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2020/11/29

【しゃれ言葉】猿の小便、気(木)にかかる

「見上げたもんだよ、屋根屋のフンドシ」は映画「男はつらいよ」でお馴染みのフーテンの寅さんの言葉だ。「しゃれ言葉」といい、私が子どもの頃には周囲の大人がよく使っていた。
「猿の小便、気(木)にかかる」
「カエルの小便、いけ(池)しゃあしゃあ」、「いけしゃあしゃあ」は図々しいという意味だが、近ごろはあまり耳にしない。
「百姓の小便、たいした(田へした)もんだ」、別に「たいした(田へした)もんだよ、イナゴの小便」もある。
「川流れのフンドシ、食い(杭)に掛かったら離れない」、ひたすら食べ続ける人。
「娘のフンドシ、くい込む一方」、思いがけなく支出が増えて困る。御想像あれ。
「坊主の頭、言う(結う)ことなし」
「貧乏人の嫁入り、ふりそうで(振袖)ふらない」、はっきりしない天気。

この他に相手が言ったことに返す時にしゃれる言葉がある。
「そうか」に、「そうか(草加)越谷千住の先よ」
「ありがとう」に、「蟻が十(とう)なら芋虫しゃ二十歳(はたち)」
「ありがたい」に、「蟻がたい(鯛)なら芋虫しゃ鯨」

漢字のしゃれ言葉もある。旧字体でないと通用しないけど。
「櫻(桜)」という字を分解すれば、二階(貝貝)の女が気(木)にかかる。
「戀(恋)」という字を分解すれば、愛し(糸し)愛し(糸し)と言う心。

まだまだ沢山あるでしょうが、この辺で。

2020/11/28

「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー~」

「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー~」(2017年制作)
監督:佐古忠彦
ナレーション:山根基世, 大杉漣

かつて翁長沖縄県知事と会談した菅官房長官(いずれも当時)が「戦後生まれだから沖縄の歴史はわからない」と言い放った。こういう人物が今は首相になっているのだから呆れる他ない。沖縄戦から戦後の沖縄の歴史を知らずして国会議員を名乗るなかれ。
アジア太平洋戦争の末期における沖縄戦は島民の四人に一人が犠牲になるという壮絶な戦いだった。重要なのはこの戦いが、日本軍が唱えていた「本土決戦」の前哨戦であったことだ。犠牲は米軍にも及び、第二次世界大戦においてアメリカ軍の司令官が戦死した唯一の戦闘だった。米軍兵士の3分の1が精神に異常をきたしたと言われる。
沖縄戦を経て日米両政府ともに「本土決戦」だけは避けようという空気が醸成され、終戦への道に進むことになる。
しかし日本政府は沖縄に対して冷たかった。1951年に締結した(発効は1952年)「サンフランシスコ講和条約」によって日本は独立するが沖縄は除外されて、本土に返還されるのは20年後の1972年だ。その間、沖縄は米国の統治下に置かれた。
自由と民主主義の国である筈のアメリカだが、その統治は苛烈だった。農地は次々と取り上げられ米軍基地となっていった。抵抗すれば容赦なく弾圧される。
その米軍統治下の沖縄で唯一人、弾圧を恐れず米軍にNOと叫んだ日本人がいた。「不屈」の精神で立ち向かった沖縄のヒーローこそ瀬長亀次郎。民衆の前に立ち、演説会を開けば毎回何万人も集め、人々を熱狂させた。
米軍は瀬長の力を恐れ彼を投獄するが、それによりむしろ瀬長への支持が拡がる。
瀬長が那覇市長に当選すると、米軍は那覇市への水道水の供給を断つなど嫌がらせする。市民生活の混乱に乗じて瀬長市長を不信任にするが、市議選では瀬長支持派が多数を占める。すると今度は米軍は新たな法律作り、投獄の経験のある者は立候補を認めなくする。全ては瀬長の影響力を削ぐためだった。
しかしこうした米国の策謀は功を奏せず、本土返還後は瀬長は国会議員に選出され、沖縄の核付き返還という実態を政府に激しく追及する。
本作品は生涯を沖縄の人々の為に捧げた瀬長亀次郎の生涯を、関係者の証言を集めてドキュメンタリーとして紹介したものだ。
自主上映の映画だったが、今ではamazon primeで無料で観ることができるので、関心のあるか方はご覧ください。

2020/11/26

ワタシ「皇族」稼業に向いてないモン

皇族のA殿下の長女M子が男性Kと近く結婚するのではということが大きな話題になっている。
Kの出自があまり宜しくなく、借金まで抱えているとかいないとかということが、結婚の障害になっているようだ。当人が好きだと言ってるんだから、第三者がとやかく騒ぎ立てることは無いと思うのだが、皇室のことになると黙っていられない国民がいるようだ。私たちの税金でメシを食ってるんだから国民の総意に従えということか。

皇族といえども一般国民と同じ教育を受けている。海外留学を通して外国の状況も把握しているだろう。
処が、皇族というだけで選挙権をはじめ各種人権や表現の自由は無いか、あるいは著しく制限されている。そういう自分に対して疑問を感じたり、そこから抜け出したいと思う人がいてもなんら不思議はない。
公務だなんだと一般の人に接するときは、常に笑みを浮かべ手を振ってなければならない。そういうことが嫌いだったり苦手だったりする人もいるだろう。
生活保障されてるじゃないかと言っても、当人たちからすれば別に頼んだわけじゃないし、いわば国民が勝手に決めていることだと。
女性の皇族には一応の結婚の自由はあるが、過去の例からすれば広義の政略結婚とも思える組み合わせが少なくない。それでも皆が皆、夫婦円満で幸せな結婚生活であれば良いのだが、漏れ伝わる所によれば必ずしもそうでもないようだ。

