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2021/02/07

自国の負の歴史と向きあう映画(5)『検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男』

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『検事フリッツ・バウアー ナチスを追い詰めた男』2016年製作 ドイツ映画
監督:ステファン・ワグナー
脚本:アレックス・ブレシュ
主演:ウルリッヒ・ノエテン
ナチス残党を追い詰めた検事フリッツ・バウアーの実話をもとに映画化した作品。1959年の西ドイツ、ナチスによる戦争犯罪の時効まであと7年に迫る中、検事のフリッツ・バウアーが中心となり、ナチ犯罪追及センターが設立される。しかし過去の罪を消したい政府や組織内のスパイに妨害されてしまう。自身にも監視が付くようになり自由に動けなくなったバウアーは、若き検事ヨアヒムを助手に任命。バウアーとヨアヒムの決死の捜査で真実が次々と明らかになる中、彼のもとにナチスの親衛隊にいたアドルフ・アイヒマンが南米のアルゼンチンに身を隠しているとの情報が入る。政府に起訴と身柄送検を要請するが、元ナチス幹部らの妨害や圧力があり、思うように進まない。アイヒマンを国内に移送したり裁判にかけることを断念したバウアーは、イスラエルのモサドと接触し、彼らにアイヒマンの拘束と裁判を依頼する。1960年5月11日、モサドの工作員らはアイヒマンを拘束し、身柄をイスラエルに移して裁判にかける。

世間にはドイツ神話みたいなものがあると前から気になっていた。戦後ドイツは戦前のナチスの犯罪を認め、被害者に謝罪し罪を償ってきたというものだ。言葉は悪いが、どうもこの神話にイカガワシサを感じてきた。ナチス政権は民主的な手続きで誕生したものであり、戦前は大半のドイツ人はヒットラーを支持していた。それが戦後には一転して、揃って前非を悔い反省していたというのは本当だろうかと。
本作品では、決してそう単純ではなかったことが示されている。かつてナチスの高官で今も思想はあまり変わっていない人物が、政府の要職に就いていたこと。警察や検察、裁判官などには依然としてナチス思想が残存していて、ナチスによる戦争犯罪を追及することに反対する勢力が根強くあった。バウアーの元には連日のように脅迫状が届き、彼の住居の壁には「ユダヤ人」という落書きがある。バウアーが「お前なんか又アウシュビッツに送ってやる」と面罵されるシーンもあった。
加えて当時の世界情勢、例えばナチス追及に及び腰だった西ドイツの首相を米国が強く後押ししていたとか、ナチス追及が東ドイツを喜ばせその背後にいるソ連の利益になるという心配とか、ドイツとイスラエルとの微妙な関係とか、様々な背景が描かれている。今では評価の高いアイヒマン裁判も、当時のドイツでは決して手放しで支持されていたわけではない。
むしろ、そうした複雑な経緯をたどって今日のドイツの姿に至ったのだ。ここでは神話ではないリアルなドイツの戦後史が刻まれている。
この点に本作品の価値がある。

アイヒマンが取り調べ中に語った以下の言葉は、現代人の胸にも刺さる。
「戦争中には、たった1つしか責任は問われません。命令に従う責任ということです。もし命令に背けば軍法会議にかけられます。そういう中で命令に従う以外には何もできなかったし、自らの誓いによっても縛られていたのです。」
「私の罪は従順だったことだ。」
私たちは果たしてアイヒマンを克服しているだろうか?

 

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