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2020/12/29

本年は、これにて

コロナで明けコロナで暮れた最悪の年が終わりを告げようとしている。否や、今年が最悪だったと振り返って言えるよう願いたい。
新型コロナウイルスは人の命を奪い、医療体制を崩壊寸前までに追い込んだばかりでなく、人と人とのつながり、コミュニテイーをも切断した。ネットだリモートだと言っても、しょせん直接的な触れ合いにとって替れるものではい。
年末恒例の挨拶「どうぞ皆さん、良いお年を!」と言いたい所だが、今の段階では気が引ける。
それでも、いずれ感染が終息するのを期待し、皆さまのご健康を念じつつ、本年はこれにて。

【追記】
新年は1月10日前後に再開する予定です。

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2020/12/27

2020年「演芸佳作選」

当ブログの恒例として年末にその年に聴いた演芸で優れたものを選び、「My演芸大賞」として発表してきたが、今年はコロナや自身の健康状態から演芸会に行く機会が少なかったので、2020年「演芸佳作選」として印象に残った高座を紹介する。
以下に演者、演目、月日、会の名称の順に記す。

瀧川鯉昇『ふたなり』1/12「究極のバレ噺Ⅱ」
笑福亭たま『ベッパーラッパー』1/13「笑福亭たま独演会」
桂吉坊『帯久』1/16「桂吉坊・春風亭一之輔 二人会」
古今亭志ん五『子は鎹』1/18「花形演芸会」
入船亭小辰『木乃伊取り』2/4「春風亭正太郎・入船亭小辰」
桂かい枝『星野屋』2/15「西のかい枝・東の兼好」
蜃気楼龍玉『お久殺しから土手の甚蔵』2/16「真景累ヶ淵」
柳亭左龍『名刀捨丸』2/22「花形演芸会」
春風亭一之輔『柳田格之進』2/26「春風亭一之輔 独演会」
桂文我『紺田屋』3/4「桂文我・桂梅團治 二人会」
古今亭志ん輔『お直し』11/7「にぎわい座名作落語の夕べ」
桂佐ん吉『火事場盗人』11/15「上方落語会」

古典をそのまま演じて奥の深さを感じさせたもの(鯉昇、吉坊、志ん五、小辰、一之輔、志ん輔)、珍しいネタを披露したもの(龍玉、左龍、文我)、新作を演じたもの(たま、佐ん吉)、それぞれが持ち味を発揮して好演だった。

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2020/12/25

古関裕而は「国民的作曲家」か?

2020年3月30日から11月27日にかけて、古関をモデルとした「古山裕一」を主人公とするNHK連続テレビ小説『エール』が放映された影響からか、メディアで古関裕而(こせき ゆうじ)がとりあげられる事が増えた。
私の購読している新聞にも、先日「「国民的作曲家 古関裕而」の見出しが躍っていた。
戦後しばらくして、古関に関するある噂を耳にした。この話は数年前にも寄席で芸人がしゃべっていたので、けっこう広まっていたものと思える。
それは次の様な内容だ。

古関といえば戦時中、軍歌、戦時歌謡を最も多く作曲したと言われている。特に1944年にレコーディングした『比島決戦の歌』では、「いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ逆落とし」という歌詞が繰り返されている。二人は当時の米軍の司令官で、マッカーサーは陸軍総司令、二ミッツは海軍総司令。
それが敗戦となって日本が占領下に置かれると、マッカーサーは連合国軍(GHQ)最高司令官となって日本を支配することになる。GHQは戦争協力者を戦犯として告発していて、民間人といえども容赦なかった。
世間には古関も戦犯になるという噂が流れ、古関自身も不安になってGHQに接触したところ、「戦犯にはならない、それよりこれからは平和のための曲を作って欲しい」と言われ、『長崎の鐘』を作曲した、というもの。

噂としては良くできており、それだから口から口へと伝わったのだろう。もっとも『長崎の鐘』は1949年の作品であり、古関はそれ以前に『夢淡き東京』『雨のオランダ坂』『三日月娘』『フランチェスカの鐘』などの歌謡曲を作曲しているので、真偽のほどは疑わしい。
戦時中、音楽家の中では軍部に積極的に協力した人、できるだけ距離を置いた人に分かれるが、古関は間違えなく前者だ。
私見だが、古関裕而という人は有能ではあるが常に国策に沿った曲を作って来たように思える。もし共産主義の国になれば、きっと共産主義を讃える歌を作っただろう。それを「国民的作曲家」と呼べるのか、あるいは無節操と言えるのか、どうなんだろう?