現在の皇室典範では、皇族女子が一般男性と結婚した場合、「皇族の身分を離れる」と定めている。
処が、政府は女性皇族が結婚して皇籍を離脱した後も特別職の国家公務員と位置付け、皇室活動を続けてもらう制度の創設を検討している。「皇女」という新たな呼称を贈る案が有力だそうだ。
「えー、結婚してもまだ皇室活動を続けなくちゃいけないの? それじゃ一生縛られるじゃない、冗談じゃないわよ!」
そんな制度が出来る前にさっさと結婚してしまおうという人がいても、誰も非難はできない。

2020/11/24

サクラサク

ようやくと言うべきか、とうとうと言うべきか、安倍前首相の「桜を見る会」疑惑にメスが入りつつある。
安倍晋三前首相側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、会場のホテル側に支払われた総額が、昨年までの5年間に計約2300万円に上ったのに対し、参加者からの会費徴収額は計1400万円余りにとどまっていた疑いのあることが分かった。
東京地検特捜部は、差額の計800万円以上を安倍側が補填していた可能性があるとみて捜査している。
前夜祭は昨年まで、政治団体「安倍晋三後援会」が「桜を見る会」の前日に東京都内のホテルで開催。毎年、地元山口県の支援者ら数百人が1人5000円の会費で参加し、飲食が提供されるなどしていた。
ホテル側は安倍側から差額を受領したことを示す領収書を作成し渡していたと言い、特捜部も既に領収書の存在を把握している。
特捜部はホテルや安倍側から提出された資料を分析するとともに、公設第1秘書や私設秘書のほか地元の支援者から任意で事情を聞いた。
前夜祭を巡っては、差額分を安倍側が補填していたのではないかと野党が追及。市民団体なども政治資金規正法違反や公職選挙法違反の容疑で特捜部に告発状を提出していた。
これまで安倍は国会で、5000円の会費について「ホテル側が設定した価格だ」などと補填疑惑を否定し、ホテル側から「明細書の提示はなかった」との主張を」繰り返していた。特捜部の見立て通りであるとすれば、安倍はウソをつき続けていたことになる。

安倍が首相を退陣してから2ヶ月あまりで捜査の手が伸びたことに驚きや戸惑いの声があるかも知れない。
しかし、総理官邸をめぐる権力闘争とみればさほど不思議はない。
菅首相の国会答弁などの不手際や言い間違い読み間違いが続くなかで、自民党内にも菅に対する失望感が広がり、菅政権は長く持つまいという声が囁かれている。その反動として安倍の再登板を期待する声もある。
菅としてはいつ寝首をかかれるかも知れず、これではおちおちしてられない。先手をうって、安倍の再登板の火だけは消しておく必要があったのでは。

もう一つ、公明党が次期衆院選で広島3区に斉藤鉄夫副代表を擁立することを検討しているが、広島を地盤とする自民党の岸田文雄前政調会長率いる岸田派に波紋を広げている。広島県は6人の現職国会議員を抱える岸田派の牙城だ。
公明党が候補を立てるとしたら、予め菅首相や首相を支える二階幹事長の了解を得てのことだろう。
これも次期総裁の候補である岸田潰しと考えれば分かりやすい。

それやこれやで安倍の「桜疑惑」は波乱含みだ。
首相がウソをついても裁かれないと前例を作らせない為にも、国会への安部の喚問と、検察による徹底した捜査が望まれる。

2020/11/23

寄席の唄(下)

今回は座敷唄の中から、寄席の音曲師によって今も高座で披露されている曲を選んでみた。

「梅が枝節」

梅が枝の手水鉢
叩いてお金が出るならば
若しもお金が出た時は
其の時や身請けを ソウレタノム

此の頃の米相場
あたりて儲けになるならば
若しも儲けになるならば
其の時や芸者衆を それ頼む

青柳の風の糸
結んでゑにしになるならば
若しもゑにしになるならば
桜の色香を それ頼む

詞は幕末から明治の作家・仮名垣魯文の作と言われる。節は当時日本で流行していた中国の音楽「九連環」(落語『らくだ』に出て来る「かんかんのう」と同じ)。
第1節は、浄瑠璃『ひらかな盛衰記・第4段』のパロディ。
替え唄も多く、よく知られているのは次のようなものがある。
お互いの胸と胸
合わせて子どもが出た時は
もしもその子がいい子なら
其の時やお役者 ソウレタノム
もしもその子が変な子なら
其の時や噺家 ソウレタノム

