクスグリで面白く聴かせていた。

この日の客、前座からとりまで全て「待ってました!」と掛け声を掛けるのがいたが、無粋だね。

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2020/02/21

「紀伊国屋文左衛門」の虚像と実像

竹内誠「元禄人間模様 変動の時代を生きる」
の続きで、今回は「紀伊国屋文左衛門」の人物像をとりあげてみたい。
落語が好きな方ならこの名をきいて直ぐに思い出すのは「かっぽれ」の文句だろう。
♪沖の暗いのに 白帆が見える 
あれは紀の国 みかん船♪
若年のとき暴風雨をついて紀州(和歌山県)からミカン船を江戸へ回漕し巨利を得た、というこの有名なエピソードは後述するようにフィクションだった。
実在の人物ではあったが、生年は不明で、没年は菩提寺の墓碑銘では享保3年(1718年)、過去帳には享保19年とあり確定できていない。現在では享保19年(1734年)説が有力のようだ。
出身が紀州かどうかも分かっていない。紀伊国屋は屋号であって必ずしも出身地を示すものではないからだ。

【北八丁堀三丁目紀伊国屋文左衛門といふは御材木御用達、金子沢山にて威を振ひしなり。第一、悪所にて金遣ひの名人、上方にも今西鶴がありと讃た古本あり。江戸揚屋和泉屋にて小粒の豆まきをしたり。是は慥に今吉原の年寄の覚えたり。銭座に掛りて紀伊国屋銭とて未に有り。此銭より、始めて銅計りにてちひさくなりて悪しくなり始なり。しかし江の嶋にて石垣建立して名を残しぬ。後には段々悪く成て、法体して深川八幡宮一ノ宮居前に住み、七、八年以前まで長命なり。】
上記は、寛延頃(1750年頃)に書かれた『江戸真砂六十帖』の紀文に関する記述である。
ここで紀文は幕府の御用材木商であり、大金持ちであり、遊里吉原の豪遊の名人であり、銭貨の鋳造を請け負ったがこれが衰運の契機となったこと、晩年は微禄して深川八幡宮の一の鳥居付近に隠棲したこと、長命で7、8年前(享保末~原文年中)に没した事が書かれている。著者が紀文とほぼ同時代の人物であることから、記述はかなり信用できるとこの著者は書いている。

紀文が紀州と関係があるとしたのは山東京伝で、文化元年(1804年)に書かれた『近世奇跡考』で紀文の伝記を考証し、紀文の父親が紀州熊野の出身としている。しかし明確な根拠を示しておらず信用に欠ける。

有名なミカン出世話は、幕末期に出版された二世為永春水の『黄金水大尽盃』という小説が発生源で、暴風雨をついて必死のミカン船出帆のくだりもその中の一節に書かれている。
処が、明治以降にこのモデル小説が紀文の一代記として、歌舞伎、講談、浪曲などにとり上げられ、紀文の虚像が一人歩きすることになった。

江戸で材木商を開業した紀文が豪商と呼ばれるきっかけとなったのは、上野寛永寺根本中堂の造営用材の調達請負いであったとされる。この際、紀文は50万両の富を手に入れたと世に伝えられている。この後の10年間が紀文の最盛期だった。
当時の木材は大井川上流の山々で伐採したものを使用していたが、紀文は駿府の豪商松木新左衛門と手を組んで大儲けした。その松木についての情報を集めた『始末聞書』にはこうある。
【元禄の末から宝永の始めのころから、江戸城御修造の御材木を、江戸の紀伊国屋文左衛門という者と松木新左衛門との両人に仰せ付けられ、御材木滞りなく江戸に着船し、御用相済みて大金を儲けしよし】
こうして紀文は当時の大型公共工事を一手に扱うことにより財をなした。

勿論、こうした事が可能だったのは幕閣のトップとのつながりが大事で、とりわけ武蔵忍(おし)藩主で老中阿部正秋に取り入っていたことが大きい。
忍藩の記録によれば、紀文が忍藩中を訪れた際には、不自由な思いをさせぬよう受け入れ体制を整えよと、阿部正秋が江戸の藩邸からわざわざ国元へ書状を出しているほどの密着ぶりだ。
阿部は度々幕府の土木建設事業を統括しており、これらを通して紀文との癒着を強めたものと思われる。
紀文の豪遊もその頃がピークだったようだが、吉原を貸切る(大門を閉める)などの行為は自らの金持ちぶりを天下に知らしめるためのパフォーマンスだったようだ。今でいう広告宣伝費だったわけだ。
そうした行為が、綱吉の苛政に苦しんでいた江戸町人に喝采を浴びることになったのだろう。

