自国の負の歴史と向きあう映画(4)『国際市場で逢いましょう』
『国際市場で逢いましょう』2014年制作、韓国映画
監督:ユン・ジェギュン
脚本:ユン・ジェギュン
<主なキャスト>
ユン・ドクス:ファン・ジョンミン
オ・ヨンジャ:キム・ユンジン
チョン・ダルグ:オ・ダルス
朝鮮戦争中の1950年、興南(現在の北朝鮮・咸鏡南道咸興市)から脱出しようとしていたドクスとその一家は、戦乱の最中で父と末の妹と離れ離れになるが、長男であるドクスは父から「お前が家長になるんだ。家長はどんな時でも家族が優先だ」と家族を任される。この時ドクスは父と「国際市場で逢う」ことを約束する。釜山へと渡ったドクスら一家は、国際市場にある叔母の店(コップンの店)で働くようになる。
やがて青年になり家計を支えるようになったドクスだったが、弟の大学進学資金を稼ぐために旧友のダルグと共に炭鉱作業員として西ドイツに出稼ぎに出る。想像を絶する辛い作業の中、ガス爆発事故のために坑内に閉じ込められたドクスとダルグだったが、ドイツ人の監督の制止を振り切って仲間が助け出す。病院で治療を受けたドクスは、ここで韓国から看護師として出稼ぎにきていたヨンジャと知り合い、愛しあうようになる。
1966年、ドクスは帰国をはたし,遅れて帰国したヨンジャと再開し二人は結婚する。
頼っていた叔母が亡くなり店を手放す状況になった伊勢を、ドクスが店を買い取ることにしてその費用捻出のため、1974年ベトナム戦争の技術兵としてベトナムに渡る。テロや戦闘に巻き込まれるても無事に脱出するが、川に落ちた現地の少女を助けたドクスは銃弾で足を負傷する。
1975年ベトナム戦争終結、ドクスは帰国し家族との暮らしが始まる。
1983年テレビ局主催の朝鮮戦争で離れ離れになった家族を捜索するテレビにドクスは出演し、父と妹を探す。その中でアメリカ人の里子として引き取られていた妹が見つかり涙の再開を果たすが、ついに父親の消息は不明。
父と国際市場で再開することが叶わなかったドクスは、「コップンの店」を売る覚悟を決めヨンジャに告げる。
本作品の特長は、ドクスの成長過程がそのまま韓国の現代史と重なっていることだ。だから「自国の負の歴史と向きあう」という趣旨とは少し異なる内容と言える。
1945年日本の敗戦と共に解放された朝鮮だが、1950年に始まった朝鮮戦争で民族が分断され、国家も北と南に分かれる。その過程でドクスの一族の様に家族同士、親類同士が分かれ分かれになって消息すら不明の悲劇が続く。今も南北統一の悲願はここに生まれる。
かつて韓国へ観光に行った時、現地ガイドが統一を切々と訴えていたのを思い出す。
戦争で国土が荒廃した韓国は、軍事独裁政権の下で人々は苦しい生活を送る。ドクスの様に家族を養うために海外に出稼ぎに行かざるを得ない人たちもいた。
私が初めてエジプトに行った時1970年代、当時は途中でトランジットがあった。バンコク、デリー各空港で機内の清掃をする人がいずれも韓国の人だった。エジプトの着いてからカイロに一軒しかないというカラオケ店に行ったら韓国人のグループがいて、「釜山港に帰れ」という曲を韓国語で繰り返し合唱していた。当時のカラオケには日本語の歌詞しかなく、歌えるのはこの曲しか無かったのだ。訊いてみると、カイロの建設現場に出稼ぎに来ているという。先の機内清掃といい、韓国の人々のエネルギッシュさに感心したが、それは国内での貧困の裏返しでもあったのだろう。
ドクスたちのドイツでの炭鉱労働は過酷なもので、監督のドイツ人の冷たさとあいまって当時の西ドイツがこうした低賃金労働者を使って経済発展していたことが伺われる。
ドクスたちはベトナム戦争でも生命の危険にさらされ、ドクスは足を負傷してしまう。ベトコンに追われて川に落ちた少女を救う場面は、朝鮮戦争の際の自分たちの姿を思い起こすのだ。
やがて経済発展した韓国では、ドクスの「コップンの店」の様な小規模の商店は再開発の波に吞まれて消えてゆくことになる。
本作品で印象に残るのは韓国の人たちの家族愛だ。やはり儒教の影響だろうか、家族のためには身を犠牲にすることに躊躇しない。これは別の映画で見たのだが、両親を失った兄妹が曽祖父の兄弟の家に世話になる場面があったが、日本では考えられないことだ。ただ家族や一族の絆が強すぎることは、階層社会を生み出したり、コネ社会に陥ることがある。
作品に対する不満といえば、視点が現状肯定であることだ。例えば、ベトナム戦争の場面ではベトコンが悪者風に描かれている。確かに韓国軍に対しては敵ではあるが、元々韓国がなぜベトナム戦争に参戦せねばならなかったのかという問題が無視されている。ドクスたちがこれに何も疑問を感じないのはむしろ不自然に思えるのだ。
そうした欠点を持ちながらも、韓国人の苦難の歴史を端的に描いているのが本作品の優れた所だろう。
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コメント
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韓国映画といえば昔見た梶山季之原作の族譜を思い出す。反戦というより統治下の韓民族を創氏改名させようとしてたもので、戦争とは勝てば官軍でこうまでするのかと呆れたものです。ディア・ハンターは人の内面性を描いてたが、族譜は個人でなく民族全体を否定してて、日本政府の傲慢さが如実に描かれてたと記憶してる。
投稿: dejavue | 2021/01/31 17:30
dejavueさん
族譜は未読ですが、他の書籍で日本の朝鮮支配について読んでいますが、確かに日本の傲慢さが如実に示されています。
投稿: home-9 | 2021/01/31 18:24