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2020/03/04

「日本は終わった」のか

「ニューズウィーク日本版」に、慶應大学大学院経営管理研究学科(慶應ビジネススクール)准教授の小幡績による「一斉休校でわかった日本人のレベルの低さ」という記事が配信されている。
ネットのニュースで読んだ方もおられるだろうが、政府の全国一斉休校要請について、あらためて気付かされた点があった。
小幡績の論点は以下の通りだ。
①政府の一斉休校要請は最悪だ。感染拡大を抑えるということだが、子供の感染率は低いし、それよりも高齢者のスポーツジム利用自粛要請の方がまだましだ、という例で明らかなように、手段の優先順位が間違っている。
②最大の驚きは、官邸のこの意思決定に対する人々の反応だ。人々は、子供が家にいたら働きにいけない、と反発した。親が困る、と強く反対した。
③これに対し、官邸はこれまた見事に大きな誤りで反応した。公設の託児所、学童は閉めないと。
④小中学校よりも、託児所、保育園、学童の方が濃厚接触による集団感染のリスクは高い。そちらは親の反発を避けるために全力で開ける、というのは二重に間違っている。
⑤本当に大事なのは、親が働きに行けないことではない。一斉休校によって子供たちの教育がおろそかになることだ。
⑥学校教育で最重要なのは授業だ。その授業がなくなって 子供たちが勉強する機会を失う。これが学校を閉鎖することの問題のすべてだ。
⑦人々が、その点について全く無視しているのは、日本においては、教育というものをまったく重要だと思っていないことを現している。だから日本は終わりなのだ。
⑧日本ほど、世界で教育に関心のない国はない。日本は教育の中身に関心のない国なのである。これが、今回の休校要請騒ぎで明らかになった。

論点の①から④までは多くの人が指摘しており、昨日の参院の委員会審議でも政府の全国一斉休校要請には根拠がないことが明らかにされた。
問題は⑤以下の論点だ。
確かに、一斉休校により子どもの教育の場が奪われ、学力が低下するという心配の声は聞こえてこない。識者やメディアからもそうした指摘はあまりなされていない。
心配してなしということは、学校教育に関心がないか、あるいは期待してないということになろう。

「日本ほど(日本人ほどと言い換えても良いかも)、世界で教育に関心のない国はない」という指摘は耳が痛い。海外の事情はよく分からぬが、我が身を振り返っても、子どもの学校教育の中身や教育水準に関心を持ってこなかった。
子どもたちがどんな教科書を使っているのかさえ関心を持たなかった。
公立の小中学校の教科書はその地域の教育委員会が選定している。私が住む地域では毎年、学校で使う各社の教科書を展示し、閲覧した人が意見を提出することもできる。
教科書を審議し決定する教育委員会を傍聴することもできる。
これらは愚妻が一時期、熱心に取り組んでいたので知ったのだが、こうした事に関心を持つ親はごく少数だそうだ。かくいう私も無関心だった。

「日本は終わり」なんてことにならぬよう、私たち大人がもっと学校教育に関心を持たねばなるまい。
今回の一斉休校問題も、そうした観点から改めて検証する必要がある。

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教育」カテゴリの記事

コメント

日本人は教育熱心だなんてはるか昔の話ですね。

佐平次さん
今回の一斉休校について、子どもたちの教育の権利を奪ったという面からもっと論じられていいと思います。

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