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2020/03/31

「小池」にハマってさあ大変!

ここの所、TVで小池百合子都知事の顔を見ることが多いのだが、どうも言ってることが信用できないのだ。本人の不徳の致す所というしかないのだが。
かつて国会議員だった頃は、立候補する度に所属政党が変わり「政界渡り鳥」と称されていた。その時々の権力者にすり寄って生きぬいてきた人物だ。
ようやく自民党に腰を落ち着けたかと思ったら、「どんぐりコロコロ転がって」今度は都知事に転身。その後もやれ「都民ファースト」だの「希望の党」だのと話題を振りまいたが、確たる戦略がないのでいずれも中途半端に終わる。
築地/豊洲市場移転問題もリップサービスが目立っただけで、時の過ぎゆくままに終始。
4年間の任期の中でこれといった実績のないまま五輪が延期され、今度はコロナですかいといった印象しかない。
この人って会見で色々喋っているのだが、上っ面で心に響くものがない。
それでも7月に予定されている都知事選では自民党が推薦に回り、どうやら再選の可能性が高いようだ。ヤレヤレ。
鉄面皮を化粧で隠し、小池百合子は今日も行く。
東京都知事、誰か他にいないんかい!

2020/03/29

「昭恵夫人」の行動の原因、三つの可能性

安倍首相の妻である昭恵夫人に対する風当たりが強い。当然で、その言動があまりに無神経、というよりは人の神経を逆なでするからだ。しかも批判されてもアッケラカンとしているのが理解に苦しむ。
では、なぜ安倍昭恵という人はこうした行動を取るのか、その原因として三つが考えられる。
第一は、文字通り良くいえば天真爛漫、悪く言えば無神経あるいは只のおバカ。苦労せずに育ってきて人の痛みが分からない。全てが自分本位だという性格からきている可能性。
第二は、意識的に夫である安倍晋三の足を引っ張っている可能性。それは夫への何かの当てつけなのか、あるいは自分が首相夫人であることを辞めたいからなのか。
第三は、昭恵夫人に元から何らかの障碍がある可能性。これだといくら批判されても直らないし、夫から注意されても聞く耳を持たない。周囲からは厳しい眼が向けられるが、本人は至って純粋無垢なのかも知れない。
もし原因が第三だとすると、これはかなり厄介だね。

2020/03/27

令和元年度「花形演芸大賞」

国立演芸場より、令和元年度「花形演芸大賞」の受賞者が下記の通り発表された。

【大賞】 
古今亭文菊(落語)
【金賞】
菊地まどか(浪曲)
入船亭小辰(落語)
古今亭志ん五(落語)
桂佐ん吉(上方落語)
【銀賞】
桂小すみ(音曲)
笑福亭喬介(上方落語)
まんじゅう大帝国(漫才)
瀧川鯉八(落語)

暗いニュースばかり続くので、たまには明るいニュースも。
大賞の文菊、本人には失礼だが意外だった。今年は神田伯山かと思っていたから。
文菊にとってはやや遅きに失した感もあるが、人物描写に関しては若手の中でも屈指だ。これからも本格古典の名手としての道を歩んで欲しい。

金賞の浪曲師のまどか、美声を生かした華やかな舞台が印象的だ。
小辰は当ブログでも再三とり上げているが、進境著しい若手だ。二ツ目の金賞受賞は初ではなかろうか。それだけ将来を嘱望されているという証だろう。
志ん五、地味ながら芸の確かさには定評がある。近ごろやたら大声を出したりはしゃいだりする若手が多い中で、この人は癒し系だ。
佐ん吉、有望な若手の多い上方落語の中でも傑出していると言えよう。
こうした注目してきた若手が評価されているのは嬉しい。

銀賞の小すみ、久しぶりに音曲の若手(年齢ではない)で上手い人が出てきた。
漫才のまんじゅう大帝国、二人とも噺家の出身だそうで、落語をネタに織り込んだ舞台が印象的だった。
鯉八、私の好みとは言えないが、異色の新作には評価が高い。
笑福亭喬介は未見。