「春は嬉しや」

春は嬉しや 二人転んで花見の酒
庭の桜に朧月
それを邪魔する雨風が
チョイと散らして又咲かす

夏は嬉しや 二人転んで涼みの船
風がりんきで簾捲く
恋の瀬川に竿立たず
チョイト浮名が流れ行く

秋は嬉しや 二人転んで月見の窓
色々話しを菊の花
鹿と分からぬ主が胸
チョイト私は気を紅葉

冬は嬉しや 二人転んで雪見の酒
障子明くれば銀世界
話しが積もれば雪もつむ
チョイト解けます炬燵中

春の花見は 小室嵐山祇園の桜
夏は疎水の涼み船
秋の紅葉は永観堂
冬は丸山雪見酒

別題は「四季の唄」。「二人転んで」の部分は、今日では「二人揃って」と唄われる。

「東雲節」

何をくよくよ川端柳
別れが何んとしょ
水の流れを見て
東雲の明烏 さりとは辛いネ
てなこと仰いましたよ

潮来出島の真菰の中に
別れが何んとしょ
あやめ咲くとはしほらしい
東雲の明烏 さりとは辛いネ
てなこと仰いましたよ

遇いたさ見たさに飛びたつ斗(ばか)り
別れが何んとしょ
かごの鳥かや うらめしい
東雲の明烏 さりとは辛いネ
てなこと仰いましたよ

丸い玉子も切り様で四角
こがるる何んとショ
ものも言い様で角が立つ
東雲のストライキ さりとは辛いネ
てなこと仰いましたよ

何をくよくよ川端柳
こがるる何んとショ
水の流れを見て暮らす
東雲のストライキ さりとは辛いネ
てなこと仰いましたよ

蒸気出てゆく煙が残る
こがるる何んとショ
残る煙がしゃくの種
東雲のストライキ さりとは辛いネ
てなこと仰いましたよ

別名は「ストライキ節」。「てなこと仰いましたよ」の部分は、今日では「仰いましたかね」と唄う。同じく「蒸気」は「汽車は」と唄う。

「芝で生まれて」

芝で生まれて神田で育ち
今じゃめ組の アノ纏持ち

京で生まれて大阪で育ち
今じゃ南で アノ左妻 

芝できいたか上野の鐘を
あれは高輪 アノ泉岳寺

三浦三崎でドンとうつ浪は
可愛男の アノ度胸だめし

別名は「め組節」。「左妻」は芸者稼業。

「深川くずし」

丸髷に 結われる身をば持ちながら
意気な島田や 
ホントニソウダワネー
チョイト 銀杏返し
とる手も恥ずかし 左妻 デモネ

何時きても 柳に風の吹き流し
遠くなる気か
ホントニソウダワネー
チョイト 切れる気か
惚れたを見込んで 焦らすのか デモネ

お互ひに 思ひを遂げて去年よりの
胸もさらりと
ホントニソウダワネー
チョイト 新玉の
晴れて嬉しや 今朝の雪 デモネ

神長瞭月と山口凌雲の共作。オリジナルでは「デモネ」の後に終了を示す「トン」が付けられていた。

「さのさ」

人は武士 花は桜田御門の前で
時の大老掃部様 アリャ
三月三日のご登城先で
水戸の浪士が真っ赤な雪降らす サノサ

敷島の 大倭心を人問わば
朝日に匂う山桜 アリャ
誘う嵐にネー 散る花も
心ぞ真の大倭武士 サノサ

花ずくし 山茶花 桜か水仙か
寒に咲くのは梅の花
牡丹 芍薬 ネー百合の花
おもとの事なら南天 菊の花 サノサ

丸髷に 結わるる身をば持ちながら
時節を待てとの仰せゆえ
今日の苦労も ネーするわいな
晴れて沿う日は何時の事 サノサ

手をとりて グッドバイよと二足三足
別けれかねてはまた戻り
互いに見交わす ネー顔と顔
何も云わずに目に涙 サノサ

君は今 駒形あたり時鳥
啼いて明せし胸のやみ
月の顔見りゃ ネー思ひ出す
欄干(てすり)にもたれて独りごと サノサ

八重一重 山も朧に薄化粧
娘盛りはよい桜花
嵐に散りて ネー主さんに
逢ふてなま中 跡くやむ サノサ

打ち水に 昼の暑さを忘れてし
雫の山の草の葉に
月も宿りて ネー涼風の
添ふて沢辺に啼くかはず サノサ

惚れて チョイト通えば千里が二千里も
今じゃ電車も汽車もある
アーリア電気も瓦斯灯も 立ててある
こちゃ恋路にや迷わせぬ サノサ

賑やかな 町のさわぎがいやになり
田舎に住めば友もなく
鳥の声にも ネー聞き飽きて
又も都が懐かしい サノサ

第1節は、井伊大老が暗殺された桜田門外の変を詠んだもの。第2節は本居宣長の短歌による。「丸髷」は結婚した女性の髪型。

2020/11/21

寄席の唄(中)

「縁かいな」

夏の涼みは両国の
出舟入船屋形船
あがる流星ほし降り
玉屋が取り持つ縁かいな

二人暑さを川風に
流す浮名の納涼船(すずみぶね)
あわす調子の爪弾きは
水も漏らさぬ縁かいな

ちらりと姿を三囲(みめぐり)の
仇し契りを枕橋
恋の闇路を言問いの
お茶屋が取り持つ縁かいな

思うお方と思わずも
手に手重ねし嬉しさに
顔も小倉の夕紅葉
かるたが取り持つ縁かいな

積るうらみは夜の雪
心赤穂の武士(もののふ)が
堪えかねたる主の仇
せめ込む前後の門かいな

小野の小町に深草が
通いつめたる九十九夜
いつしかつれない落とし穴
これぞ骨折りぞんかいな

大阪上りの徳永里朝がこれを「議論かいな」「苦界かいな」と唄い変えて人気を博した。後半は小倉百人一首や赤穂浪士の討ち入り、小野の小町の伝説を織り込んでいる。

「きんらい節」

浦里がア 忍び泣きすりゃ縁も共に
貰い泣きする明烏アす
キビスガンガン イカイドンス
キンギョクレンスノ スクレンボウ
スチャマンマン カンマンカイノ
ヲビラボウノ キンライライ
あほらしいじゃ をまへんか
かみさんきててや をまへんか
毎晩きててや をまへんか
おおきーに はばかりさん

すりばちいをウ
伏せてながむりゃ三国一の
味噌を摺るがの不二の山
キビスガンガン イカイドンス
キンギョクレンスノ スクレンボウ
スチャマンマン カンマンカイノ
ヲビラボウノ キンライライ
あほらしいじゃ をまへんか
かみさんきててや をまへんか
毎晩きててや をまへんか
おおきーに はばかりさん