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2020/12/23

ウソつきは「首相の始まり」

安倍晋三前首相の後援会が「桜を見る会」の前日に開いた夕食会の費用を安倍側が補塡していたとされる問題で、東京地検特捜部は政治資金規正法違反(不記載)などの容疑で告発された安倍を12月22日までに任意聴取し、具体的な関与はなかったとして不起訴処分とする方針を固めた。公設第1秘書については同法違反の罪で年内に略式起訴する見通しだ。
特捜部は会計処理の中心を担った第1秘書を略式起訴する一方、安倍を共謀に問うのは困難だと判断した模様だ。

検察は不起訴の場合その理由を明らかにしないので、安倍がどのような供述をしたか分からないが、恐らく自分は知らなかったとシラを切ったのだろう。
しかし国会で118回もの虚偽答弁をしでかした男だ。検察に真実を供述したとは思えない。
百歩ゆずって最初は知らなかったかもしれないが、国会で追及される中で安倍自身がチェックしてみる機会はあった筈だ。それすら怠っていたなら「共謀」と指弾されても仕方ない。
先ずは国会の公開の場で経緯を説明し質問に答え、事実関係を明らかにすべきだ。

秘書が略式起訴されれば一般的には罰金刑となり公開の裁判が開かれないが、裁判所が不相当と判断して正式裁判となる場合もある。電通の違法残業事件では、検察がいったん略式起訴としたが、簡裁で不相当として正式な公判が開かれている。
安倍については不起訴となった場合、告発者が処分を不服として検察審査会に審査を申し立てることができる。
首相の犯罪をこのまま闇に葬ることのないよう、追及の手を緩めてはならない。

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2020/12/21

「どんきゅう」と呼ばれた男

これは私がまだ小学生のころに母から聞いた話ですが、とても印象的でまるで短編小説やドラマみたいな物語です。
時代は昭和10年代、日本が中国に侵出して満州という傀儡国家を作った時期から、太平洋戦争に突入する間のできごとです。私が生まれる前になります。
当時、両親は中野でカフェ店を開いていました。カフェというのは今の喫茶店と異なり、テーブルに背の高いボックスという名前のソファが置かれ、女給(ホステス)が客の横についてお酌したり、レコードに合わせてダンスしたりする店です。今ならクラブとスナックの中間といった所でしょう。
店の常連客の一人に「どんきゅう」と呼ばれていた男がおりました。成人になっていたにも拘わらずこれといった定職につかず、趣味がケンカという変わった男です。背が小さかったけどケンカはめっぽう強かったそうで、あだ名も相手にどんと突くと、きゅうっと参ってしまう事から付けられたものです。ケンカには怪我が付き物ですが、警察沙汰になることは無かったそうです。一つには当時は今と違ってケンカという暴力に周囲が寛大でした。それと「どんきゅう」の父親が警察署長だったということもありました。戦前の警察署長はとても権威がありましたから。
周りには目をひそめる人もいて、「あんなのは早く徴兵して軍隊で性根を叩きこまれた方がいい」という声もありました。これもどうやら、警察署長の一人息子だったことが兵隊に取られなかった理由のようです、
ちょっと脱線しますが、徴兵検査は平等ですが、実際に徴兵されて戦地に送られるかどうかは別で、必ずしも公正とは言えなかったようです。この問題をテーマにして松本清張が「時間の習俗」という小説を書いています。
ただ私の母は「どんきゅう」のことを可愛がり、彼も母のことをママさんといって慕っていたようです。
その「どんきゅう」が店の女給の一人、仮に名前をオトキとしておきましょう、そのオトキに惚れてしまい求婚してきました。オトキは器量も気立ても良い娘だったそうですが、「どんきゅう」の行状から断ったのです。そうしたら「どんきゅう」の父親が母の所に来て、「どうか嫁にしてくれ」と頭を下げたんです。母も断りきれず、オトキに話をすると「そこまで仰るのなら」と求婚を受け容れ、二人は結婚しました。
周囲もこれで「どんきゅう」の行状も収まるだろうと期待していましたが、又もやケンカで相手に大怪我をさせてしまったのです。
オトキはそれを苦にして「私の力が足らず申し訳ありません」という遺書を残して自殺してしまいました。
さすがの「どんきゅう」もこれには堪えたようで、すっかり落ち込んで以後は真面目になったようです。
その年の8月15日、仲間と一緒に片瀬海岸に海水浴に出かけた「どんきゅう」が水死してしまいました。事故は新盆の日でもあり、周囲の人は、「きっとオトキさんに足を引っ張られたんだね」と言ってたそうです。
私の知らない昭和10年代のできごとですが、なぜか深く心に残っているのです。

