「どんきゅう」と呼ばれた男
これは私がまだ小学生のころに母から聞いた話ですが、とても印象的でまるで短編小説やドラマみたいな物語です。
時代は昭和10年代、日本が中国に侵出して満州という傀儡国家を作った時期から、太平洋戦争に突入する間のできごとです。私が生まれる前になります。
当時、両親は中野でカフェ店を開いていました。カフェというのは今の喫茶店と異なり、テーブルに背の高いボックスという名前のソファが置かれ、女給(ホステス)が客の横についてお酌したり、レコードに合わせてダンスしたりする店です。今ならクラブとスナックの中間といった所でしょう。
店の常連客の一人に「どんきゅう」と呼ばれていた男がおりました。成人になっていたにも拘わらずこれといった定職につかず、趣味がケンカという変わった男です。背が小さかったけどケンカはめっぽう強かったそうで、あだ名も相手にどんと突くと、きゅうっと参ってしまう事から付けられたものです。ケンカには怪我が付き物ですが、警察沙汰になることは無かったそうです。一つには当時は今と違ってケンカという暴力に周囲が寛大でした。それと「どんきゅう」の父親が警察署長だったということもありました。戦前の警察署長はとても権威がありましたから。
周りには目をひそめる人もいて、「あんなのは早く徴兵して軍隊で性根を叩きこまれた方がいい」という声もありました。これもどうやら、警察署長の一人息子だったことが兵隊に取られなかった理由のようです、
ちょっと脱線しますが、徴兵検査は平等ですが、実際に徴兵されて戦地に送られるかどうかは別で、必ずしも公正とは言えなかったようです。この問題をテーマにして松本清張が「時間の習俗」という小説を書いています。
ただ私の母は「どんきゅう」のことを可愛がり、彼も母のことをママさんといって慕っていたようです。
その「どんきゅう」が店の女給の一人、仮に名前をオトキとしておきましょう、そのオトキに惚れてしまい求婚してきました。オトキは器量も気立ても良い娘だったそうですが、「どんきゅう」の行状から断ったのです。そうしたら「どんきゅう」の父親が母の所に来て、「どうか嫁にしてくれ」と頭を下げたんです。母も断りきれず、オトキに話をすると「そこまで仰るのなら」と求婚を受け容れ、二人は結婚しました。
周囲もこれで「どんきゅう」の行状も収まるだろうと期待していましたが、又もやケンカで相手に大怪我をさせてしまったのです。
オトキはそれを苦にして「私の力が足らず申し訳ありません」という遺書を残して自殺してしまいました。
さすがの「どんきゅう」もこれには堪えたようで、すっかり落ち込んで以後は真面目になったようです。
その年の8月15日、仲間と一緒に片瀬海岸に海水浴に出かけた「どんきゅう」が水死してしまいました。事故は新盆の日でもあり、周囲の人は、「きっとオトキさんに足を引っ張られたんだね」と言ってたそうです。
私の知らない昭和10年代のできごとですが、なぜか深く心に残っているのです。
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