しかし綱吉の時代が終わって新井白石らが台頭してくると緊縮財政政策の影響で材木商は衰退する。紀文の場合は貨幣の鋳造事業の失敗も重なり没落してゆく。
紀文の次男は他家の養子となったが早くに亡くなり、長男には子が無かったため息子の代で子孫は絶えたようである。

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2020/02/19

「赤穂事件(忠臣蔵)」余聞

先日、久々に神保町の古書店に行き、
竹内誠「元禄人間模様 変動の時代を生きる」(角川新書 平成12年1月30日初版)
を購入した。タイトルの通り、5代将軍徳川綱吉の時代に生きた人々について書かれた本で、その中の歌舞伎や落語に関する項目についていくつか紹介してみたい。
今回は「赤穂事件(忠臣蔵)」について理解を改めた点がいくつかあるのを採り上げる。

【勅使接待の御馳走役は浅野内匠頭だけ】
徳川幕府は毎年正月に将軍の名代を京都に派遣し、年頭の祝賀を申しのべるのが慣例だった。朝廷は3月に答礼として勅使と院使を江戸に派遣した。
元禄14年(1701年)正月には、高家筆頭吉良上野介が将軍の名代をして京都にのぼった。その答礼のため、東山天皇の勅使として2名、霊元上皇の院使として1名が江戸にくだった。一行は3月11日に江戸に到着した。
勅使接待の御馳走役には浅野内匠頭が、院使接待の御馳走役には伊達左京亮があたった。従来、勅使接待役として浅野と伊達二人があたったとしている資料があるが不正確のようだ。
なお、浅野内匠頭は18年前の天和3年(1683年)にも勅使御馳走役を勤めており、この時が2度目となっていた。
これは別の資料に書かれていたことだが、吉良は正月に京都にのぼり、急ぎ江戸に戻って3月11日の勅使接待の準備や打ち合わせという忙しい日程なので、経験のあった浅野を指名したものとある。

【松の廊下の刃傷事件の経緯】
勅使らの接待の最終日は3月14日で、この日は白書院において将軍が謝礼を勅使らに述べる儀式(勅答の儀)や、将軍と御台所から勅使らに贈り物を届ける予定が組まれていた。
儀式が始まる直前の大広間と白書院を結ぶ松の廊下は、慌ただしさと緊張感に包まれていた。御台所からの贈り物を届ける役だった梶川与惣兵衛が大広間から、吉良上野介が白書院からそれぞれ歩いてきて出会い、時刻のことを二言三言交わしていた所へ、突然吉良の背後から浅野が「この間の遺恨覚えたるか」と大声をあげて切りかかってきた。
吉良が驚いて「これは」と振り向いた所を眉間に切りつけられ、慌てて梶川の方へ逃げようとした。その背中に浅野はまた斬りつけた。吉良はそのままうつぶせに倒れたが、梶川が浅野に飛び掛かって抱きすくめた。
浅野はその後、梶川や高家衆らに取り囲まれて連れて行かれたが、そのみちみち「この間中の意趣」があり吉良を斬ったと、興奮して何度も大声で叫んだ。ただ浅野は、遺恨の内容については、目付の取り調べでも語っていない。
吉良の傷は、眉の上の骨が切れるやや深傷で長さが3寸6分、背中の方は浅傷で長さは6寸だった。
大切なな儀式の日に、御馳走役という大事な役目を担った者が、事もあろうに殿中で刃傷事件を起こしたとあって将軍や重役が激怒したのは当然である。浅野内匠頭は切腹、お家断絶の処置が取られた。
吉良は一方的に斬りつけられ、抜刀もしてないので喧嘩両成敗は成り立たず、お構い無しの処置となったがこれも当然である。
浅野が吉良に遺恨があって討ち果たそうとしたなら、小刀を振り回しても意味はない。小刀は刺すものだ。
今風に言うならば、計画的犯行であったが、殺意は無かったということになろう。
しかし、浅野のこうした謎の多い行動が多くの憶測をよび、その後刃傷に至った原因について諸説が流布されて、巷間では次第に浅野に同情的な意見が増えていったのは皮肉である。