6月の表彰式を楽しみにしている。

2020/03/22

「自分ファースト」オリンピック

「安倍さんは自分が首相の時にオリンピックをやりたいんですよ」、あの田崎が嬉しそうに語っていたのだから間違いなかろう。東京オリンピックの時に誰が首相なのか、どうでもいい事なのだが。
今年7月に予定されている都知事選の再選のために、小池百合子にとって五輪は又とないイベントだ。東京五輪招致は石原慎太郎が知事の時代から代々、湯水のごとく資金を使って(つまりドル札をばらまいて)招致工作をしてきた結果で小池は関与していないのだが、使えるものは使いたい。
小池都知事といえば、ここんとこ都議会でカイロ大卒が詐称でないかと責められ、シドロモドロの答弁に追われている。なに卒業証書を見せれば直ちに解決するのに、出さないと言い張っている。出せない事情があるのだろう。
都民にとっては小池がカイロ大を卒業してようと中退だろうと大した問題ではないが、経歴詐称は公選法違反というリッパな犯罪だ。
「待てばカイロの日和あり」なんてわけには行かないのだ。
IOCバッハ会長は来年に再選を控えていて、これまたオリンピックを中止や延期させたくない。
それぞれの「自分ファースト」で、東京五輪の開催はこれから二転三転してゆくことになる。

2020/03/21

「たま」に良いことを言う

安倍政権によるメディア統制が酷くなっているようだ。
HBOによれば、言論誌『月刊日本 4月号』では、新型コロナウイルスについての発信を続けている医師・医療ガバナンス研究所理事長である上昌広氏による下記の様な衝撃的な告白を掲載している。
<―:上さんは医師・研究者としてテレビに出演し、安倍政権の新型コロナウイルス対策に警鐘を鳴らしてきました。しかし最近、圧力を感じることがあったそうですね。
上昌広氏:先日、某局のディレクターから「上層部から『安倍政権の批判は控えてほしい』と言われている」と釘を刺されるということがありました。新型コロナの問題で、メディアの自主規制が働いていると感じました。
現在は海外メディアからの取材依頼が増えています。理由を聞くと、「日本には独自の意見を自由に発言する医師や専門家がほとんどいない。政府から独立している専門家を起用したいと思い、『誰か該当する人はいないか』と尋ねると、あなたの名前が上がることが多かった」と話してくれました。
「政府から独立している」というのは、政府とは関わりがないということです。確かに政府と関わりのある専門家は立場上、政府の見解と異なる意見を言いにくい。しかし私にはそういうしがらみがないので、研究者として正しいと思ったことを自由に発言することができます。そういう事情で私に声がかかったり、かからなかったりするのだと思います。>

上記の様に、政府から独立した感染の専門家が自由に発言したり、政府の方針を批判したりするのを政権は統制している。
例えば、情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)が3月4日に放送した内容について、厚労省が番組名を挙げて名指しで批判したものの、その後「訂正したい」と反論を撤回するという騒動があった。
こういう事が続けばメディアが委縮したり忖度したりすることを見越しているのだろう。

こうした風潮について、東京新聞3月20日付文化娯楽欄で、笑福亭たまが次の様に書いている。
<一斉休校やイベント自粛の政府の要請について「今は戦時中と同等だから国民一致団結してこの国難を乗り越えるべきだ。根拠とか言わずに安倍首相についてゆこう」みたいなことを言う人がいてビックリした。「今が戦時中」やなくて「その考え方が戦時中や」としか思えない。第二次世界大戦の反省を全く生かしていない。科学とか論理とか根拠を無視する姿勢は国難を乗り越えるどころか、「玉砕でも構わない」ことになる。>
まさに正論である。
毎度のことながら、「たま」に良いことを言うではなく、「たま」は良いことを言う。

2020/03/20

桂宗助が「二代目桂八十八」を襲名

上方落語の桂宗助(56)が「二代目桂八十八(やそはち)」を襲名することになり、2021年夏にも襲名披露公演を行う予定となった。
八十八は、宗助の師匠・桂米朝の俳号で「米」という文字をばらした「八十八」を、俳句をよむ際に愛用していた。先人の俳号を名跡として襲名する風習は、上方落語や歌舞伎界で古くからあるという。
宗助は「俳号とはいえ、米朝が名乗っていた名前を継ぐのはプレッシャー。研さんしていかなければならない」と語っている。八十八襲名の声が以前から上がっていて最初は固辞していたが、兄弟子らの説得で決意したという。
東京の方にはお馴染みが薄いかも知れないが、師匠の米朝の芸を受け継ぐ品の良い高座が特長。
特に『たちきれ(立ち切り。たちぎれ線香)』での、いきりたつ若旦那を煙草を一服吸ってからいさめる番頭の姿が感動的であったのが強く印象に残っている。
襲名披露興行を楽しみにしている。