 

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2020/12/19

年賀状あれこれ

今年も年賀状の季節がやってきた。私の様な歳になると差し出す枚数が年々減ってゆく。亡くなる人がいるからだ。
親族に不幸があった場合は喪中はがきが届くが、本人の場合は家族の方から返信がくる。その際、ご遺族に故人の思い出を記した手紙を出すことにしている。会社関係だとご遺族の方は仕事ぶりをご存知なかろうと思い、ちょっとしたエピソードを書き加えている。もっとも反応が全くないので読まれているかは不明だが。
年賀状のお付き合いというのは不思議なもので、何十年もの知り合いなのに一度も賀状の交換をしたことがない人がいる一方、一度しか会ったことがないのに何十年も交換している人もいる。お互いに名簿に載せたまま変えない
からだろう。
相手が女性だと時おり苗字が変わるケースがあり、何があったんだろうとついつい想像をたくましくしてしまう。
賀状交換は今年で終わりにしますという文面がぼつぼつ来るようになった。当方もいずれそうせねばならないと思いつつ、なかなか踏ん切りがつかない。
家庭用プリンターという便利なものができてから宛名も文面もみな印刷にしているが、それでは味気ないので何は一言書き添えようとするのだが、これがいけない。ペンで字を書くことが稀になってしまったため、まともに字が書けなくなってきた。
入院中のリハビリで、「果実の名前」「動物の名前」「東京23区名」や「山手線の駅名」を書かされる訓練があったが、漢字がパッと出てこないのには参った。そうしたことを思い知るだけでも年賀状が必要かも。

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2020/12/17

菅政権が目指す「公安国家」

月刊誌「選択」12月号に、菅首相による学術会議の会員任命の裏側について記事が載っている。この問題はメディアのとり上げ方も下火になっている感があるが、今後の我が国の将来に大きな影響を与えるものだ。
それは従来、安全保障問題は主に外交関係が担ってきたが、安倍政権からは内政の分野に拡げた。
具体的には、公安出身の北村滋内閣情報官(当時)が警察組織をあげて「安全保障関連法」や「共謀罪法」などに反対意見を表明したり影響力のありそうな人物を洗い出し、それを杉田和博官房副長官に上げ、菅官房長長官(当時)が決済していた。この「杉田・北村ライン」の特長は、あらかじめ反対しそうな人まで排除しようとしたことだ。

菅は国会答弁でも任命拒否した人は6人中5人しか知らないと言っているが、実際の人選は杉田によって行われたことも国会で明らかにしている。
その杉田が後日オフレコではあるが、「安全保障など重要な政府方針への反対運動を先導する恐れが懸念される人物は公務員に任命しない」と明言しているとのこと。狙いは明確である。
杉田の言語録は社会部記者の間では伝説化されているようで、政府に不利な記事を書いた記者を一人一人暗がりに呼び出して、「何をしたのか分かってるんだろうな。番記者は長官を守るのが役目だろう。お前は裏切った。ただじゃ済まんぞ。」と恫喝した。
また、記者らとの酒席では「悪いことをする奴は、まともに聴いたって口を割ることがない。生爪をはがすくらいのことをしなきゃ自供なんて取れないよ」と言って、居合わせた記者たちを絶句させた。
まるで戦前の特高顔負けの意識の持ち主だ。

「菅・杉田ライン」が目指すのは、管理監視型社会だ。「選択」では、菅政権が進めている「社会全面デジタル化」政策もその流れだと警告している。これには中国というリッパなお手本があるではないか。
10月28日付け毎日新聞には「首相の特高貌が怖い」という見出しが載ったが、顔は男の履歴書。
これからは国民の側が「菅・杉田ライン」を監視せねばなるまい。

 

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2020/12/14

COREDO落語会(2020/12/13)