【赤穂の因縁話】
備中藩主・水谷(みずのや)勝宗が元禄2年五病没し、跡を継いだ勝美も4年後の没した。不幸は続き、養子の勝春も疱瘡で相次いで亡くなった。
その結果、水谷家はお家断絶、備中松山藩は収公となった。
この松山城の請け取りの使者役に、幕府は浅野内匠頭を任命した。元禄7年に赤穂家の家老・大石内蔵助は、松山藩士らの反抗に備えて、大勢の家臣を引き連れて要所要所に配置し、無事城明け渡しを終了した。この時の赤穂藩士の中には、後年吉良邸に討ち入りした者が数名含まれていた。
それから7年後に、今度は浅野家が同じ運命を辿ることになる。
また、浅野内匠頭の菩提寺である泉岳寺は、先の水谷勝宗の墓所でもあった。
両家の運命のいたずらか。

一時は討ち入りの一味同心の盟約を結びながら、直前に逃走した浪士に小山田庄左衛門がいる。他にも何名かいるのだが、小山田は同士の金を盗んで逃げたとあって、武士にあるまじき行為だ。
この小山田が、中島隆碩と名を変えて町医者になっていた。
処が、赤穂浪士切腹の18年後の享保6年(1721年)に、使用人の直助という男の殺害されてしまう。
因果応報というべきか。

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2020/02/17

「真景累ヶ淵(半通し)」(2020/2/16)

『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』半通し公演
日時:2020年2月16日(日)13時
会場:お江戸日本橋亭
<  番組  >
一龍齋貞山『宗悦殺し』
立川ぜん馬『豊志賀の死』
蜃気楼龍玉『お久殺しから土手の甚蔵』
~仲入り~
三遊亭圓橘『勘蔵の死』

三遊亭圓朝作『真景累ヶ淵』の半通し公演という意欲的な企画で、場内は満員。半通しのいうのは原作はもっと長く複雑で、下記に本作の人間関係を示すが(クリックで拡大できる)、血族同士の殺し合いの末最後は敵討ちで終わる壮大な物語だ。
今回の4席、およそ4時間で全体の半分といった見当。
Shinkei

貞山『宗悦殺し』
当代は8代目で実は初見。実父の7代目は通称「お化けの貞山」と呼ばれていて怪談ものが得意だった。特に『四谷怪談』を得意としていたが、この『真景累ヶ淵』も専売だったとプログラムに記されている。マクラで7代目は酒乱だったと言ってたが、あの人が酒乱になったらさぞ恐ろしかったろう。
『宗悦殺し』は発端で落語でもしばしば演じられる。
安永2(1773)年12月、鍼医の皆川宗悦は小日向服部坂に住む小普請組の深見新左衛門宅へ借金の取り立てに行くが、酒を飲んで激昂した新左衛門に斬り殺される。
翌年、療治で呼んだ流しの按摩が宗悦の姿に変わり、思わず斬りつけるとそれは宗悦ではなく妻を斬り殺してしまう。
翌年、深見は隣家の騒動で殺され家は改易となる。深見には二人の息子がいたが、弟の新吉を門番の勘蔵が連れて下谷大門町へ。

ぜん馬『豊志賀の死』
殺された宗悦には二人の娘がいたが、姉の豊志賀1793年に根津七軒町に富本の師匠となる。当初は男嫌いで通っていた豊志賀だが、親子ほど年が離れている出入りの煙草屋新吉といい仲になる。
しばらくすると豊志賀の顔に腫物が出来、これがどんどん腫れてきて病に伏せる。弟子も皆去るが、お久という娘だけは見舞いに訪れるが、それを豊志賀は新吉との仲を邪推し嫌がらせする。看病やそうしたゴタゴタに疲れた新吉が気晴らしに外へ出るとお久と出くわす。二人が鮨屋の2階で駆け落ちの相談をしていると、急にお久の顔が豊志賀のようになる。びっくりして新吉がお久を置き去りにして勘蔵の家に戻ると,重病の豊志賀が来ていた。そこに七軒町の隣人がやって来て,豊志賀が死んだという報せ。新吉は一笑にふすが、さっきまで部屋にいた豊志賀の姿が消えていた。驚いて新吉が家に戻ると豊志賀は自害していて、新吉の妻を7人まで取り殺すという遺書を見つける。
『真景累ヶ淵』の中では最も頻繁に演じられていて、内容がドラマチックだ。ぜん馬の高座は全体の抑揚を抑えながら、個々の人物描写を丁寧に行っていた。嫉妬に狂う豊志賀の情念がよく表現されていた。

