DVD『軍旗はためく下に』
『軍旗はためく下に』(1972年製作)
監督:深作欣二
原作:結城昌治
脚本:新藤兼人
<出演者>
丹波哲郎 左幸子 藤田弓子 三谷昇 内藤武敏
中村翫右衛門
結城昌治の直木賞受賞作。原作はむかし読んだが映画化されていたのは知らなかった。
原作に魅力に感じた映画監督の深作欣二が私費を投入して制作、新星映画社に持ち込み映画化したもの。
DVDとして発売されているのを知り購入した。
【ストーリー】
昭和27年、「戦没者遺族援護法」が施行されたが厚生省援護局は、戦争未亡人であるサキエの遺族年金請求を却下した。理由は夫の元陸軍軍曹富樫勝男の死亡理由が、援護法に該当すると認められない」。富樫軍曹の死亡理由は、昭和20年8月南太平洋最前線ニューギニア島において、「敵前逃亡」により処刑されたという。遺族援護法は「軍法会議により処刑された軍人の遺族は国家扶助の恩典は与えられない」とうたっている。
サキエはこの決定に納得いかなかった。富樫軍曹の処刑を裏付ける軍法会議の判決書などは何ひとつなく、また富樫の敵前逃亡の事実さえも明確ではなかったからだ。
以来、昭和46年までサキエの提出した「不服申立書」はすでに20通に及んだが、当局は「無罪を立証する積極的証拠なし」という回答をくり返すだけだった。しかしサキエの執拗な追求により、ある日とうとう当局は富樫の所属していた部隊の生存者4人の名簿をサキエに明かす。
サキエは名簿をもとに、一人一人訪ね歩く。
しかし、富樫軍曹に関する証言は皆バラバラだった。
ある者は、勇敢に戦い戦死したのだろうと。
ある者は、飢えに苦しみ芋を盗んだ罪で銃殺されたと。
ある者は、仲間を殺してその人肉を食べ、その罪で処刑されたと。
ある者は、参謀少佐の命令で小隊長が米兵の捕虜を殺害したが精神がおかしくなり、部下に暴力をふるうようになった。それを止めようとした富樫らが小隊長を殺害したので処刑されたと。
サキエは参謀少佐だった男に会いにゆき事情を訊くと、米兵殺害は小隊長の単独行為で自分は関係ないし、富樫軍曹は軍法の則り上官殺害の罪で処刑したと。
サキエは更に関係者に当たり直し、次の事実をつかむ。
8月15日の終戦になってから、突然小隊長が富樫らに米軍への突撃命令を出す。当然、富樫らは命令を拒否すると小隊長は富樫の部下の一人を殺そうとする。富樫らは抵抗し、やむを得ず小隊長を殺してしまう。その上官殺害の罪で富樫ら3人は銃殺されたのだ。
要は、終戦を迎えて参謀少佐が米兵捕虜殺害により戦犯になるのを恐れ、全てを部下の責任にして口封じを図った結果だった。
富樫の最期の様子を見ていた寺島の証言によれば、富樫ら3人は一番最後に「天皇陛下・・・」叫んだ瞬間に銃殺されたという。サキエが「その後の言葉は万歳だったのでしょうか?」と訊くと、寺島は、そうではなく抗議の言葉だったのではないかと答える。
関係者は過去の苦しい思いを抱えながら戦後を生きていたが、一人参謀少佐だけは団体役員におさまって、悠々自適の生活を送っていた。
先の戦争で、誰の為に戦地に赴き、誰の為に命がけで戦ったかを問えば、100人が100人とも「天皇陛下の為」と答えた筈だ。最高責任者は昭和天皇だった。
本作品は、この事を明らかにしようとしたものだと思う。だから、大手の映画会社では制作ができなかった。
罪は部下に押し付けトップは責任逃れをする、この病根は現在にも引き継がれている。
重いテーマだが、お薦めできる作品だ。
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