第24回「COREDO落語会」
日時:2020年12月13日(日)13時30分
会場:日本橋三井ホール
<  番組  >
『挨拶』山本益博
前座・春風亭与いち『道具屋』
春風亭一之輔『雛鍔』
桃月庵白酒『寝床』
~仲入り~
柳家さん喬『棒鱈』
柳家権太楼『鼠穴』

会場の日本橋三井ホールは初だったが、1-14列目まではフラットのフロアーに椅子を並べた座席になっているので演者が見えにくいし、座り心地も良くない。15列目以後は傾斜のある座席になっている。舞台には緞帳も引幕もない。ホールとしては立派かも知れないが落語の会場としては適しているとは言えない。

与いち『道具屋』
ちょっと荷が重たかったか。

一之輔『雛鍔』
最近このネタをかける事が多いようだ。一之輔は小生意気な子どもを演じるのが得意なのでニンなんだろう。お店の旦那と植木職人との対話もそれぞれの性格が出ていて好演。
本人によるとあまり悩んだり落ち込んだりしない性分とのことだが、それも才能があればこそだ。

白酒『寝床』
このネタの演じ方には、先代文楽に代表されるような義太夫好きな家主の人物像や心の動きを中心とする演り方と、志ん生や枝雀に代表されるような長屋の住人や奉公人の反応を中心とする演り方がある。白酒は後者の演じ方だ。この人らしい笑いの多い高座だったが、噺全体の流れにもう少しメリハリが欲しい。

さん喬『棒鱈』
山本益博の解説によれば、人情噺の多いさん喬が好きな滑稽噺がこのネタだとか。好みもあるだろうが、私はさん喬の演じる滑稽噺の方が好きだ。

権太楼『鼠穴』
権太楼が昨年ネタ下ろししたものだそうで、70を過ぎてなおこうした大ネタに挑戦する姿勢は大したものだ。
オリジナルに大幅に手を加えていた。
①田舎から江戸に出てきた竹次郎が、金を貯めて手放した田地田畑を取り戻したいと兄に言う。これは終盤でも繰り返される。
②兄から3文貰って途方に暮れていた竹次郎に親切な人が大家を紹介してくれる。この大家が竹次郎に物置を無料で貸してくれたので、銭を通す緡(さし)や草鞋、鍋敷きを作り少しずつ金が貯まってゆく。
③竹次郎の製品を売りたいという世話人が現れ、販路が一気に拡がる。
④世話人の紹介で跡取りがいなかった質屋を竹次郎が引き継ぐことになり、10年後には大店の主人になる。
以上の様に、オリジナルでは竹次郎の努力で成り上がってゆくと描かれているが、権太楼の演出は周囲の人たちの善意によって支えられながら成功してゆく。オリジナルでは省いていた所に手を加え、リアリティを付加した意図が感じられる。
この演じ方が親切と思う人と、諄いと思う人もあるだろうが、そこは好みの問題。
気が進まぬ竹次郎がお礼を兼ねて兄に再訪するのも、番頭のたっての勧めという風にしていた。
思案にくれた竹次郎が娘と一緒に心中しようとした所を助けられるという具合に変えていたので、オリジナルの娘が吉原に売られる場面は無い。
全体として、『鼠穴権太楼バージョン』になっていた。
通常より更に20分ほど長く演じながら観客を引っ張っていった権太楼の力量には感心したが、ちょいと長すぎた感もあるかな。

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2020/12/12

結局、菅総理は新型コロナを軽く見ている

新型コロナウイルス感染拡大が続く中、12月11日の有識者による政府分科会が、観光支援策「GoToトラベル」の一時停止に踏み込む見解を示した。しかし、菅義偉首相に肝煎り政策を譲る気配はなく、双方の溝は一段と浮き彫りになっている。
政府はこれまで、人の移動は感染拡大の要因ではないと繰り返して訴えてきた。それにもかかわらず、トラベル事業が「やり玉」に上がる状況に、首相は出演したインターネット番組でも「いつの間にかGoToが悪いことになった」と不快感を示した。
トラベル事業の継続に向けては、政府は予算不足を補うため3119億円の予備費支出を決定し、追加経済対策として来年6月まで延長する方針を明記した。