龍玉『お久殺しから土手の甚蔵』
1794年のお盆,豊志賀の墓参でぱったりと出会った新吉とお久,その場でお久の実家の下総羽生村へ駆け落ちする。日が暮れた鬼怒川を渡るとそこは累ヶ淵。闇夜でお久が足を滑らせて、土手の草むらにあった鎌で足を怪我してしまう。新吉は介抱しながらお久を見ると豊志賀の顔、思わず鎌を振り回しお久を惨殺してしまう。それを目撃した土手の甚蔵と格闘となる.
新吉は落雷に乗じて逃げるが、逃げ込んだ家が甚蔵の留守宅だった。甚蔵は新吉から金を強請ろうとするが、新吉が文無しと知り落胆する。
龍玉は顔も声も怪談向きだ。殺しの場面の凄惨さと、甚蔵の強請りっぷりに迫力があった。

圓橘『勘蔵の死』
1795年、勘蔵が危篤との報せで新吉は江戸へ向かう。勘蔵の遺言で、新吉が旗本深見家の次男だと知る。
下総への戻り道に駕籠で亀有へ向かうが、なぜか駕籠が小塚原に着いてしまう。小塚原で兄の新五郎が現れ、新吉は斬られるが、それは夢だった。.駕籠から出るとそこはやはり小塚原で、獄門の札に新五郎の凶状が書かれ,豊志賀の妹のお園殺しの下手人だと知る。
つまり、宅悦の娘二人とも、深見の息子二人に殺されたことになる。
実はこの話の前段で新吉は羽生村で出会ったお累と結婚するのだが、このお累はお久の従姉妹で、これまた因縁話になる。
圓橘は淡々とした喋りで、これが芸風なんだろう。

この先まだまだ殺しと怪談話が続くが、それはまた別の機会に。

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2020/02/16

「西のかい枝・東の兼好」(2020/2/15)

第31回にぎわい倶楽部「西のかい枝・東の兼好」
日時:2020年2月15日(土)14時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
前座・立川かしめ『子ほめ』
三遊亭兼好『手紙無筆』
桂かい枝『星野屋』
~仲入り~
桂かい枝『屁臭最中(へくさのさいちゅう)』
三遊亭兼好『佐々木政談』

前に新型コロナウイルスの感染防止のためにダイアモンド・プリンセス号が隔離されたことについて、まるで映画の『カサンドル・クロス』の様だと書いたが、結果はそれに近かった。感染が外部に拡がらぬように隔離したということは、内部の人同士の感染は避けられない。
客船が接岸している埠頭からさほど離れていないここ桜木町のにぎわい座だが、この日も2階席まで客が入っていた。

兼好『手紙無筆』
後席で50歳になって物覚えが悪くなったり間違えたりすることが多くなったと言っていたが、この高座では気付いただけでも3か所ほどミスがあった。兼好ファンが多かった客席はよく受けていたが、粗さが目立ちあまり良い出来とは思えなかった。

かい枝『星野屋』
妾が出てくる落語は多いが、この噺の妾は一風変わっている。通常は旦那と女が深い仲になり妾として囲うのだが、ここに出てくるお花は藤助という男の世話で妾になっている。想像するにプロの妾で、どうやら同居している母親もかつては同じ生業だったようだから母娘二代にわたる妾ということになる。
妻に先立たれた星野屋の主人がお花を後釜に据えようとしたとき、不安に思ったのはそのためで、そこで藤助が一計を案じ一芝居を打ったわけだ。
だから心中の約束を破ったことを主人に責められても、平気で騙して切り抜けるしぶとさがこの母娘にはあるのだ。
かい枝の高座は、お花の可愛さや軽薄さ、母親の海千山千の遣りてぶりが巧みに表現されていて良い出来だった。
このネタは東京でもしばしば演じられているが、やはりオリジナルの上方を舞台にした方が相応しい。

かい枝『屁臭最中』
今は廃れてしまった古典を掘り起こして黄泉返させる作業を落語作家の小佐田定雄らと共同で進めているそうで、この噺も明治27年の演目帳に残る作品を復活させたもの。
船場のいとはんが恋煩い、心配した女中がお守りをいとはんに渡すと誤って火鉢の中に落とし、中から神様が現れる。いとはんが出入りの小間物屋の男に思いを打ち明けたいというと、その男の前で放屁をしてその匂いがしているうちに告白すれば願いが叶うという。いとはんがニンニクを食べて空気をお腹の中に吸い込んでいると、小間物屋の男がやってきた。一発放し匂いが立ち込める中で打ち明けると、小間物屋の男の方もいとはんに惚れていたと言い、二人は手に手を取って・・・。そこの女中が顔を出して、「前からお二人はくさいと思ってました」に、「未だ臭いが残ってたん」でサゲ。
あまり品が良いとは言えないが、そこそこ面白かった。神様が南河内弁でしゃべるなどの工夫がされていた。