千両箱 不二の山ほど有ってもいらぬ
冥土の土産になりはせぬ
キビスガンガン イカイドンス
金側竜頭の時計下げて スチャマンマン
金満家の札びら切って イライライ
キビスガンガン イカイドンス
キンギョクレンスノ スクレンボウ
スチャマンマン カンマンカイノ
ヲビラボウノ キンライライ
あほらしいじゃ をまへんか
かみさんきててや をまへんか
毎晩きててや をまへんか
おおきーに はばかりさん

盃を取りあげ顔打ちながめ
そうもお前は呑みたいーか
一盃 二盃 三盃 四盃
スコボコノンデ ヨイタンボノ
スッテンテレツク スッチャンチャンノ
ヲベラボウノ ユカイカイ
キビスガンガン イカイドンス
キンギョクレンスノ スクレンボウ
スチャマンマン カンマンカイノ
ヲビラボウノ キンライライ

落語家の騎江亭芝楽作とされている。リフレンの部分は意味不明のようだが、金権や選挙干渉が立憲政治にとって詰らぬ事だという解釈があるようだ。

「琉球(りきゅう)節」

琉球と鹿児島と 地続きならば
通うて酒盛りして見たい
シタリヤヨメヨメ シンニヨタヨタ
シテガンガンヨ セッセ

児(ちご)が前髪 切らしゃるならば
妾(わ)しも止めましょ 振袖を
シタリヤヨメヨメ シンニヨタヨタ
シテガンガンヨ セッセ

琉球へおじゃるなら 
草鞋はいておじゃれ
琉球は石原こいし原
シタリヤヨメヨメ シンニヨタヨタ
シテガンガン

花は霧島 煙草は薩摩
ういて上がるが桜島
シタリヤヨメヨメ シンニヨタヨタ
シテガンガン

逢いはしなんだか玄界灘で
二本柱の帆前船
シタリヤヨメヨメ シンニヨタヨタ
シテガンガン

落語ファンならお馴染みのネタ『棒鱈』で、江戸っ子の隣の部屋にいた薩摩の侍が第3節を手拍子で唄う。「児(ちご)が前髪 切らしゃるならば 妾(わ)しも止めましょ 振袖を」の部分は、あなたが元服するなら私はお嫁になりますの意味。

2020/11/20

小池都知事の「なんにもしない宣言」

東京都の小池百合子知事が11月19日夕に記者会見し、新型コロナウイルスの重症者対策や個々の感染防止の徹底に軸足を置き、会食時は「5つの小」を意識するよう呼びかけた。「5つの小」について「小人数、小1時間、小声、小皿、小まめに換気、消毒」と説明。「第2波」の際に実施した飲食店に対する営業時間の短縮要請はしなかった。

出たよ! お得意の屁のツッパリにもならぬ標語。標語を出してはやってるフリをするのが小池流。
菅首相の「静かなマスク会食を」の呼びかけと双璧だね。
要は行政としては何もしないから、個人個人が注意しろということだ。
この緊急事態にこの程度の発想しかない愚か者の指導者たち。

中原中也の詩じゃないけど、
「此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど」
「なんだか自信が持てないよ」
と絶望的な気持ちになる。

2020/11/18

寄席の唄(上)

明治期に寄席で流行った唄をいくつか紹介する。元はわらべ唄や俗謡だったものが寄席を通して広く知られるようになった曲が多く、現在も寄席で披露されているものもある。出典はいずれも「近代はやり唄集」(岩波文庫)より。

「すててこ」

向ふ横町のお稲荷さんへ一銭あげて
ざっと拝んでお仙が茶屋へ
腰を掛けたら渋茶を出して
渋茶よこよこ横目で見たらば
米の団子か土の団子か
団子団子で此奴は又いけねえ
ウントサノドッコイサ
ヨイトサノドッコイサ
ウントサノドッコイサ
ヨイトサノドッコイサ
せっせとお遣りよ

さても酒席の大一座
小意気な殿御の振事に
端唄に大津絵 字余り都々逸
甚句にかっぽれ 賑やかに
芸妓に浮かれて 皆さん御愉快
お酌のすててこ 太鼓たたいて
三味線枕で ゴロニャンニャン

初代三遊亭圓遊(鼻の圓遊、ステテコの圓遊)が寄席で、自分の大きな鼻を捨てる仕草をして「捨ててこ、捨ててこ」と言いながら踊ったのが人気を博した。
ここに出て来るお稲荷さんは谷中の笠間稲荷で、笠間とかけて瘡(かさ)の治癒を祈る人は土の団子を、治った人は米の団子を備えた。「お仙」は笠間稲荷前の茶屋「鍵屋」の看板娘で浮世絵のモデルにもなった。

「ヘラヘラ」

赤い手拭 赤地の扇
それを開いてお目出たや
ヘラヘラヘエノ ヘラヘラヘエノ
太鼓が鳴ったら賑やかだよ
ほんとにそうなら済まないね
トコドッコイ
ヘラヘラヘエノ ヘラヘラヘエノ

諸色が高くて不景気ダアヨ
三度の御膳も食えないよ
腹腹腹 空(へる)空空

おどけの元祖は○珍ダアヨ
ほんとにお臍の皮は寄る
カラカラカラ ゲタゲタゲタ

火事と泥棒は真っ平ダアヨ
逢うたびからだが縮まるよ
ガタガタガタ ブルブルブル

お髭があっても醜男デーモ
寝児ならお金で直ぐほれる
片羅(ヘラ)片羅片羅 転(コロ)転転

大暑になったらかくらんダアヨ
ほんまにこれらじゃ助からぬ
ゲロゲロゲロ ビリビリビリ

初代三遊亭萬橘(ヘラヘラの萬橘)が赤い手拭い、赤地の扇子を手にして、へらへら節を唄いながら奇妙な手つきで踊ったのが人気を博した。
「○珍」は「団団珍聞(まるまるちんぶん)」の略称。「寝児」は芸者。