外出自粛を促しながらその一方で税金を使ってまで旅行を奨励する、こんな理屈の通らない話はない。
感染の主な原因は今は家庭内だと言ってるがバカ言っちゃいけない。家庭の中でウイルスが湧いているわけじゃあるまいし、元は人の移動で家庭内に持ち込まれたものだ。家庭内感染は原因ではなく結果なのだ。
菅の本音としては新型コロナを軽く見ているんだろう。そうとしか思えない。風邪に毛がはえた程度であり、ある程度の死者はやむを得ないと。そのうちワクチンができれば万事解決とタカを括っているんだろうか。
ただトランプの様にあからさまに言うのはマズイので、「いつの間にかGoToが悪いことになった」としか言えない。
管には、自衛官を派遣しなければ医療崩壊してしまうという異常事態に対する危機感が無いようだ。

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2020/12/10

ビデオ「地の群れ」

映画フアンというほどではないが、かつては映画をよく観にいった。中年に差し掛かった頃から映画館から足が遠のいてしまった。このご時世、外出もままならず、仕方なく amazon prime などで好きな作品をビデオで観る日が続いている。お陰で戦前の名画や、戦後の話題の作品で見逃したものを観ることができる。その中の1本を紹介する。
 
「地の群れ」(制作1970年)
原作:井上光晴
脚本:井上光晴 熊井啓
監督:熊井啓
【あらすじ】
昭和16年、長崎の炭鉱で働いていた宇南親雄(鈴木瑞穂)は、同じ炭鉱で安全灯婦をしていた朝鮮人の朱宝子を妊娠させてしまう。宇南は宝子の姉に妊娠の責任を追及されると炭鉱を抜けだし、宝子はお腹の子を流産させようとして坑木置場から飛び降り、あやまって自分も死んでしまう。
戦後、宇南は医師になり共産党に参加するが、親友が活動中に死亡したことで党を抜ける。
佐世保で診療所を開いた宇南の患者に、明らかに原爆病と思われる少女がいた。しかしその娘の母光子(奈良岡朋子)は、自分は長崎に原爆が投下された日には他県にいて絶対に被爆していないと言い張る。被爆者の集落の仲間と思われるのを恐れていたのだ。
宇南も原爆で死んだ父を捜し求めて爆心地を何日もさ迷い歩いたことから自分も被爆者ではないかと思っていた。宇南は自分が被差別部落出身者であることも加わり、結婚しても子供をつくるまいと決心していた。子供が欲しい妻の英子(松本典子)はそんな夫の秘密を知らず夫を責め続け、宇南は耐え切れずに酒に溺れる。
ある日、被差別部落の徳子(紀比呂子)が、強姦された証明書を書いてくれとやってきた。字南は断るが、戦前の自身の過去を思い出し苦しむ。
強姦の容疑は、徳子と顔見知りの被爆者信夫(寺田誠)にかけられ警察に留置されるが無罪と分かり釈放される。信夫の話で犯人が信夫の住む被爆者の集落の青年であることが分かり、徳子は部落に行き青年を問い詰めるがシラを切られ、青年の父宮地に(宇野重吉)に罵倒される。怒った徳子の母松子が部落に乗り込み青年と父親に談判するが、却って殺されてしまう。
この事件をきっかけに被爆者の集落と被差別部落との間の対立は決定的になり、その渦中になってしまった信夫は逃げだす・・・どこまでも、地の果てまでも。

監督が熊井啓で、出演者の大半が民藝と前進座というバリバリの社会派映画だ。しかも制作時は70年安保闘争の真っ最中。随所に佐世保の米軍基地の様子が映され、警察が信夫を犯人にでっち上げようとするシーンもある。
今では信じ難いだろうが、戦後しばらくは被爆者に対する差別が存在した。私の知り合いにも広島で被爆したことをずっと隠していた人がいる。この映画では被差別部落や朝鮮人に対する差別も描かれている。
そうした社会矛盾を一身に集約されたのが医師宇南親雄の姿だ。一見、救いのない映画に見えるが、宇南の医師として生きてゆく姿がこの作品の救いだろう。
今日の映画界では作れそうもない貴重な作品だ。

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2020/12/08

反戦川柳作家「鶴彬」

12月8日付東京新聞に「鶴彬獄死の末にある戦」というタイトルの社説が掲載された。この見出しは「つるあきら ごくしのすえに あるいくさ」という五七五の俳句の形式になっている。79年前に日本が太平洋戦争に突入した日に鶴彬(つるあきら)の業績を通して言論弾圧について記したものだ。