兼好『佐々木政談』
このネタは昔からある一休さんや各地の頓智話をまとめて1席の落語にしたもので、3代目松鶴の作と言われる。頓智の中身は子どもの昔話や童話などにも出てくるものが多く、そう目新しいものではない。
それを町奉行の謎かけを桶屋の倅が言い負かすという設定で聴かせる所がミソ。兼好の高座では、もうちょっと奉行の貫禄が欲しかったかな。

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2020/02/14

「彼らもまた、わが息子」(2020/2/13)

「彼らもまた、わが息子」(原題:All My Sons)
日時:2020年2月13日(木)18時30分
上演時間: 約2時間40分(休憩15分を含む)
会場:俳優座劇場
脚本:アーサー・ミラー 
翻訳:水谷八也 
演出:桐山知也
<   キャスト   >
吉見一豊:ジョー・ケラー(夫)
山本郁子:ケイト・ケラー(妻)
竪山隼太:クリス・ケラー(長男)
佐藤玲:アン・ディーヴァー(妹)
逢笠恵祐:ジョージ・ディーヴァー(兄)
斉藤淳:ジム・ベイリス(医師、夫)
上原奈美:スー・ベイリス(妻)
森永友基:フランク・リュベイ(夫)
多賀麻美:リディア・リュベイ(妻)

原作者アーサー・ミラーといえば『セールスマンの死』『るつぼ』で知られているが、こんな傑作があったとは。
1947年に初演され、第1回トニー賞を受賞したミラーが注目された最初の戯曲で、日本でも『みんな我が子』として上演されてきたようだ。今回は新訳脚本での上演となる。
【あらすじ】
ジョー・ケラーとケイト夫婦には二人の息子がいた。空軍パイロットだった次男ラリーは終戦後も行方が分からないまま3年がたつ。長男クリスは戦争で負傷するが復員してジョーの工場で働き、いずれは後を継ぐ予定でいる。
ラリーの恋人だったアンとの結婚を決めるが、ラリーの死を受け入れられない母ケイトは素直に祝福することができない。
一方、アンの父親は戦時中に空軍に戦闘機の部品を納入していたジョーの工場で働いていたが、不良品を出荷して21機の戦闘機が墜落する事故を引き起こした罪に問われる。裁判でジョーは無罪になるが、アンの父親は実刑判決を受け服役中である。
当初は周囲とギクシャクしていたジョーだったが、今では彼の家の庭に近所の人たちが集まりカードゲームに興ずるようになった。
ケラー一家とアンが団欒を迎えようとしていた時、初めて刑務所で父親と面会したアンの兄で弁護士のジョージが、突然ケラー家を訪れると連絡が入り、のどかな空気は一変する。父親の説明によれば、部品の欠陥をジョーに連絡したにもかかわらず出荷してしまい、その罪をなすりつけられたのだと言う。それを聞いたクリスはジョーを激しく詰問し、ジョーは全て生活のためお前の将来のためにしたことだと説得するが、やがて激しい言い争いになり・・・。

本作品は、大戦期を生き抜いた家族の物語だ。
ジョーは自分は無罪になったものの、部下だったアンの父親に全て罪をなすりつけていたことをずっと苦にしていた。
妻のケイトは、次男が戦争で死んだことをうすうす感じていながら、それを受け容れようとせず、、恋人だったアンが長男のクリスと結婚するのを許せない。
クリスは戦争で部下を全員死なせてしまったことに罪悪感を感じ続けている。
ジョージとアンの兄妹は、父親の罪を許せず今まで一度も父に面会したことも手紙を出すこともしてこなかった。
またアンは、長男の死の事実を知っていながらケラー家の人々に内緒にしてきた。
父親のジョーが何かというと息子のためだったと言うのに対し、クリスが「戦争で死んでいった若者たちもみな息子なんだよ」と諭す言葉が胸に刺さる。
今の時代だからこそ多くの方に観て欲しい舞台だ。

公演は15日まで。

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2020/02/13

文楽公演『新版歌祭文』『傾城反魂香』(2020/2/11)