「テケレツパ」

さへる十五の わしゃ月なれど
人がくもりをかけたがる コリャ
西からそよそよこい風で
心のくもりもさっぱりと
はれたらお星が たんとたんと
テケレツパ

とかく浮世は 苦娑婆(くしゃば)とやらで
ほしがる大家にゃお子がない コリア
食わせるあてない 貧(びん)つくは
あしたの兵糧もないくせに
子だからばっかり たんとたんと
テケレツパ

いまじゃひらけて 高野の山も
女きんぜい やめになり コリア
にくじき さいたい お許しで
へっつい ざんぱつ 女房もち
これから子どもが たんとたんと
テケレツパ

なんといわりょが 世間は世間
わたしゃわたしで 惚れたひと コリア
すえには手鍋をさげるとも
一生そうのが楽しみと
いつでものろけが たんとたんと
テケレツパ

浮気よする気は すこしもないが
ほれたおかたが あるばかり コリア
浮かれた座敷の大一座
芸者は二上がり三下がり
銚子のおかわり たんとたんと
テケレツパ

うちのおかかは大黒ゑびす
いつもにこにこ福のかみ コリア
はいはい気軽にともかせぎ
そのうえ夜なべもだいすきで
働きあお札も たんとたんと
テケレツパ


4代目立川談志(釜掘りの談志)が羽織を後ろ前に来て、手拭いを4つにたたんで後ろ捻り鉢巻、扇子を半開きにして衿元へはさみ、座布団を脇に抱えて「そろそろ始まる郭巨の釜掘り、テケレッツのパッ!」と言いながら高座を歩き回った。「ステテコの」初代三遊亭圓遊、「ヘラヘラ節の」初代三遊亭萬橘、「ラッパの」 4代目橘家圓太郎と共に明治の「珍芸の四天王」と言われもてはやされた。

2020/11/16

第67回「上方落語会」(2010/11/15)

第67回「上方落語会」
日時:2020年11月15日(日)14時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
桂華紋『道具屋』
桂文鹿『紙相撲風景』
『出演者によるトーク』
  《仲入り》
桂雀太『代書』
桂佐ん吉『火事場盗人』

横浜にぎわい座の第67回「上方落語会」は2019年の各種受賞者のメンバーを揃えた旬な顔ぶれ。
お目当ては、初見の桂華紋。

華紋『道具屋』
2010年 桂文華に入門
2019年 第6回NHK新人落語大賞を受賞
確かに上手いし高座に華がある。『道具屋』はちょうど漫才のボケとツッコミに似た会話で構成されているが、このツッコミの「間」がとても良い。このネタでこんなに笑ったのは久々だ。

文鹿『紙相撲風景』
1994年 桂文福に入門
2019年 第14回繁昌亭大賞奨励賞を受賞
お馴染み『相撲風景』を本人の趣味である紙相撲に置き換えたネタ。子ども遊びとは異なり、本場所から番付まである大人の趣味とのこと。大相撲の蘊蓄満載で、とりわけ力士の形態模写が面白かった。上方にはこうした一芸のような人がいるのが強味だ。

『出演者によるトーク』では、コロナ前後で繁盛亭の客層が変わってきたとのこと。東京の寄席ではどうだろうか?

雀太『代書』
2002年 桂雀三郎に入門
2016年 NHK新人落語大賞を受賞
2019年 文化庁芸術祭賞新人賞を受賞
風貌のせいもあるかも知れないが、芸はもう若手というより中堅に近い印象。
『代書』は大師匠の枝雀に比べ人物のデフォルメを抑え気味にして演じていたが、最後に「ポーン!」と爆発させてサゲた。

佐ん吉『火事場盗人』
2001年 桂吉朝に入門
2011年 文化庁芸術祭賞新人賞を受賞
2015年 NHK新人落語大賞を受賞
2019年 国立演芸場花形演芸大賞金賞を受賞
ネタは小佐田定雄作の創作落語。
京都で空き巣に入ろうとして火事騒ぎに巻き込まれた泥棒、店の主人が慌てて女の赤ん坊を入れたつづらを奉公人と間違えて泥棒に渡してしまう。家に帰ってつづらを開けると中から赤ん坊が出てきて驚く泥棒夫婦。焼け跡を訪ね歩き親を探すのだが見つからず、そうこうしている内に夫婦は自分たちの子どもとして育てる決意をし、自宅を堺に引っ越しやがて18年が経つ。今は泥棒の足を洗って職人になった男が、娘を連れて京都の誓願寺に。寺の前の茶店で、娘が買い物に行っている間に、そこの主人の身の上話を聞きいていると、火事の時の店の主人であることが分かる。男は娘を本当の父親に返そうとするが、主人は今まで通り娘を育ててあげてと頼む。去ってゆく二人を見送る主人に娘が近づいてきて、一言「お父ちゃん」。娘は事情を察していたのだ。
前方の雰囲気からガラっと変わって人情噺風の展開だったが、佐ん吉の高座はそれぞれの人物を演じ分けていて惹き付けられた。

4人の実力派による競演、結構でした。

2020/11/14

あゝ麗はしい距離(ディスタンス)

   「母」    吉田一穂
あゝ麗はしい距離(ディスタンス)、
つねに遠のいていゆく風景・・・・・・・
 
悲しみの彼方、母への、
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)