鶴彬は本名・喜多一二(きたかつじ)。 明治42年(1909年)、石川県高松村(現かほく市)生まれ 。 15歳で川柳界にデビュ ー。大阪の町工場で働きながら、“プロレタリア川柳”を発表する。 川柳界の権威・井上剣花坊に師事し21歳で兵役。しかし機関誌「無産青年」を軍に持ち込んだとし、治安維持法違反により懲役2年の実刑判決を受ける。 出所し除隊後に多くの反戦川柳を発表する 。 昭和12年(1937年)12月3日に治安維持法違反の嫌疑で特別高等警察に検挙され、東京都中野区野方署に留置された。たび重なる拷問や留置場での赤痢によって、昭和13年1938年9月14日に29歳の若さで世を去った。
川柳の世界でも当時は国威発揚のものが主流となっており、新聞の「川柳」欄の選者になっていたような大御所たちは、むしろ鶴彬を排除する側に動いた。
今も政府による「日本学術会議」の任命拒否について、一部の学者が政府を支持する主張を行っているのと同様である。
故郷の石川県かほく市高松には鶴彬の句碑が建てられているが、これには同郷だった自民党の国会議員だった小川半次氏の尽力があったという。昔はこういう立派な自民党議員がいたということだ。

鶴彬作の代表的な川柳は次の通り。
 銃剣で奪った美田の移民村
 半島の生れでつぶし値の生き埋めとなる
 ユダヤの血を絶てば狂犬の血が残るばかり
 ざん壕で読む妹を売る手紙
 召集兵土産待つ子の夢に見る
 枯れ芝よ!団結をして春を待つ
 暁を抱いて闇にいる蕾
 高粱の実りへ戦車と靴の鋲
 屍のゐないニュース映画で勇ましい
 万歳とあげて行った手を大陸において来た
 手と足をもいだ丸太にしてかえし
 胎内の動き知るころ骨がつき

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2020/12/06

おっと「黒駒勝蔵」を忘れちゃいけねぇ

今年は清水次郎長の生誕200周年だそうだ。以前、「吉良仁吉」について記事を書いたところ思いのほか反響があり、年間アクセス数のベストワンに達していた。吉良仁吉も人生劇場も知らない人が増えたということだろう。まして黒駒勝蔵となるといよいよお馴染みがなかろう。せめて次郎長の敵役といった認識が一般的ではあるまいか。所詮はヤクザ同士の利権争い、どっちが正義かなんて事はないわけだが、次郎長が明治になっても生き残っていたのに対し、勝蔵が早々に斬首されて姿を消したため悪く描かれたのだろう。長生きした者の勝ちである。

黒駒勝蔵(くろこまのかつぞう)は1832年(天保3年)、甲斐国八代郡上黒駒村若宮(現山梨県笛吹市御坂町上黒駒)の名主の次男として生まれた。後年に尊皇攘夷運動に参加していることから、若い頃に国学思想の影響を受けたとされる。生家を出奔し博徒となる。
当時、甲州には他にも有力な博徒がいたが、勝蔵は兄貴分の竹居安五郎(たけいやすごろう、吃音があったので「竹居のども安」と呼ばれていた)と共に上州を制覇する。その後、安五郎が捕縛され獄死したのちは、勝蔵は安五郎の手下を黒駒一家としてまとめ甲州博徒の大親分として勇名を関八州に轟かせた。
勝蔵は甲州博徒は富士川舟運の権益を巡り清水次郎長と対立しており、次郎長の勢力圏である駿河岩淵河岸や興津宿をめぐって抗争を繰り返す。幕末になって代官所から追われて岐阜の水野弥太郎のもとに潜伏する。明治維新の年には黒駒一家を解散する。
勝蔵は小宮山勝蔵の変名を用いて弥太郎も入隊していた赤報隊に入隊する。しかし赤報隊は「偽官軍」の汚名をきせられて新政府軍に処罰され、隊長の相楽総三は処刑され、水野弥太郎も捕縛され獄死する。
その後、勝蔵は徴兵七番隊に入隊し、駿府、江戸を経て、仙台戦争に従軍する。戊辰戦争の終結後、明治3年(1870年)の兵制改革で勝蔵の所属していた徴兵七番隊は解散し勝蔵は故郷に戻るが、この時に隊の解散前に除隊したことが後で罪になる。
翌年、勝蔵は脱隊の嫌疑で捕縛され入牢し、同年に処刑場で斬首された。勝蔵の処刑は秘密裏に執行されたと見られている。
勤王の志士して戊辰戦争にまで参加した勝蔵に対する処分はあまりに冷酷だった。私見だが、彼が赤報隊に参加していたことが処分の裏側にあったと推測している。
時流に乗って生き延びた次郎長に比べ、勝蔵は不器用だったのかも知れない。