朝から晩までコロナウイルスの話題ばかりでいい加減にあきる。それよりアメリカの今シーズンのインフルエンザ感染者数は2200万人、死者数は1万2000人に上っている。こっちの感染の方がよっぽど恐ろしいんじゃないのかな。こちらの対策は大丈夫なんだろうか。
2月の国立小劇場での文楽公演が3部制で、その第2部に出向く。相変わらず客の入りはいい。
演目は『新版歌祭文』『傾城反魂香』で、いずれも代表的な一幕のみの上演。特に前者は落語とも縁が深く、先代の文楽や春団治の出囃子「野崎」はこの浄瑠璃からとられている。また上方落語の『野崎詣り』は浄瑠璃の切りと同様に、野崎観音の参詣の模様をネタにしている。

『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』
野崎村の段
<中>豊竹睦太夫 野澤勝平
<前>竹本織大夫 鶴澤清治
<切>豊竹咲太夫 野澤燕三 野澤燕二郎
<人形役割>
久作:吉田玉助
娘おみつ:吉田蓑二郎
お勝:桐竹紋臣
娘お染:吉田清五郎
丁稚久松:吉田玉助

竹本津駒太夫改め
六代目竹本錣太夫襲名披露狂言
『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』
土佐将監閑居の段
<口>豊竹希太夫 竹澤團吾
<奥>竹本錣太夫 竹澤宗助 鶴澤寛太郎
<人形役割>
土佐将監:吉田玉也
将監奥方:吉田文昇
門弟修理之助:吉田玉勢
浮世又平:桐竹勘十郎
女房おとく:豊松清十郎

『新版歌祭文』
由あって野崎村の久作の義理の息子として育てられた久松だが、奉公先の油屋の娘お染と深い仲になる。一方、久作の計らいで久松と久作の女房の連れ子であるおみつとを夫婦にしようとしていた。祝言を控えて浮き立つおみつ、そこへ久松を追ってお染が現れる。最初は悋気に苛まれるおみつだったが、二人の会話を聞くうちに二人が心中を図っていることを知り、身を引くことを決めて尼になる。やがてお染は母のお勝と共に野崎詣りの風習に従って船で、久松は土手を駕籠で大阪に向かい、それを久作とおみつが見送る。
見所は喜びに浮き立っていたおみつが二人のために祝言を断念するまでの心の乱れ、動き。それを見守る久作の一徹でいながら心の優しさ、娘の心情を思う親心だ。
おみつとお染の心の動きを繊細に伝える人形の動作は見事というしかない。
それと終幕での三味線の連れ弾きが舞台をいっそう引き立てていた。

『傾城反魂香』
外題にある「反魂香」は、前漢の武帝は亡くした李夫人を偲び道士に霊薬をつくらせてその香を焚いてみると、はたして彼女の魂が反ってきたかのように李夫人の姿が煙の内に見えたという故実に基づく。
この浄瑠璃も有名な絵師の奇跡やお家騒動をからませ、遊女に身を落とした絵師の許嫁が霊魂をなって現れるというストーリーが本筋の様だが、サイドストーリーの「又平」が活躍する「土佐将監閑居の段」が繰り返し上演されている。
絵師として身を立てようとする又平だが、一向に芽が出ない。おまけに吃音のため女房のおとくが代わりに将監に願い事を申し立てるが叶わず。夫婦は絶望の果てに死を決意し、最後にと手水鉢に画を書くと、それが筆の勢いで裏を通って両面に描かれていた。
将監からお褒めの言葉を頂き、念願の使者の役割も仰せつかり、同時に吃音が治るという奇跡も起きる。
喜び勇む又平は、早口言葉を操りながら勇み行く・
本公演は六代目竹本錣太夫襲名披露狂言で、文楽の襲名口上を初めて見た。
その錣太夫の語りと三味線、人形遣いが三位一体となった躍動感のある舞台は素晴らしかった。

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2020/02/10

「大手町落語会」(2020/2/9)

第59回「大手町落語会」
日時:2020年2月9日(日)13時
会場:日経ホール
<  番組  >
前座・三遊亭ぐんま『初天神』
桂宮治『たらちね』
三遊亭萬橘『猫と金魚』
桃月庵白酒『付き馬』
~仲入り~
柳家甚語楼『妾馬』
柳家権太楼『言い訳座頭』