2020/03/19

一番のワルは大阪地検特捜部だ

学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当していた財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さんが、佐川宣寿の指示で決裁文書の改ざんを強要され自殺に追い込まれたとして、赤木さんの妻が佐川氏と国に約1億1千万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。
訴状などによると、当時財務省理財局長だった佐川氏は、安倍晋三首相が国会で国有地売却問題について「私や妻が関わっていれば、総理大臣も国会議員も辞める」と答弁した後の2017年2~4月にかけて、「野党に資料を示した際、森友学園を厚遇したと取られる疑いがある箇所は全て修正するように」などと財務省幹部に指示。幹部は近畿財務局に改ざんを命じた。
近畿財務局の上席国有財産管理官だった赤木さんは同局の上司から呼び出されたのを皮切りに、数回にわたって決裁文書から安倍昭恵首相夫人や政治家らの関与を示す部分を削除する作業を強制された。
赤木さんは「こんな事をする必要はない」などと強く反発したり涙を流したりして抗議したが、本省や上司の指示のためやむを得ず従った。
この間、連続出勤や深夜勤務などの長時間労働が重なり、うつ病を発症して休職。更に大阪地検から電話で事情聴取を受け「改ざんは本省のせいなのに、最終的には自分のせいにされる」と心理的負荷が強まり、2018年3月7日に自殺した。
手書きの遺書には「これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる なんて世の中だ」などと書かれていた。
妻は提訴の理由について「死を選ぶ原因となった改ざんは誰が何のためにやったのか。土地の売り払いはどう行われたのか、真実を知りたい」と代理人を通じてコメントした。

問題となった「森友学園問題」についておさらいしてみよう。
学校法人「森友学園」が取得し、小学校新設を計画していた大阪府豊中市の国有地が8億円余り値引きされたことが2017年2月に発覚。名誉校長には安倍昭恵首相夫人が一時就任していた。佐川宣寿は国会答弁で森友側との事前価格交渉を否定したが、交渉をうかがわせる内部文書などが明らかになり財務省が決裁文書を改ざんしていたことも判明した。大阪地検特捜部は補助金の詐欺罪などで学園前理事長の籠池泰典被告と妻を起訴。両被告は大阪地裁で有罪判決を受け控訴した。
佐川宣寿らに対する刑事告発について、2018年5月に大阪地方検察庁特別捜査部は佐川宣寿らを不起訴とした。これに対し、大阪第1検察審査会が2019年3月15日「不起訴不当」と議決したが、2019年8月9日に大阪地方検察庁特別捜査部は不起訴とした。
(以上は「中日新聞」の記事を参考にした)

問題は、文書改ざんを誰が指示したのか。佐川局長が独自の判断で勝手に行ったものか、それとももっと上から佐川に指示して行ったものなのかが問題だ。
財務省内部の調査では到底出てこないわけで、本来は司直の手で解明すべきだった。
そこにフタをした大阪地検特捜部が、本事件の一番のワルである。

2020/03/18

コロナコロナじゃ気が滅入る

こう朝から晩まで新型コロナウイルス(COVID-19)のニュースばかりじゃ、気が滅入る。日々、どこそこで、年齢がいくつ位の、職業はなに、男性又は女性の、感染者の行動範囲はこれこれと、微に入り細を穿つ報道がなされているが、それほど必要な事なのか。
担当省庁や研究者には重要なデータかも知れないが、それ以外の人にとってはさして大事だとは思えない。
むしろ、心理的に悪影響を及ぼすことを考慮した方がいい。
COVID-19については今までの所、
・致死率は従来のインフルエンザに比べやや高めだが大きな危険性はなさそう
・感染者の多くは軽症ですむが、高齢者や持病のある人は重症化しやすいという特徴も従来のインフルエンザに近い
・子どもへの感染力は低いとみられる
といった所見の様だ。

前にも書いたが、我が国ではここ10年の平均で毎年、季節性インフルエンザの感染者が約1千万人、死者が役1000人、インフルエンザが原因による肺炎などの死亡者が約1万人に達している。
多い年は、この1.5倍にもなっている。
だが、これで国中がパニックにもならなかったし、医療も崩壊しなかった。一部の学校で学級閉鎖はあったが、人々は普段通りの生活を送っていた。
つまり、(好ましい事とは言えないが)社会はこの状況を受容してきたのだ。
今年は不幸中の幸いというべきか、暖冬のために季節性インフルエンザの流行が低く抑えられている。
そう考えれば、インフルエンザの感染対策と同様の防止対策を行いながら、軽症者は自宅療養、重症者は入院といった治療法で良いのではなかろうか。