次郎長が講談、浪曲、映画 、ドラマの世界で華々しく採り上げられているのに対し、勝蔵や安五郎を主役に描いた作品は少ない。安五郎の若い頃を描いたテレビドラマ「甲州仁侠伝 俺はども安」と、勝蔵を描いたテレビドラマ「風の中のあいつ」の2作品ていどだろう。
他に、映画『黒駒勝蔵 明治維新に騙された男』(2011年)がある様だが未見。

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2020/12/04

記号としての「焼跡」「闇市」

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逆井聡人 「〈焼跡〉の戦後空間論」( 青弓社 2018年8月8日初版)

戦後を語るときに、その象徴的な風景として「焼跡」「闇市」が語られ、描かれてきた。今でも映画やドラマで戦後を映し出すシーンとしてこの両者がしばしば登場する。
「焼跡」「闇市」が本来は敗戦の負のイメージだったはずだが、それが「~からの復興」というむしろプラスの言葉として結び付けられることも多い。
戦後70年以上も経って、戦中や戦争直後を、言い換えれば「焼跡」や「闇市」の実態を知らぬ人がほとんどとなってしまった現在、両者はもはや記号としか存在していない。
先日「〈焼跡〉の戦後空間論」という著書を読んだ。この書籍は戦後の日本について多くの示唆に富むものだが、その中から「焼跡」と「闇市」の部分について感じたことを記す。

1.焼跡
アジア太平洋戦争の末期、大都市の大半が米軍機による空襲を受けた。特に昭和25年2月以降は、ターゲットがそれまで軍事施設から住民を目標とする市街に変わってゆく。
米軍による空襲の多くは都市、それも例えば東京では下町を中心としており、山手ではほとんど大きな被害は出ていない。地方においても中心となる都市部だけがターゲットとなっていた。それは目的が軍事施設の破壊であり、密集地を狙って住民を効率的に殺害できたからだ。
焼跡の被害の実態は被害を受けた人々は直接目にしたが、実はそれ以外の人の目に触れることはなかった。戦時中は軍部が空襲や焼跡について報道することを禁じており、戦後はGHQがにより禁止されていた。日本国民に実態が知れることが占領政策に影響すると考えたからだ。写真などの放送や新聞報道は検閲され、その手の映像や画像は排除された。原爆の被害の写真が公開されたのはサンフランシスコ条約の発効以後だったのと同じことだ。
話は変わるが、「パンパン(米兵相手の街娼)」も検閲の対象だった。私自身の戦後の記憶は、パンパンと米兵が乗っていたジープだ。
だがGHQは、日本に駐留する米兵が日本人女性を買春していることが米国本土の米国人に知られることを恐れた。映像や画像はもちろんのこと、イラストに至るまで検閲を受け、米兵と日本人女性が腕を組んでいるイラストさえも削除させられた。
かくして日本人全体が焼跡の実態を知るのは昭和28年以降であり、焼跡が戦後の象徴となるのは戦後しばらく経ってからになる。
あれだけGHQが神経を尖らせていたが、映画『長屋紳士録』(小津安二郎監督の戦後第一作となる作品)のロケに焼跡が映ってしまった。GHQの劇映画だから目が届かなかったかも知れない。映画そのものも名作だが、映像としても貴重な作品となった。

2.闇市
闇市が立った土地は、新宿、上野、渋谷、池袋、新橋などで、元は生産地から物流の集積地としての建物疎開地だった所。
闇市は、戦時中は闇取引と言われていたが、戦時中から存在していた。一般の人が手に入らないものを持っていたのは軍隊で、それを闇で横流しするのは小規模だったが戦時中から行われていた。
それが戦後になって大規模にマーケットとして成立したのが闇市だった。敗戦になって軍の統制も乱れて、大量の物資が闇市に流れこんだ。
むろん非合法であったが、生活物資の配給が滞りがちだった都市部では、闇市は重要な流通の調整弁の役割を果たしていたので、当局もその存在を黙認せざるを得なかった。
また、戦後に外地から多くの引き揚げ者が帰還してきたが、住む所も生きる手段もない人も少なくなく、そうした人々が闇市で糊口をしのいでいたという側面もあった。
GHQは、当初は闇市には大きな関心を寄せなかったが、米兵も闇で物資を横流ししていた現実から取締りに力を入れるようになる。
闇市には朝鮮人の人たちも参加していたが、当初は日本人のテキヤ(闇市を仕切っていたのが暴力団だった)との縄張りをめぐる小競り合い程度だったのが、朝鮮戦争が始まるころになるとGHQ自体が朝鮮人を取り締まるようになる。それと戦後に生まれた「第三国人」という呼称に代表されるような朝鮮人差別とが合流し、朝鮮人を差別し排除していく流れになってゆく。