TVでは朝から晩まで新型コロナウイルスの話題で持ち切りだが、世間ではどうなんだろう。電車でもこの日の会場でもマスクなんかしている人は少数だ。今日、病院に行ったが職員でマスク姿の人はあまり見なかった。感染者は急速に拡大しているが、死亡した人は中国の湖北省を除けば今のところ2名(2月6日現在)で、致死率は高くないと見られる。通常のインフルエンザ対策で十分であるようにも思える。
それより客船に隔離されている人たちが気の毒だ。あの方たちを見ていると映画『カサンドラ・クロス』を思い浮かべてしまう。

宮治『たらちね』
同じ芸協の二ツ目から真打に昇進した小痴楽や話題の松之亟を僻むようなマクラは頂けない。小痴楽が中卒だと笑っていたが何が可笑しいんだろう。こういう芸風は生理的に受け付けない。

萬橘『猫と金魚』
オリジナルに手を入れてサゲも変えて演じたが、調子が乗り切らないで終わってしまった感がある。萬橘の芸はこうしたキャパのホールでは響かないのかも知れない。

白酒『付き馬』
今回でこのネタは3回目かと思うが、相変わらず手際よくまとめていた。ただ、最近の白酒を見ていると今ひとつ気分が乗っていないような気がする。本人があまり面白そうじゃないのだ。観ていて万事ソツなく演じているなという印象を持つのは私だけかな。

甚語楼『妾馬』
この日一番の出来だった。言動が粗野で周囲に迷惑ばかり掛けている八五郎だが、妹や母親思いだ。殿の御前では周囲の人間に「妹を宜しく」と頭を下げてまわる。妹には「母親を呼び寄せて赤ん坊を見せてやってくれ」と頼む。口うるさい三太夫とはしばしば口論になるが、殿様に「何でもはいはいと言うだけでなく、周りにこういううるさい人も必要なんだ」とフォローする度量も見せる。
映画の寅さんを思わせる様な八五郎の描き方が強く印象に残った。

権太楼『言い訳座頭』
季節外れのネタと断って、大晦日の掛け取りの噺。但し、ここに出て来る甚兵衛の家は返す金はあるのだが、それでは正月が越せない。そこで口が達者な長屋の按摩・富の市に頼んで借金の言い訳をして貰う。これが相手によって脅したり、泣き落としをしたりと巧みに煙にまくのだ。5代目小さんの十八番で柳家のお家芸ともいうべきネタだが、権太楼は各商店主と富の市との丁々発止の掛け合いを巧みに演じていた。

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2020/02/05

「春風亭正太郎・入船亭小辰」(2020/2/4)

「春風亭正太郎・入船亭小辰」
日時:2020年2月4日(火)19時30分
会場:らくごカフェ
<  番組  >
入船亭小辰『鈴ヶ森』
春風亭正太郎『はてなの茶碗(茶金)』
~仲入り~
春風亭正太郎『隣の桜(鼻ねじ)』
入船亭小辰『木乃伊取り』

らくごカフェ火曜会の「春風亭正太郎・入船亭小辰」、二人とも未だ二ツ目だが、実力は既に真打クラス。と言っても、近ごろ下手な真打が増えているのであまり褒め言葉にはならないが。

春風亭正太郎は上方のネタ2席。
正太郎の1席目『はてなの茶碗(茶金)』
このネタの勘所は、茶道具屋の金兵衛(茶金)の風格が出せるかどうかだ。特に出だしの、音羽の滝の前の茶店で茶金が茶碗をひっくり返しながら「はてな」と首をかしげる所で、この人物がただ者でないと客席に印象付けられるかがポイント。そういう点で若手にはハンディがある。正太郎は全体としては無難にこなしていたが、やはり茶金の風格が出せていない憾みがあった。
正太郎の2席目『隣の桜(鼻ねじ)』
このネタでは、隣家の漢学の先生が隣の花見の騒ぎに惹かれて、思わず塀越しに眺める所が山場だが、やはり三味線や太鼓の囃子がないと寂しい。この会場では無理があるかな。
あと、小僧が隣家への口上で、相手の先生に「子曰く(しのたまわく)」と言っていたのに、先生の授業の場面では「子曰く(しいわく)」としていたのはどうなんだろう。
2席とも正太郎の明るい芸風が活かされていたが、物足りなさも感じた。もっとも、あまり細かい点は気にしないというのが良さなのかも知れないが。