このままでは、政府の的外れの施策と相まって、COVID-19そのものの感染より二次被害の方が大きくなることを憂慮している。

2020/03/15

あの田崎だけじゃない、安倍「取り巻き」記者たち

「我らが宰相は屡々(しばしば)、一部の新聞記者と酒席を囲む。お眼鏡にかなう面々であることは言うまでもなかろう。」と書いているのは、月刊誌「選択」3月号に掲載の河谷史夫だ。
例えば、1月11日の「首相動静」にこんな件(くだり)があったと言う。
<東京・京橋の日本料理店『京都つゆしゃぶCHIRIRI京橋店』。
曽我豪・朝日新聞編集委員
山田孝雄・毎日新聞特別編集委員
小田尚・讀賣新聞東京本社調査研究本部客員研究員
島田敏男・NHK名古屋拠点放送局長
粕谷賢之・日本テレビ取締役執行委員
石川一郎・テレビ東京ホールディングス専務取締役
政治ジャーナリストの田崎史郎
と食事>
主要なメディア(フジ・サンケイGが含まれていないのが意外な気もするが)の記者らを網羅しており、安倍としては彼らの影響力を計算したものだろう。
会食はおよそ3時間に及んだとみられれが、中身は一切表沙汰になっていない。
この時期といえば、年末から安倍首相の「桜を見る会」が自分の後援者たちを税金で接待したという疑惑で、年末から国会で追及され続けていた時期だ。自民党総裁の四選をどうするかというテーマもあったし、中国の新型インフルエンザ感染が拡がっていた時期でもあった。
筆者の河谷は、朝日の曽我豪が自身のコラムで触れてくれることを願って投書し、それは「声」欄に掲載された。
「メディアは権力者を監視するために不即不離の姿勢で臨み、客観的な目を持つことが必要だ。特定のメンバーだけが定期的に首相と会食するのは、記者の基本的な姿勢に疑問を抱かせる。私はダメだと思う。」
「なぜ、首相との会食が必要なのか。費用の負担はどうなっているのか。そしてどんな話をしたのか。読者として知りたい。」
「ぜひ書いて欲しい。曽我編集委員、期待しています。」
しかし、その後も曽我のコラムには一言もこの件に触れなかったそうだ。
訊かれても答えないのは安部そっくりだと筆者は言う。

かくして、安倍のメディアコントロールは深く静かに潜航しているのだ。
首相との親密な関係を嬉々としてTVで語る田崎の方が、未だ可愛いく見える。
朝日新聞もここ数年で論調が次第に変わってきた。6年前に例の従軍慰安婦の記事を掲載した辺りから、政権に配慮したような記事が増えてきた。
かつては朝日にも、臆せず、奢らず、高ぶらず、常に批判精神を持して政治家に接した記者がいたそうだが。
今は昔の物語。

2020/03/13

たまには戯言

ここんと暗いニュースばかりでウンザリだが、久々に明るい話題。
<米紙ワシントン・ポストは12日、トランプ大統領と7日に南部フロリダ州の別荘で接触したブラジル政府当局者が新型コロナウイルスに感染していたと報じた>
ほ~、するってぇとあの男にも感染するかも、こりゃ楽しみだ。
そのトランプ、東京五輪の延期に言及した。
こうなりゃ森会長、ワシントンに飛んでいってトランプにガツンと言ってやらねば男がすたる。だが、そんな度胸はないだろうし、第一シンキロウは英語が喋れないもんね。
五輪なんてどうでもいいと思ってるが、一所懸命に頑張ってきた選手の事を思えば中止は気の毒だから、延期するしかなかろう。
でも、五輪を延期するから首相の任期も、なんていうのは勘弁して。
予約していた落語会は次々流れるし、妻が呼吸器系の持病を持ってるんで外出は控えめ。
子どもさんだけでなく、老人だってフラストレーションが溜まってる。
ヤケクソに「東京五輪音頭」をパロった「東京コロナ音頭」を作ったが、不謹慎とお叱りを受けるので公表は一部分にとどめる。
皆さん、ご一緒に。
♪パンデミックの 顔と顔
 ソレトトンコトトンコ 顔と顔♪