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2020/12/01

落語家を題材にした映画二本

落語家を題材にした映画二本のビデオを立て続けにみた。ご覧のなった方も多いだろうが、次の作品だ。

『しゃべれどもしゃべれども』(2007年制作)
監督:平山秀幸
脚本:奥寺佐渡子
【主なキャスト】
国分太一:今昔亭三つ葉
香里奈十:十河五月
松重豊:湯河原太一
森永悠:村林優 
八千草薫:外山春子
伊東四朗:今昔亭小三文
【あらすじ】 :
古典を愛する二つ目の落語家・今昔亭三つ葉。思うように腕もあがらず、悩んでいる彼のもとに、「落語を、話し方を習いたい」とワケありの3人が集まってくる。不愛想で口下手な美人・十河五月、勝気なためにクラスになじめない大阪から引っ越してきた少年・村林優、毒舌でいかつい面相の元プロ野球選手・湯河原太一。3人を相手に「話し方教室」を開くことになった三つ葉だが、3人とも稽古に身が入らない。それぞれの悩みを聞くうちに3人が相談し合ったり助け合ったりしながら、少しづつ話し方も上達してゆく。やがて五月は東京版の、優は上方版の『饅頭こわい』を覚えたのをきっかけに、二人の発表会を開くことになる。

『の・ようなもの のようなもの』(2015年制作)
監督:杉山泰一
脚本:堀口正樹
【主なキャスト】
松山ケンイチ:出船亭志ん田(しんでん)
北川景子:夕美
伊藤克信:出船亭志ん魚(しんとと)
尾藤イサオ:出船亭志ん米(しんこめ)
でんでん:出船亭志ん水(しんすい)
野村宏伸:出船亭志ん麦(しんむぎ)
【あらすじ】
出船亭志ん田は30歳で脱サラして落語家になったものの、気真面目で几帳面な性格のゆえか「小学生が国語の教科書を読んでいるような落語」のままで足踏みしたまま、前座に甘んじている。師匠の志ん米の家に住み込み修行中で、同居する娘の夕美に密かに恋心を抱いている。志ん米の師匠・志ん扇(しんせん)の十三回忌一門会を開くことになったが、それには後援会長のお気に入りで現在は行方不明の志ん魚を出演させねばならなくなった。師匠の命令で志ん田は志ん魚の居場所を探しだし、嫌がる相手を説得して、志ん魚に新作『出目金』で一門会に渋々出ることになった。

映画の出来は『しゃべれどもしゃべれども』の方が遥かに優れている。
三つ葉の弟子になる3人の暮らしと悩みが掘り下げられており、ストーリーも起伏に富んでいる。それと師匠を演じる伊東四朗がいかにもベテランの噺家らしさを醸し出していた。少年を演じた森永悠は快演で、桂枝雀の高座を真似るのだが、これが上手いのだ。主演の国分太一は相当に稽古を重ねたのだろう、『火焔太鼓』を熱演していた。
落語家を題材にした映画としては代表的な作品になるだろう。

『の・ようなもの のようなもの』は、森田芳光監督のデビュー作『の・ようなもの』の35年後を描いたもので、主なキャストも前作を引き継いでいる。残念なのは師匠の尾藤イサオを始め、総じて演者が落語家に見えないことだ。松山ケンイチは前座としても下手過ぎるし(実物にもいるけどね)、伊藤克信の訛りが気になった。あんな訛って『黄金餅』を演じるプロは存在しない。そのせいか、物語に底の浅さを感じてしまう。

両作品とも本物の芸人も出演しているので、それはお楽しみ。
ただ、両作品ともに盛り蕎麦を食うシーンがあるのだが、これがいけない。蕎麦をつゆにどぼっと浸けて食っていて、あれじゃ綺麗に見えない。プロが指導しているようだが、そこまでは目が届かなかったか。

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