入船亭小辰は軽い滑稽噺とトリネタの組み合わせ。
小辰の1席目『鈴ヶ森』
亡くなった喜多八の高座を彷彿とさせるような、可笑しさがこみ上げてくる様な高座だった。この人の良さは「間」の取り方が巧みで、これが泥棒の親分と子分の会話の面白さを引き立てていた。
小辰の2席目『木乃伊取り』
結論から言うと、とても良い出来だった。最近では桃月庵白酒が十八番としているが、それに勝るとも劣らぬ高座だった。
先ず、多彩な登場人物の演じ分けがしっかりと出来ている。特に若旦那の未だ青さが残る遊び人風情が良く表現されていた。また忠義一筋の頑固一徹な清蔵が呑むにつけ酔うにつけ次第に崩れていき、最後は敵娼(あいかた)の手練手管にぐずぐずになる静態変化には唸った。
小辰、恐るべし。

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2020/02/02

大石誠之助のこと

しばらく三食昼寝つき別荘で静養していたが、先日退院した。これが病院だから退院、診療所なら出所か。

月刊誌「図書」2月号に、「『太平洋食堂』のこと」というタイトルで作家の柳広司が大石誠之助について書いている。名前をきいてもピンと来ないかもしれないが、大逆事件の犠牲者と言えば思い出す方もいるだろう。
大石誠之助は1867年に和歌山の新宮で生まれ、アメリカ、カナダに渡り医師免許を取得、郷里の新宮に戻り医院を開業。貧しい人から金を取らないで、その分金持ちから余分に取るという累進課金制をモットーに、多くの人から「ドクトル大石」「ひげのドクトルさん」と呼ばれ親しまれた。
そう、あの『赤ひげ』の主人公・新出のモデルという説がある人物だ。
文芸に造詣が深く、都々逸では宗匠の位を極め、語学が堪能だったので海外の文芸作品を翻訳し新聞や雑誌に紹介している。

記事では大石の書いた文章がいくつか紹介されている
「人間がみな、自然の食卓に就いて同様の饗宴に与り得べき余裕と権利があるにも係わらず、なぜテーブルの下にしゃがんでいて、偶然に上から落ちて来るパン屑に舌鼓を打たねばならぬのか。よし是を受くる者が是によって自分ひとり満足できるとしても、他にもそのパン屑を貰い得ずして空腹に堪えぬ多くの身のあることを忘れてはならんぢゃないか。」
金持ちを優遇すれば、そのオコボレが下に下にと落ちて来るという「トリクルダウン」理論の誤りを衝いたものだ。

「昨年、我町に初めて電話の開通した時、これを主導した有為会の連中は至極立派な装飾と御馳走を為して、逓信大臣を招き、一等局長を迎え、地方の官公吏を呼び。その他あらゆる紳士階級のお客を網羅した祝賀会を開いて、甚だ盛んなお祭り騒ぎをした。(中略)
酒を飲みたければ毎日でも飲みに行け。女を呼びたくば毎晩でも呼んで遊べ。しかし之を公に電話開通の名によって行い、大ビラに地方繁栄の仮面を被ってやることはやめてくれ。殊に工事費として彼らが保有している金をそのまま押さえておいて馬鹿騒ぎの費用に流用する事は、僕一己として断然不服である。」
今も「桜を見る会」を名目にして、公費を使って自分の後援者を接待、供応した安倍首相の例がある。東京五輪の莫大な費用も、どこにどう消えたのやら。

「新宮に於いて、僕らは常に『町の平和を攪乱すべき人物』として指弾されつつある。しかし彼らの『平和』とは何ぞや。臭類(くさいやつら)がその臭類たる地位を保つ為の『平和』にあらずや。良民を虐げる悪官吏や悪紳士が枕を高くして眠る為の『平和』にあらずや。見よ、キリストは当時の腐敗したるユダヤが『城下を騒がすもの』として十字架にかけられ、ジョン・ブラウンは奴隷私有者より『安寧を害するもの』として絞首台に上りき。
我らはまた臭類の口より、『平和を攪乱するもの』と言わるるに甘んぜざるべからず。否、寧ろ之を最大の栄誉とせざるべからざる位地に立てり。」
1911年。大石誠之助は「天皇の暗殺を企てた」として幸徳秋水ら11名と共に処刑された。享年43歳だった。
もちろん、この事件は明治政府によるフレームアップであり、2018年1月、新宮市議会は大石誠之助はを名誉市民とすることを決議した。しかし、国家による謝罪は未だなされていない。

なお、記事のタイトルにある「太平洋食堂」は大石が新宮に設けた洋食レストランで、地域の貧しい子どもたちを集めて「うまいものを食いの会」を開いたもの。

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