2020/03/10

新型コロナウイルスを「正しく恐れる」理由

新型コロナウイルス感染問題は常にトップニュースとして扱われ、ワイドショーなどでは朝から晩までこの話題にで持ち切りだ。
未知のウイルスであることに対する恐怖心に加え、政府の後手後手というよりは悪手悪手の連発で日本社会に混乱が拡がっている。
しかし、このウイルスの感染については既に各国政府や研究機関から公表がなされており、徒に恐怖を煽ったりオーバーリアクションにならぬよう注意することも必要だ。
今年1月に国内でも新型コロナウイルスの感染が大きな話題になっていた頃に、ある病院で5人の患者が院内感染による肺炎で亡くなった事が報じられていたが、新聞では小さなベタ記事の扱いだった。
人の命に軽重はない筈だが、その扱いの差には釈然としない気持ちが残った。
今では更に新型ウイルスの感染は大きな問題となっているが、冷静に見れば従来の季節性インフルエンザに罹るリスクの方が遥かに大きいのだ。治療法があるとはいえ、後述の様に毎年多くの人々がインフルエンザで命を落としている。

先ず、日本国内での過去の季節性インフルエンザの感染者数と死者の数の推移を見てみよう。
これについては厚労省のHPで次の様に示されている。
【質問】
通常の季節性インフルエンザでは、感染者数と死亡者数はどのくらいですか。
【回答】
例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いると言われています。
国内の2000年以降の死因別死亡者数では、年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です。
また、直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。

ザックリといえば、日本国内では毎年
季節性インフルエンザの年間感染者数:およそ1000万人
同上 死亡者数:およそ1000人
同上 超過死亡者数(インフルエンザが原因で肺炎などで死亡):およそ1万人
というのが現状である。

下記に1950年から2010年までのインフルエンザによる死者数のグラフを示す(クリックで拡大)。
Deathbyflu
ここで2005年(SARSは2003年)のデータではこうなっている。
年間死亡者数:1818人
年間超過死亡者数:15100人
過去のデータから「感染者数=死亡者数X10000」とすれば、推定感染者数は1800万人となる。
この被害はパンデミックと言っても良い規模だが、全国一斉休校もなければテレワークも無く、イベントやスポーツの自粛要請は無かったと記憶している。人々は日常的な生活を送っていたことになる。
つまり過去には、この程度の被害は大きな問題とはされなかったという事だ。

次に、いま流行の新型コロナウイルスの現状を見てみよう。
3月9日現在の世界の感染者と死者は次の通り。
全世界 感染者108808人 死者3868人(致死率3.6%)
日本国内 感染者1216人 死者17人(致死率0.1%)
中国のみ 感染者80735人 死者3119人(致死率3.8%)
中国を除く 感染者28073人 死者749人(致死率0.3%)

WHOでは新型コロナウイルスの致死率を3.4%としているようだが、これは中国を含んでおり、中国を除けば今の所0.3%程度となっている。
また、少し以前の中国国内のデータでは次の様になっている。
中国全土 感染者20818人 死者563人(致死率2.7%)
湖北省を除く 感染者19665人 死者549(致死率0.3%)
中国国内でも湖北省を除けば致死率はおよそ0.3%となっており、前記の中国を除く全世界の数字と一致している。

話は変わるが、現在アメリカではインフルエンザが大流行していて、2019/10/1~2020/2/1の間で、感染者が約2200~3100万人、死者数が約1万2000~3万人となった報告されている。死者数からみて単なる季節性インフルエンザではなく、コロナウイルスの疑いも持たれているようだが、今のところ米国政府はこのインフルエンザに対しては特別な措置は取っていないようだ。