中学生の頃に読んだ本に書かれていた詩で、印象が深くて暗誦していた。吉田一穂の「母」という詩である。
母とボクは折り合いが悪く、恐らく性格が似すぎていたせいだろうか、いがみ合う事が多かった。上の詩人のような心境にはほど遠かったが、だから却ってこの詩に魅かれたのかも知れない。
母との関係が良くなったのは、ボクが結婚して家を出てからで、母は足繁く我が家を訪れるようになり、2,3度は一緒に旅行にも行った。こんな事は実家にいた時には考えられなかった。
どうやら物理的なディスタンスを置いたことが、母とボクのディスタンスを近づけたようだ。

永い間一年に一度は合う事にしていた友人グループが3つほどあったが、コロナの影響でいずれも今年途切れてしまった。この分では来年もどうなるか分からない。
ボクたちの様な歳になると、お互い元気で会える機会は限られている。
早くコロナが終息し、「つねに遠のいていゆく風景」にならぬよう祈るばかりだ。

2020/11/12

トランプのアメリカ、スガのニホン

アメリカ大統領選挙は民主党のバイデンが勝利し、次期大統領に就任することになり、日本国内でも様々反響をよんでいる。
しかし私には、前回の選挙より800万票も積み増して7000万票以上もの得票を得たトランプの方が気になる。
フェイクニュースを垂れ流し、自分に反対する者を罵り、人種差別を煽り、選挙に負けても票が逃げただの消えただのと未だに自分が勝ったと言い張っている人物、そのトランプにアメリカ人の半数近くが投票したという事実に恐怖さえ感じる。
もやはアメリカは自由な民主主義国家ではなくなってしまったのかとさえ思えるのだ。

ふりかえって日本の状況だが、私は家にいる限り決まって昼のNHKニュースをみている。従って菅総理が官房長官だった当時は、記者会見の模様を日々みてきた。
菅の眼の奥の昏さ、木で鼻をくくったような横柄な応答と、時々見せるひきつった様な笑い。そこから受けた印象は「陰険」だ。
だから、菅内閣の支持率が異常と思えるほど高かったのと、理由に菅が信用できそうと答えた人が多かったのに驚いた。
人を見る目がなかったかと思ったが、日本学術会議の6名の除外をみてやはり予断は当たっていたと思った。
この問題の本質は「赤狩り(レッドパージ)」だ。つまり政府として今後、共産党とその周辺の人物を排除してゆくという明確な意志表示である。「赤狩り」がやがて言論の自由を奪い、国民の権利を抑圧してゆくことは歴史が証明している。多くの学者や学術団体が反対の声明を出しているのは当然のことだ。
菅政権は、これを学術会議の在り方にすり替えようとしているが、それは本音を言えば明らかな憲法違反になるからだ。
残念ながら、こうした政権のマヤカシを支持する意見が少なくないのも事実だ。

自由と民主主義が危機に陥っていることを自覚せねばなるまい。

2020/11/09

DVD『軍旗はためく下に』

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『軍旗はためく下に』(1972年製作)
監督:深作欣二
原作:結城昌治
脚本:新藤兼人
<出演者>
丹波哲郎 左幸子 藤田弓子 三谷昇 内藤武敏
中村翫右衛門

結城昌治の直木賞受賞作。原作はむかし読んだが映画化されていたのは知らなかった。
原作に魅力に感じた映画監督の深作欣二が私費を投入して制作、新星映画社に持ち込み映画化したもの。
DVDとして発売されているのを知り購入した。

【ストーリー】
昭和27年、「戦没者遺族援護法」が施行されたが厚生省援護局は、戦争未亡人であるサキエの遺族年金請求を却下した。理由は夫の元陸軍軍曹富樫勝男の死亡理由が、援護法に該当すると認められない」。富樫軍曹の死亡理由は、昭和20年8月南太平洋最前線ニューギニア島において、「敵前逃亡」により処刑されたという。遺族援護法は「軍法会議により処刑された軍人の遺族は国家扶助の恩典は与えられない」とうたっている。
サキエはこの決定に納得いかなかった。富樫軍曹の処刑を裏付ける軍法会議の判決書などは何ひとつなく、また富樫の敵前逃亡の事実さえも明確ではなかったからだ。
以来、昭和46年までサキエの提出した「不服申立書」はすでに20通に及んだが、当局は「無罪を立証する積極的証拠なし」という回答をくり返すだけだった。しかしサキエの執拗な追求により、ある日とうとう当局は富樫の所属していた部隊の生存者4人の名簿をサキエに明かす。
サキエは名簿をもとに、一人一人訪ね歩く。
しかし、富樫軍曹に関する証言は皆バラバラだった。
ある者は、勇敢に戦い戦死したのだろうと。
ある者は、飢えに苦しみ芋を盗んだ罪で銃殺されたと。
ある者は、仲間を殺してその人肉を食べ、その罪で処刑されたと。
ある者は、参謀少佐の命令で小隊長が米兵の捕虜を殺害したが精神がおかしくなり、部下に暴力をふるうようになった。それを止めようとした富樫らが小隊長を殺害したので処刑されたと。
サキエは参謀少佐だった男に会いにゆき事情を訊くと、米兵殺害は小隊長の単独行為で自分は関係ないし、富樫軍曹は軍法の則り上官殺害の罪で処刑したと。
サキエは更に関係者に当たり直し、次の事実をつかむ。
8月15日の終戦になってから、突然小隊長が富樫らに米軍への突撃命令を出す。当然、富樫らは命令を拒否すると小隊長は富樫の部下の一人を殺そうとする。富樫らは抵抗し、やむを得ず小隊長を殺してしまう。その上官殺害の罪で富樫ら3人は銃殺されたのだ。
要は、終戦を迎えて参謀少佐が米兵捕虜殺害により戦犯になるのを恐れ、全てを部下の責任にして口封じを図った結果だった。
富樫の最期の様子を見ていた寺島の証言によれば、富樫ら3人は一番最後に「天皇陛下・・・」叫んだ瞬間に銃殺されたという。サキエが「その後の言葉は万歳だったのでしょうか?」と訊くと、寺島は、そうではなく抗議の言葉だったのではないかと答える。
関係者は過去の苦しい思いを抱えながら戦後を生きていたが、一人参謀少佐だけは団体役員におさまって、悠々自適の生活を送っていた。

