大石誠之助のこと
しばらく三食昼寝つき別荘で静養していたが、先日退院した。これが病院だから退院、診療所なら出所か。
月刊誌「図書」2月号に、「『太平洋食堂』のこと」というタイトルで作家の柳広司が大石誠之助について書いている。名前をきいてもピンと来ないかもしれないが、大逆事件の犠牲者と言えば思い出す方もいるだろう。
大石誠之助は1867年に和歌山の新宮で生まれ、アメリカ、カナダに渡り医師免許を取得、郷里の新宮に戻り医院を開業。貧しい人から金を取らないで、その分金持ちから余分に取るという累進課金制をモットーに、多くの人から「ドクトル大石」「ひげのドクトルさん」と呼ばれ親しまれた。
そう、あの『赤ひげ』の主人公・新出のモデルという説がある人物だ。
文芸に造詣が深く、都々逸では宗匠の位を極め、語学が堪能だったので海外の文芸作品を翻訳し新聞や雑誌に紹介している。
記事では大石の書いた文章がいくつか紹介されている
「人間がみな、自然の食卓に就いて同様の饗宴に与り得べき余裕と権利があるにも係わらず、なぜテーブルの下にしゃがんでいて、偶然に上から落ちて来るパン屑に舌鼓を打たねばならぬのか。よし是を受くる者が是によって自分ひとり満足できるとしても、他にもそのパン屑を貰い得ずして空腹に堪えぬ多くの身のあることを忘れてはならんぢゃないか。」
金持ちを優遇すれば、そのオコボレが下に下にと落ちて来るという「トリクルダウン」理論の誤りを衝いたものだ。
「昨年、我町に初めて電話の開通した時、これを主導した有為会の連中は至極立派な装飾と御馳走を為して、逓信大臣を招き、一等局長を迎え、地方の官公吏を呼び。その他あらゆる紳士階級のお客を網羅した祝賀会を開いて、甚だ盛んなお祭り騒ぎをした。(中略)
酒を飲みたければ毎日でも飲みに行け。女を呼びたくば毎晩でも呼んで遊べ。しかし之を公に電話開通の名によって行い、大ビラに地方繁栄の仮面を被ってやることはやめてくれ。殊に工事費として彼らが保有している金をそのまま押さえておいて馬鹿騒ぎの費用に流用する事は、僕一己として断然不服である。」
今も「桜を見る会」を名目にして、公費を使って自分の後援者を接待、供応した安倍首相の例がある。東京五輪の莫大な費用も、どこにどう消えたのやら。
「新宮に於いて、僕らは常に『町の平和を攪乱すべき人物』として指弾されつつある。しかし彼らの『平和』とは何ぞや。臭類(くさいやつら)がその臭類たる地位を保つ為の『平和』にあらずや。良民を虐げる悪官吏や悪紳士が枕を高くして眠る為の『平和』にあらずや。見よ、キリストは当時の腐敗したるユダヤが『城下を騒がすもの』として十字架にかけられ、ジョン・ブラウンは奴隷私有者より『安寧を害するもの』として絞首台に上りき。
我らはまた臭類の口より、『平和を攪乱するもの』と言わるるに甘んぜざるべからず。否、寧ろ之を最大の栄誉とせざるべからざる位地に立てり。」
1911年。大石誠之助は「天皇の暗殺を企てた」として幸徳秋水ら11名と共に処刑された。享年43歳だった。
もちろん、この事件は明治政府によるフレームアップであり、2018年1月、新宮市議会は大石誠之助はを名誉市民とすることを決議した。しかし、国家による謝罪は未だなされていない。
なお、記事のタイトルにある「太平洋食堂」は大石が新宮に設けた洋食レストランで、地域の貧しい子どもたちを集めて「うまいものを食いの会」を開いたもの。
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くれぐれもお大事に。
鉄幹の大石に関する風刺詩を読み返してみました。よくぞまあ言ったものだと・・・
若いころ、私は大石を討ち入りの指揮を執った家老だと早とちりしていました。
落語にもなりません(苦笑)
投稿: 福 | 2020/02/04 06:37
福さん
大石誠之助は与謝野鉄幹とも親交がありました。温厚な性格という評価がある一方、熱血的な革命家という一面もあり、複雑な人物だったようです。
投稿: home-9 | 2020/02/04 08:29