2020/03/06

落語『紙入れ』と、話題のあの人のこと

たまには下世話なネタを。
落語に『紙入れ』という演目がある。落語ファンならお馴染みのネタだ。
小間物屋(貸本屋という設定もある)の新吉、得意先の商家の新造から今夜は旦那が帰らないから遊びに来てくれと手紙をもらう。旦那には気が咎めるが新造には逆らえず店に出かける。
待っていた新造は新吉に酒を勧め、今日は泊っていけと言い寄る。誘惑に負けた新吉が隣の間に敷いてある布団に入ると、後から長襦袢1枚になった新造も布団に。
そこに表の戸を叩く音、帰らぬはずの旦那が帰って来たのだ。驚きうろたえる新吉を尻目に、新造は落ち着いて新吉を裏口から逃がす。
無事に逃げ出した新吉だが、紙入れを忘れたことに気付く。紙入れは以前に旦那から貰ったものだし、中には新造から貰った手紙も入っていた。
心配でまんじりともしなかった新吉が、翌朝いても立ってもいられず旦那の店に行く。新吉が浮かぬ顔をしているのを見て旦那があれこれ聞き出すと悩みは女のことだと言う。旦那は何をしてもいいが、主ある花だけはよせと説教するが、新吉はその相手というのが世話になってる店の女房だと言い、昨晩の出来事を恐る恐る他人事として語りだす。心配なのは忘れてきた紙入れが旦那に見つからなかったかと。
そこへ現れたのが当の新造。
「それは大丈夫と思うわ。だって旦那の留守に若い人を引っ張り込んで楽しもうとするくらいの女だから、そこに抜かりないと思うよ。新さんを逃がした後に回りを見て、紙入れがあればきっと旦那に分からないようにしまってありますよ。ねえ、あなた」
ご機嫌な旦那。
「そうとも。よしんば見つかったところで、自分の女房を取られるような野郎だよ。まさかそこまでは気がつかねえだろう」

「町内で知らぬは亭主ばかりなり」で、寝取られたのも知らず呑気な旦那だ。
でも待てよ、もしかしたらこの旦那は全てを知っていながらトボケテいるとしたら、この結末の解釈は全く変わってくる。
実は上方落語の中にはこの続きがあり、
新造「その間抜けな旦那の顔を見たいものですね」
すると旦那が顔を突き出して「おおかた、こんな顔だろう」
ね~、こっちの方がずっと怖いでしょ。

そこで今、思い出したのが話題のアノ人。
コトの経緯が『紙入れ』を連想させるし、
「私は妻のことを信じております。このことで夫婦の絆が壊れることもございません。離婚することも1億%ございません。この程度のことで絆が切れるということはない。あとは、私のかけがえのない妻を世間の目から守る。命がけで守る。それだけでございます」
というコメント、『紙入れ』の旦那もそんな心境だったのかな。

2020/03/05

「桂文我・桂梅團治 二人会」(2020/3/4)

第23回「桂文我・桂梅團治 二人会」
日時:2020年3月4日(水)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
開口一番・月亭秀都『鉄砲勇助(弥次郎)』
桂文我『大黒の読切』
桂梅團治『ねずみ』
~仲入り~
『対談』桂文我・桂梅團治
桂梅團治『兵庫船』
桂文我『紺田屋』

今週は3本の落語会を予定していたが、新型コロナウイルスによる自粛の影響で2本が中止、延期となり、この会だけになってしまった。
さすがに客の入りは少なめで、客と客の間の距離が空いていたので感染防止には有効だったかも。
だが高座は熱演続きだった。
梅團治が仕事が無くなってしまい収入が断たれ、しばらく食いつないでいくにのどうしようと思ってると言っていたが、噺家など芸人も日銭の暮らしなので大変なようだ。

文我『大黒の読切』
この間の政府の対応にかなり腹を立てていて、その思いのたけを10分ほど語っていた。人生幸朗みたいだった。最近では噺家がこうした事を言いたがらない風潮についても嘆いていた。
ネタは文我が、昔の速記本を掘り起こして再構成したもの。確かに速記とはだいぶ異なっていて改作と言えよう。
落語と異なって講談や浪曲の連続ものには『切れ場』というのがある。
文我の高座では、冒頭に「森の石松・金毘羅代参」の序を講談で披露してから(中身は廣澤虎造の啖呵だったが)、二人の男の会話に入る。
男が、秀吉が三面の大黒を破壊しておいて東山に盧舎那仏を建立した訳を訊くと、相手が日本は神仏習合で神から仏になるのだと。生まれたら氏神様にお参りし、死んだら寺に葬る。陽は東の神から上がり西の仏に沈む。皆そうだ。
男は、それなら寺の梵妻を大黒と呼ぶのは、仏から神にしていて逆ではないかとツッコムと、続きは席を改めてと切れ場で逃げるというもの。
確かに珍品。

梅團治『ねずみ』
元は浪曲の廣澤菊春(面白い浪曲師だった)から教わった3代目桂三木助が落語に仕立ててもので、名作として東京の高座でお馴染み。
これを梅團治が故郷の岡山に場所を移し上方落語に直したもの。
ストーリは東京のものと同じで、ねずみ屋の主人の身の上と、倅の健気さに打たれた左甚五郎がねずみを彫るまでを丁寧に演じた。
こうして聴いて観ると、上方のネタとしても全く不自然さはない。

