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2020/12/06

おっと「黒駒勝蔵」を忘れちゃいけねぇ

今年は清水次郎長の生誕200周年だそうだ。以前、「吉良仁吉」について記事を書いたところ思いのほか反響があり、年間アクセス数のベストワンに達していた。吉良仁吉も人生劇場も知らない人が増えたということだろう。まして黒駒勝蔵となるといよいよお馴染みがなかろう。せめて次郎長の敵役といった認識が一般的ではあるまいか。所詮はヤクザ同士の利権争い、どっちが正義かなんて事はないわけだが、次郎長が明治になっても生き残っていたのに対し、勝蔵が早々に斬首されて姿を消したため悪く描かれたのだろう。長生きした者の勝ちである。

黒駒勝蔵(くろこまのかつぞう)は1832年(天保3年)、甲斐国八代郡上黒駒村若宮(現山梨県笛吹市御坂町上黒駒)の名主の次男として生まれた。後年に尊皇攘夷運動に参加していることから、若い頃に国学思想の影響を受けたとされる。生家を出奔し博徒となる。
当時、甲州には他にも有力な博徒がいたが、勝蔵は兄貴分の竹居安五郎(たけいやすごろう、吃音があったので「竹居のども安」と呼ばれていた)と共に上州を制覇する。その後、安五郎が捕縛され獄死したのちは、勝蔵は安五郎の手下を黒駒一家としてまとめ甲州博徒の大親分として勇名を関八州に轟かせた。
勝蔵は甲州博徒は富士川舟運の権益を巡り清水次郎長と対立しており、次郎長の勢力圏である駿河岩淵河岸や興津宿をめぐって抗争を繰り返す。幕末になって代官所から追われて岐阜の水野弥太郎のもとに潜伏する。明治維新の年には黒駒一家を解散する。
勝蔵は小宮山勝蔵の変名を用いて弥太郎も入隊していた赤報隊に入隊する。しかし赤報隊は「偽官軍」の汚名をきせられて新政府軍に処罰され、隊長の相楽総三は処刑され、水野弥太郎も捕縛され獄死する。
その後、勝蔵は徴兵七番隊に入隊し、駿府、江戸を経て、仙台戦争に従軍する。戊辰戦争の終結後、明治3年(1870年)の兵制改革で勝蔵の所属していた徴兵七番隊は解散し勝蔵は故郷に戻るが、この時に隊の解散前に除隊したことが後で罪になる。
翌年、勝蔵は脱隊の嫌疑で捕縛され入牢し、同年に処刑場で斬首された。勝蔵の処刑は秘密裏に執行されたと見られている。
勤王の志士して戊辰戦争にまで参加した勝蔵に対する処分はあまりに冷酷だった。私見だが、彼が赤報隊に参加していたことが処分の裏側にあったと推測している。
時流に乗って生き延びた次郎長に比べ、勝蔵は不器用だったのかも知れない。

次郎長が講談、浪曲、映画 、ドラマの世界で華々しく採り上げられているのに対し、勝蔵や安五郎を主役に描いた作品は少ない。安五郎の若い頃を描いたテレビドラマ「甲州仁侠伝 俺はども安」と、勝蔵を描いたテレビドラマ「風の中のあいつ」の2作品ていどだろう。
他に、映画『黒駒勝蔵 明治維新に騙された男』(2011年)がある様だが未見。

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コメント

竹脇無我が次郎長になったドラマでは黒駒の勝蔵は露口茂でした。
刑事ドラマのクールで知的なイメージが強くて「え?」と思いました。
もっとも、無我の次郎長も優しすぎますがね。

投稿: 福 | 2020/12/07 06:30

福さん
このご時世、博徒を主人公にしたドラマが作られなくなったのは寂しいです。

投稿: home-9 | 2020/12/07 07:44

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