先の戦争で、誰の為に戦地に赴き、誰の為に命がけで戦ったかを問えば、100人が100人とも「天皇陛下の為」と答えた筈だ。最高責任者は昭和天皇だった。
本作品は、この事を明らかにしようとしたものだと思う。だから、大手の映画会社では制作ができなかった。
罪は部下に押し付けトップは責任逃れをする、この病根は現在にも引き継がれている。
重いテーマだが、お薦めできる作品だ。

2020/11/08

第280回「にぎわい座名作落語の夕べ」

第280回「にぎわい座名作落語の夕べ」
日時:2020年11月07日(土)18時
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール
<  番組  >
前座・桃月庵あられ『饅頭こわい』
柳亭小痴楽『磯の鮑』
立川生志『紺屋高尾』
   《仲入り》
三遊亭兼好『お見立て』
古今亭志ん輔『お直し』

11月の「にぎわい座名作落語の夕べ」は廓噺特集。吉原入門編から最後のケコロまで、工夫を凝らしたラインナップ。

あられ『饅頭こわい』
師匠に似て声がよく透る。

小痴楽『磯の鮑』
小痴楽の良さは、独特の愛嬌というか色気というか演者自身の魅力にある。一見、粗いように見えるが細部が工夫されていて、吉原初心者の与太郎の姿が良くできていたし、花魁とのチグハグな掛け合いも楽しかった。ミスしても許されるのは芸風か。

生志『紺屋高尾』
似たネタに『幾代餅』があるが、こちらの方が噺としてよくできている。それは紺屋の奉公人である清蔵の指が青く染まっているのに高尾が気付いていたにも拘らず、初回の清蔵とお床入りしてしまう。つまり、その時点で清蔵が正直に打ち明けてくれたら夫婦になるという覚悟ができていたわけだ。
この物語は女郎の再就職の話でもある。年季が明ける女郎にとって先行きは、
①ランクを落として女郎を続ける
②オバサンとなって店に残る
③金持ちのお囲い者になる
④いい相手を見つけて結婚する
となるが、高尾は④の道を選んだわけだ。高尾にとっては、働き者で正直な清蔵を結婚相手に選んだのだ。
生志は熱演だったが、高尾に色気と品が欲しい。

兼好『お見立て』
このネタは志ん朝の名演があり、それと比較してしまうのでどうしても点数が辛くなる。花魁の喜瀬川、仲どんの喜助、客の杢兵衛、それぞれの姿をもっとクックリと描いて欲しかった。

志ん輔『お直し』
生活力のないグウタラ亭主に懸命に尽くす女房、今の世でも珍しくない夫婦の姿だ。どこまでも堕ちてゆくにも拘わらず、それでも亭主に尽くす女の姿は意地らしく哀しい。
志ん輔の高座は、そうした男女の姿を鮮明に描いていた。特に夫婦が互いの愛情を確かめあう最後の場面は胸が打たれる。
ここ数年で見た『お直し』の中では最高の高座だった。

