「伝染病」の思い出
1951年頃と記憶しているが、小学校から帰宅したら家の中がまるで雪が降ったように白い粉が積もっていた。母が言うには、父親が「赤痢」に罹って救急車で運ばれ、それで保健所の人が来て家じゅう消毒をしたと。当時の消毒は「DDT(Dichloro Diphenyl Trichloro ethane)」の撒布で、形状が白い粉末だったので雪の様に見えたのだ。
「赤痢」というのは当時コレラやチフスなどと並ぶ法定伝染病で、戦後だから抗生物質が日本にも入ってきたとはいえ死に至る病だった。
しかし他の家族3人には検疫もなく、さすがに飲食店だった店は閉めたが、私も兄も翌日から何事もなかった様に学校に通った。近所や友人からも何も言われることもなかった。
今ならさしずめ感染経路や濃厚接触者(家が飲食店だったから対象者は多かっただろう)を調べたり、家族は隔離されたり、知事だた区長だかが記者会見を開いたり大騒ぎだったろうが、そういう事もなかった。
幸い、父は大事に至らず暫くして退院してきて、店も再開した。
「DDT」は元々は殺虫剤、農薬として開発されたものだが、当時は主に米軍が防疫のための消毒剤として使っていた。その後、残留農薬や環境ホルモンなどの問題が明らかになり、日本では1969年には稲作への使用禁止、1971年には全面的な販売停止となった。
そんな事も知らず、私たち家族はDDTの積もった家の中で暮らしていたのだ。
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