「真景累ヶ淵(半通し)」(2020/2/16)
『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』半通し公演
日時:2020年2月16日(日)13時
会場:お江戸日本橋亭
< 番組 >
一龍齋貞山『宗悦殺し』
立川ぜん馬『豊志賀の死』
蜃気楼龍玉『お久殺しから土手の甚蔵』
~仲入り~
三遊亭圓橘『勘蔵の死』
三遊亭圓朝作『真景累ヶ淵』の半通し公演という意欲的な企画で、場内は満員。半通しのいうのは原作はもっと長く複雑で、下記に本作の人間関係を示すが(クリックで拡大できる)、血族同士の殺し合いの末最後は敵討ちで終わる壮大な物語だ。
今回の4席、およそ4時間で全体の半分といった見当。
貞山『宗悦殺し』
当代は8代目で実は初見。実父の7代目は通称「お化けの貞山」と呼ばれていて怪談ものが得意だった。特に『四谷怪談』を得意としていたが、この『真景累ヶ淵』も専売だったとプログラムに記されている。マクラで7代目は酒乱だったと言ってたが、あの人が酒乱になったらさぞ恐ろしかったろう。
『宗悦殺し』は発端で落語でもしばしば演じられる。
安永2(1773)年12月、鍼医の皆川宗悦は小日向服部坂に住む小普請組の深見新左衛門宅へ借金の取り立てに行くが、酒を飲んで激昂した新左衛門に斬り殺される。
翌年、療治で呼んだ流しの按摩が宗悦の姿に変わり、思わず斬りつけるとそれは宗悦ではなく妻を斬り殺してしまう。
翌年、深見は隣家の騒動で殺され家は改易となる。深見には二人の息子がいたが、弟の新吉を門番の勘蔵が連れて下谷大門町へ。
ぜん馬『豊志賀の死』
殺された宗悦には二人の娘がいたが、姉の豊志賀1793年に根津七軒町に富本の師匠となる。当初は男嫌いで通っていた豊志賀だが、親子ほど年が離れている出入りの煙草屋新吉といい仲になる。
しばらくすると豊志賀の顔に腫物が出来、これがどんどん腫れてきて病に伏せる。弟子も皆去るが、お久という娘だけは見舞いに訪れるが、それを豊志賀は新吉との仲を邪推し嫌がらせする。看病やそうしたゴタゴタに疲れた新吉が気晴らしに外へ出るとお久と出くわす。二人が鮨屋の2階で駆け落ちの相談をしていると、急にお久の顔が豊志賀のようになる。びっくりして新吉がお久を置き去りにして勘蔵の家に戻ると,重病の豊志賀が来ていた。そこに七軒町の隣人がやって来て,豊志賀が死んだという報せ。新吉は一笑にふすが、さっきまで部屋にいた豊志賀の姿が消えていた。驚いて新吉が家に戻ると豊志賀は自害していて、新吉の妻を7人まで取り殺すという遺書を見つける。
『真景累ヶ淵』の中では最も頻繁に演じられていて、内容がドラマチックだ。ぜん馬の高座は全体の抑揚を抑えながら、個々の人物描写を丁寧に行っていた。嫉妬に狂う豊志賀の情念がよく表現されていた。
龍玉『お久殺しから土手の甚蔵』
1794年のお盆,豊志賀の墓参でぱったりと出会った新吉とお久,その場でお久の実家の下総羽生村へ駆け落ちする。日が暮れた鬼怒川を渡るとそこは累ヶ淵。闇夜でお久が足を滑らせて、土手の草むらにあった鎌で足を怪我してしまう。新吉は介抱しながらお久を見ると豊志賀の顔、思わず鎌を振り回しお久を惨殺してしまう。それを目撃した土手の甚蔵と格闘となる.
新吉は落雷に乗じて逃げるが、逃げ込んだ家が甚蔵の留守宅だった。甚蔵は新吉から金を強請ろうとするが、新吉が文無しと知り落胆する。
龍玉は顔も声も怪談向きだ。殺しの場面の凄惨さと、甚蔵の強請りっぷりに迫力があった。
圓橘『勘蔵の死』
1795年、勘蔵が危篤との報せで新吉は江戸へ向かう。勘蔵の遺言で、新吉が旗本深見家の次男だと知る。
下総への戻り道に駕籠で亀有へ向かうが、なぜか駕籠が小塚原に着いてしまう。小塚原で兄の新五郎が現れ、新吉は斬られるが、それは夢だった。.駕籠から出るとそこはやはり小塚原で、獄門の札に新五郎の凶状が書かれ,豊志賀の妹のお園殺しの下手人だと知る。
つまり、宅悦の娘二人とも、深見の息子二人に殺されたことになる。
実はこの話の前段で新吉は羽生村で出会ったお累と結婚するのだが、このお累はお久の従姉妹で、これまた因縁話になる。
圓橘は淡々とした喋りで、これが芸風なんだろう。
この先まだまだ殺しと怪談話が続くが、それはまた別の機会に。
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