『対談』で、二人とも大阪から東京へは車で来ていることを初めて知った。弟子やお囃子の人、荷物を積んでくるので車の方が経済的なんだろう。文我の自宅が資料室みたいだとか、いつもご夫婦で一緒に活動しているとか、そんなエピソードも。

梅團治『兵庫船』
金毘羅詣りの帰路、兵庫から大阪の天保山までの船旅というお馴染みの噺。梅團治の飄々としてどこか温か味のある芸が活きていた。

文我『紺田屋』
三条室町に紺田屋忠兵衛という縮緬問屋があり、そこにお花という18歳の今小町と評判の娘がいた。このお花、ふとしたことから床に伏せってしまい医者もお手上げの始末。お花は忠兵衛に、自分が死んだら一番好きな着物着せて綺麗に化粧もして頭陀袋に50両を入れて葬ってほしいと頼む。そして四条新町しん粉屋新兵衛のしん粉餅が食べたいと言ので、忠兵衛がお花の口に入れて食べさせていると、お花の喉に餅が詰まり息を引き取ってしまう。忠兵衛夫婦は泣く泣く娘の遺言通り死に化粧をして着物を着せ、50両を首から提げさせて棺桶に納め、四条寺町大雲寺に葬った。
その夜中、手代の久七が50両もの通用金を埋めると罪になると言うので、寺に忍び込みお金を掘り起こす。50両が入った袋を引き上げると、その弾みでお花の喉に詰まった餅が下に通って、お花が生き返る。今さら店に戻れず、そしてお花が伏せっていたのも久七への恋患いだったとうち明け、二人してその50両を持って東国へ逃げる。
娘に先立たれた忠兵衛夫婦は、商売も手に付かず奉公人にも去られ、店をたたんで四国西国の霊地を巡り、最後に木賃宿に泊りながら江戸に出て、浅草の観音さんに詣でます。そこに「紺田屋」という名の暖簾を掛けた商家が。その主人こそ手代だった久七で、忠兵衛夫婦を座敷に上げてお花との再会を果たす。
人生山あり谷あり、苦しい事も多いが、生きていればきっといい事があるという人生賛歌の物語。
今は厳しい状況だが、希望は捨てずに行こうと、文我に励まされた気分になった。

2020/03/04

「日本は終わった」のか

「ニューズウィーク日本版」に、慶應大学大学院経営管理研究学科(慶應ビジネススクール)准教授の小幡績による「一斉休校でわかった日本人のレベルの低さ」という記事が配信されている。
ネットのニュースで読んだ方もおられるだろうが、政府の全国一斉休校要請について、あらためて気付かされた点があった。
小幡績の論点は以下の通りだ。
①政府の一斉休校要請は最悪だ。感染拡大を抑えるということだが、子供の感染率は低いし、それよりも高齢者のスポーツジム利用自粛要請の方がまだましだ、という例で明らかなように、手段の優先順位が間違っている。
②最大の驚きは、官邸のこの意思決定に対する人々の反応だ。人々は、子供が家にいたら働きにいけない、と反発した。親が困る、と強く反対した。
③これに対し、官邸はこれまた見事に大きな誤りで反応した。公設の託児所、学童は閉めないと。
④小中学校よりも、託児所、保育園、学童の方が濃厚接触による集団感染のリスクは高い。そちらは親の反発を避けるために全力で開ける、というのは二重に間違っている。
⑤本当に大事なのは、親が働きに行けないことではない。一斉休校によって子供たちの教育がおろそかになることだ。
⑥学校教育で最重要なのは授業だ。その授業がなくなって 子供たちが勉強する機会を失う。これが学校を閉鎖することの問題のすべてだ。
⑦人々が、その点について全く無視しているのは、日本においては、教育というものをまったく重要だと思っていないことを現している。だから日本は終わりなのだ。
⑧日本ほど、世界で教育に関心のない国はない。日本は教育の中身に関心のない国なのである。これが、今回の休校要請騒ぎで明らかになった。

論点の①から④までは多くの人が指摘しており、昨日の参院の委員会審議でも政府の全国一斉休校要請には根拠がないことが明らかにされた。
問題は⑤以下の論点だ。
確かに、一斉休校により子どもの教育の場が奪われ、学力が低下するという心配の声は聞こえてこない。識者やメディアからもそうした指摘はあまりなされていない。
心配してなしということは、学校教育に関心がないか、あるいは期待してないということになろう。

