あゝ麗はしい距離(ディスタンス)
「母」 吉田一穂
あゝ麗はしい距離(ディスタンス)、
つねに遠のいていゆく風景・・・・・・・
悲しみの彼方、母への、
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)
中学生の頃に読んだ本に書かれていた詩で、印象が深くて暗誦していた。吉田一穂の「母」という詩である。
母とボクは折り合いが悪く、恐らく性格が似すぎていたせいだろうか、いがみ合う事が多かった。上の詩人のような心境にはほど遠かったが、だから却ってこの詩に魅かれたのかも知れない。
母との関係が良くなったのは、ボクが結婚して家を出てからで、母は足繁く我が家を訪れるようになり、2,3度は一緒に旅行にも行った。こんな事は実家にいた時には考えられなかった。
どうやら物理的なディスタンスを置いたことが、母とボクのディスタンスを近づけたようだ。
永い間一年に一度は合う事にしていた友人グループが3つほどあったが、コロナの影響でいずれも今年途切れてしまった。この分では来年もどうなるか分からない。
ボクたちの様な歳になると、お互い元気で会える機会は限られている。
早くコロナが終息し、「つねに遠のいていゆく風景」にならぬよう祈るばかりだ。
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福田恆存でしたか、「その人を少し遠くから見てごらん、好きになるから」というような台詞(?)がありました。
落語では「替り目」で「どこから乗ったの?」「お宅の前からです」なんていう可笑しい遣り取りもあり、いずれにしても、距離は微妙で難しいもんですね。
投稿: 福 | 2020/11/15 08:38
福さん
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」でしょうか。
投稿: home-9 | 2020/11/15 09:39