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2020/12/25

古関裕而は「国民的作曲家」か?

2020年3月30日から11月27日にかけて、古関をモデルとした「古山裕一」を主人公とするNHK連続テレビ小説『エール』が放映された影響からか、メディアで古関裕而(こせき ゆうじ)がとりあげられる事が増えた。
私の購読している新聞にも、先日「「国民的作曲家 古関裕而」の見出しが躍っていた。
戦後しばらくして、古関に関するある噂を耳にした。この話は数年前にも寄席で芸人がしゃべっていたので、けっこう広まっていたものと思える。
それは次の様な内容だ。

古関といえば戦時中、軍歌、戦時歌謡を最も多く作曲したと言われている。特に1944年にレコーディングした『比島決戦の歌』では、「いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ逆落とし」という歌詞が繰り返されている。二人は当時の米軍の司令官で、マッカーサーは陸軍総司令、二ミッツは海軍総司令。
それが敗戦となって日本が占領下に置かれると、マッカーサーは連合国軍(GHQ)最高司令官となって日本を支配することになる。GHQは戦争協力者を戦犯として告発していて、民間人といえども容赦なかった。
世間には古関も戦犯になるという噂が流れ、古関自身も不安になってGHQに接触したところ、「戦犯にはならない、それよりこれからは平和のための曲を作って欲しい」と言われ、『長崎の鐘』を作曲した、というもの。

噂としては良くできており、それだから口から口へと伝わったのだろう。もっとも『長崎の鐘』は1949年の作品であり、古関はそれ以前に『夢淡き東京』『雨のオランダ坂』『三日月娘』『フランチェスカの鐘』などの歌謡曲を作曲しているので、真偽のほどは疑わしい。
戦時中、音楽家の中では軍部に積極的に協力した人、できるだけ距離を置いた人に分かれるが、古関は間違えなく前者だ。
私見だが、古関裕而という人は有能ではあるが常に国策に沿った曲を作って来たように思える。もし共産主義の国になれば、きっと共産主義を讃える歌を作っただろう。それを「国民的作曲家」と呼べるのか、あるいは無節操と言えるのか、どうなんだろう?

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音楽」カテゴリの記事

コメント

昨日だったか、この人の特集をFMでやってるのを聴くともなく聞いてましたが、懐かしさはあっても、私にとっての心の歌は少ないように思いました。

佐平次さん
古関という人は「職人的作曲家」だと思うんです。少なくとも「国民的」とは言い難いでしょう。

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