「日本ほど(日本人ほどと言い換えても良いかも)、世界で教育に関心のない国はない」という指摘は耳が痛い。海外の事情はよく分からぬが、我が身を振り返っても、子どもの学校教育の中身や教育水準に関心を持ってこなかった。
子どもたちがどんな教科書を使っているのかさえ関心を持たなかった。
公立の小中学校の教科書はその地域の教育委員会が選定している。私が住む地域では毎年、学校で使う各社の教科書を展示し、閲覧した人が意見を提出することもできる。
教科書を審議し決定する教育委員会を傍聴することもできる。
これらは愚妻が一時期、熱心に取り組んでいたので知ったのだが、こうした事に関心を持つ親はごく少数だそうだ。かくいう私も無関心だった。

「日本は終わり」なんてことにならぬよう、私たち大人がもっと学校教育に関心を持たねばなるまい。
今回の一斉休校問題も、そうした観点から改めて検証する必要がある。

2020/03/02

「裁判官」の市民感覚

月刊誌「図書」3月号に、元裁判官で弁護士の原田國男著「物書き出世せず」という記事が掲載されている。これは司法の世界では若い裁判官が法律雑誌に論文などを発表すると出世できないと戒めたものらしい。そんな暇があるなら判決書の作成に専念せよという意味のようだ。しかし最近はそうした風潮も変わってきて、若い判事補が立派な学術論文を書いているとのこと。
論文だけでなく、SNSの時代にあって裁判官も一市民として発信することが許されるかという問題も生じてくる。

その点に関して記事では「岡田基一事件」を採り上げている。
事案は次のようなものだ。
ゴールデンレトリバーの飼い主が、雨のなか犬を公園に一晩中つなぎぱなしにしていた。翌日、雨で泥まみれになった犬を発見した人が、連絡先を書いた紙を残し自宅に連れ帰り、3か月近く飼育していた。
処が、犬の所在を知りながら3か月近く放置していた飼い主がから、犬の返還要求を受けたというものだ。
裁判所はこの請求を認めた。
これに対して関口高裁判事が、ツイートでこの飼い主に対して「あなた?この犬を捨てたんでしょ?3か月も放置しておきながら・・・」t書いたことが、飼い主の感情を傷つけ、裁判官の「品位を辱める行状」にあたるというもの。
最高裁は「戒告」の懲戒処分を決定した。

この件について著者は、岡田裁判官が以前にも、別件の女子高生殺人事件について遺族の気持ちを逆なでするようなツイートをしたことがあり、とても同情する気になれないとしている。
法曹界でもこの結論に対しては意見が分かれているようだ。
ただ言えることは、本件によって裁判官の社会への発言が完全に封じられることになったと著者は言う。
この最高裁の決定に異議を唱えたり是非を論じる裁判官は皆無であり、元々そのような自由はないのだと。

著者は、最高裁がこうした結論を出すのは十分に予測できていたが、興味は全員一致ではなく反対意見が出るかどうかだった。しかし反対意見は無く、3名の裁判官から補足意見があった。
それは、前記の遺族の気持ちを逆なでするようなツイートの方がより悪質で、それ自体が懲戒に値するとしたうえで、犬の件はいわば「last straw」として懲戒処分とするというもの。
註)「last straw」とは、ラクダが限界一杯に荷を背負っている時に、麦わら1本を加えただけで背骨が折れてしまうこと。限界を超えさせるものの例え。
この補足意見は、反対意見にもう一歩だったと著者は言う。

この最高裁の決定について賛成する側の意見として、木谷明元元裁判官の意見が引用されている。
「裁判官は午後5時過ぎても裁判官であって、普通の市民と全く同じ私人ということはできないと思います」
しかし、と著者は言う。
寅さんの映画で、司法試験受験の苦学生の口を通して、山田監督はこう言わせている。
「いやしくも、人の生命と自由と財産を守るべき裁判官と弁護士は、豊かな教養とのびやかな精神の持ち主でなければならない」
「豊かな教養とのびやかな精神」は裁判官にとって不可欠だ。なぜなら裁判は人を裁くからだ。いくら法律論に長けていても、これが無ければ良い裁判ができないと著者は締めくくっている。

ところで、先の犬の裁判の件ですが、愛犬家の方はどう思われますか?

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