寄席の唄(上)
明治期に寄席で流行った唄をいくつか紹介する。元はわらべ唄や俗謡だったものが寄席を通して広く知られるようになった曲が多く、現在も寄席で披露されているものもある。出典はいずれも「近代はやり唄集」(岩波文庫)より。
「すててこ」
向ふ横町のお稲荷さんへ一銭あげて
ざっと拝んでお仙が茶屋へ
腰を掛けたら渋茶を出して
渋茶よこよこ横目で見たらば
米の団子か土の団子か
団子団子で此奴は又いけねえ
ウントサノドッコイサ
ヨイトサノドッコイサ
ウントサノドッコイサ
ヨイトサノドッコイサ
せっせとお遣りよ
さても酒席の大一座
小意気な殿御の振事に
端唄に大津絵 字余り都々逸
甚句にかっぽれ 賑やかに
芸妓に浮かれて 皆さん御愉快
お酌のすててこ 太鼓たたいて
三味線枕で ゴロニャンニャン
初代三遊亭圓遊(鼻の圓遊、ステテコの圓遊)が寄席で、自分の大きな鼻を捨てる仕草をして「捨ててこ、捨ててこ」と言いながら踊ったのが人気を博した。
ここに出て来るお稲荷さんは谷中の笠間稲荷で、笠間とかけて瘡(かさ)の治癒を祈る人は土の団子を、治った人は米の団子を備えた。「お仙」は笠間稲荷前の茶屋「鍵屋」の看板娘で浮世絵のモデルにもなった。
「ヘラヘラ」
赤い手拭 赤地の扇
それを開いてお目出たや
ヘラヘラヘエノ ヘラヘラヘエノ
太鼓が鳴ったら賑やかだよ
ほんとにそうなら済まないね
トコドッコイ
ヘラヘラヘエノ ヘラヘラヘエノ
諸色が高くて不景気ダアヨ
三度の御膳も食えないよ
腹腹腹 空(へる)空空
おどけの元祖は○珍ダアヨ
ほんとにお臍の皮は寄る
カラカラカラ ゲタゲタゲタ
火事と泥棒は真っ平ダアヨ
逢うたびからだが縮まるよ
ガタガタガタ ブルブルブル
お髭があっても醜男デーモ
寝児ならお金で直ぐほれる
片羅(ヘラ)片羅片羅 転(コロ)転転
大暑になったらかくらんダアヨ
ほんまにこれらじゃ助からぬ
ゲロゲロゲロ ビリビリビリ
初代三遊亭萬橘(ヘラヘラの萬橘)が赤い手拭い、赤地の扇子を手にして、へらへら節を唄いながら奇妙な手つきで踊ったのが人気を博した。
「○珍」は「団団珍聞(まるまるちんぶん)」の略称。「寝児」は芸者。
「テケレツパ」
さへる十五の わしゃ月なれど
人がくもりをかけたがる コリャ
西からそよそよこい風で
心のくもりもさっぱりと
はれたらお星が たんとたんと
テケレツパ
とかく浮世は 苦娑婆(くしゃば)とやらで
ほしがる大家にゃお子がない コリア
食わせるあてない 貧(びん)つくは
あしたの兵糧もないくせに
子だからばっかり たんとたんと
テケレツパ
いまじゃひらけて 高野の山も
女きんぜい やめになり コリア
にくじき さいたい お許しで
へっつい ざんぱつ 女房もち
これから子どもが たんとたんと
テケレツパ
なんといわりょが 世間は世間
わたしゃわたしで 惚れたひと コリア
すえには手鍋をさげるとも
一生そうのが楽しみと
いつでものろけが たんとたんと
テケレツパ
浮気よする気は すこしもないが
ほれたおかたが あるばかり コリア
浮かれた座敷の大一座
芸者は二上がり三下がり
銚子のおかわり たんとたんと
テケレツパ
うちのおかかは大黒ゑびす
いつもにこにこ福のかみ コリア
はいはい気軽にともかせぎ
そのうえ夜なべもだいすきで
働きあお札も たんとたんと
テケレツパ
4代目立川談志(釜掘りの談志)が羽織を後ろ前に来て、手拭いを4つにたたんで後ろ捻り鉢巻、扇子を半開きにして衿元へはさみ、座布団を脇に抱えて「そろそろ始まる郭巨の釜掘り、テケレッツのパッ!」と言いながら高座を歩き回った。「ステテコの」初代三遊亭圓遊、「ヘラヘラ節の」初代三遊亭萬橘、「ラッパの」 4代目橘家圓太郎と共に明治の「珍芸の四天王」と言われもてはやされた。
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