やはり落語はライブだ。

2020/11/05

昭和コミックソング10選

コミックソングとは「滑稽な持ち味の音楽」の総称で、ここでは昭和に作られた曲の中から、私個人の好みで10曲を選んでみた。

『月光値千金』
歌唱:榎本健一 作詞:波島貞 作曲:ラリー・シェイ(原曲: Get Out And Get Under The Moon)
同名の曲が他にもあるので、『エノケンの月光値千金』と呼ばれている。人気俳優(ボードビリヤン)だったエノケンにはヒット曲が多いが、この曲が最も人口に膾炙している。
『うちの女房にゃ髭がある』
歌唱:杉狂児・美ち奴 作詞・星野貞志(サトウハチローの別名)作曲・古賀政男
男女のデュエット曲で、亭主関白の時代に女房の尻に敷かれる男の様子をコミカルに歌ったもの。同じような内容の曲に『モンパパ』(歌唱:榎本健一・二村定一)がある。
『僕は特急の機関士で』 
歌唱:三木鶏郎・森繁久彌・丹下キヨ子 作詞・作曲:三木鶏郎
NHKの人気ラジオ番組「日曜娯楽版」の中から生まれた曲で、『鉄道唱歌』のパロディ。東海道から始まって山陽から九州、東北、北海道まで続くが、最もポピュラーなのは「東海道の巻・コロムビアレコード盤」。
『毒消しゃいらんかね』
歌唱:宮城まり子 作詞・作曲:三木鶏郎
NHKのラジオ番組「ユーモア劇場」では楠トシエが歌ったが、レコーディングは宮城まり子。「目の毒 気の毒 河豚の毒 ああ 毒消しゃいらんかね」のリフレンが印象的だった。
『泣く泣くかぐや姫』
歌唱:河井坊茶 作詞・作曲:三木鶏郎
古典「竹取物語」をパロディにしたもので、かぐや姫が求婚者に出した難題とその結末を題材にしたもの。「泣く泣く かぐや姫 月の出を見て泣きじゃくる」がリフレンされている。後に『吟遊詩人の歌』というタイトルでカバー曲が出されている。
『さいざんす・マンボ』 
歌唱:トニー谷・宮城まり子  作詞:トニー谷・宮川哲夫 作編曲:多忠修
人気のボードビリヤンだったトニー谷の流行語「さいざんす」「家庭の事情」と珍妙な英語を織り込んで、当時流行ったマンボのリズムにのせた曲。ソロバンを片手に踊りながら歌う姿が印象的だった。
『スーダラ節』
歌唱:ハナ肇とクレージーキャッツ 作詞:青島幸男 作曲:萩原哲晶
「わかっちゃいるけどやめられない」のフレーズは流行語ともなった。植木等の父親で浄土真宗の僧侶だった植木徹誠から、この言葉は「人間の矛盾をついた真理で、親鸞の教えに通じる」と言われたというエピソードが残っている。
『有難や節』
歌唱:守屋浩 作詞:浜口庫之助 作曲:パブリックドメイン
作曲がパブリックドメインとされているのは原曲が俗謡から採譜したもの。日本教育テレビで放送された「大学は花ざかり」の劇中で守屋が歌い、その後レコーディングされた。「腹がへったら おまんまたべて 命尽きれば あの世ゆき」というフレーズが印象的。
『じんじろげ』
歌唱:森山加代子 作詞:渡舟人 作曲:中村八大
歌詞が意味不明なナンセンスソング。「ジンジロゲ ヤ ジンジロゲ ドレドンガラガッタ ホーレツラッパノツーレツ マージョリン マージンガラ チョイチョイ」の部分は、明治から大正にかけて子どもたちに歌われていた。明治生まれの私の母は歌詞を憶えていた。
『自動車ショー歌』
歌唱:小林旭 作詞:星野哲郎 作曲:叶弦大
小林旭はコミックソングを多く歌っているが、その中の代表曲。映画「投げたダイスが明日を呼ぶ」の挿入歌だった。「鉄道唱歌」と「東京モーターショー」とを掛けて、ダジャレで自動車の車種・メーカー名を盛り込んだもので、当時は放送禁止となっていた。

2020/11/03

中国「千人計画」への日本人研究者の参加

中国政府が進めている「千人計画」に日本人の研究者が参加していることが問題になっている。なかにはこの問題と「日本学術会議」の在り方とからめて議論する向きもあるが、全くの見当違いだ。
かつて知り合いになったある国立大学大学院の理工系教員に年間の研究費をきいたところ、あまりに少ないので金額が一桁違うのではと思った。「それじゃ何もできませんね」と言ったら、「そう、必要な実験装置が買えないんです」と。
測定機器は日進月歩、新たな研究をしようすれば最新鋭の機器がいるが、到底手が届かない。
そこで企業からの委託研究や共同研究によって研究費を得たり、企業の持っている機器を使わせて貰っているのだという。
だから、産学協同はけしからんなどと軽々に批判できない。研究者のおかれている状況があまりに貧しく、そうせざるを得ないのだ。
それでも職を得ている研究者はまだ恵まれている。文科相が旗をふって博士を量産してきたが、受け皿がない。いつまでも職につけない、いわゆる「ポスドク」問題が深刻化しているのが現状だ。
恵まれた環境で優遇してくれる条件が与えられば、それは誰もが飛びつく。
「千人計画」に日本人の研究者が参加することに非難はできない。

20年ほど前に中国の製造工場を見てまわったことがある。いくつかの現場では日本人の技術者たちが現地の人たちを指導している姿があった。
訊けば日本の企業に勤めていたが、自動化が進むなかで人員整理の対象になり、職を求めて中国に渡ったのだという。
中国では技術が向上すると他に転職して給料があがるようで、仕事が終わってからも残って日本人に教えを請うという。生徒が熱心だと先生も熱心になるから、両者は非常によい関係に見えた。
かくして日本の技術ノウハウが中国に移転していく。
熟練の人を粗末にした報いである。
「捨てる神あれば拾う神あり」
菅ごときに言われるまでもなく、人々はみな「自助」努力をしているのだ。

 

2020/11/01

国立演芸特選会(2020/10/31)

「国立演芸特選会」
日時:2020年10月31日(土)13時
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・桂しん乃『雑排』
雷門小助六『紋三郎稲荷』
三遊亭圓馬『天災』
鏡味味千代『曲芸』
桂雀々『口入屋』

国立演芸場10月特別企画として、トリに桂雀々を迎えての「国立演芸特選会」、客席の前後左右が空いているのでとても見やすい。

しん乃『雑排』
未熟なのか個性なのか意図的なのか判然としないが、変わった喋りかただ。

小助六『紋三郎稲荷』
狐が人を化かす噺は多いが、自分を狐と称して他人を化かすというネタ。本物の狐が「人間は化かすのがうまい」と感心するとういうサゲが効いている。
このネタを得意としている扇辰に比べ、小助六は抑え気味に演じていたが好感の持てる高座だった。

圓馬『天災』
乱暴者だが、心学の先生の説明にすっかり共感してしまう八五郎の人物像が巧みに描かれていた。八が夫婦喧嘩をしていた熊に、心学を真似て的外れな教訓を垂れる場面が良くできていた。

雀々『口入屋』
東京では『引っ越しの夢』として演じられているが(9代目文治は『口入れ屋』だった)、やはり本家の上方の方が断然面白い。特に一番番頭のスケベぶりが上方版では際立っている。
初お目見えの女中が店先で逡巡する様子を「頭と尻を七三に振って、ボウフラが洪水にあったような格好」を雀々が実演してみせたのはご趣向。
夜這いに失敗した3人の狼狽ぶりも上手く描かれていた。

コロナ対策でやむを得ないのだろうが、2時間の公演時間は物足りなさが残る。

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