« 自国の負の歴史と向きあう映画(6)『真実の瞬間』 | トップページ | 自国の負の歴史と向きあう映画(7)『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』 »

2021/02/15

「コスモポリタン」としての山口淑子(李香蘭)

Photo_20210215090301

ある年齢層の方には記憶が残っていると思う。山口淑子(李香蘭)は、女優、歌手、タレント、ジャーナリスト、政治家と幅広く活躍をしてきた。
1920年、山口は満州に生まれ、両親とも日本人だったが父親から北京語を叩きこまれ、北京の女学校に通い、満州に亡命してきたイタリア人オペラ歌手から声楽を習った。完璧な中国語、日本人離れした美貌、美声を備えた彼女を、日本軍部と満州国が日満友好のシンボルとして利用する。
1938年、日本人ながら中国人の女優“李香蘭”としてデビュー。映画『白蘭の歌』、『支那の夜』などに出演し、日本でも爆発的なヒットとなった。また、歌手としても『夜来香』、『何日君再来』などをヒットさせた。
同じ1920年生まれの原節子がドイツを親日にするために利用されたと同じように、山口は中国や満州を親日にするために利用されたのだ。
終戦を上海で迎えた山口は、日本に協力した中国人=漢奸として死刑になるところだったが、日本人である事が証明されて追放刑となり、難を逃れた。
清朝の王族ながら軍服姿で日本の諜報活動に身を投じ、「男装の麗人」と呼ばれた川島芳子が中国籍だったため漢奸として銃殺されたのと、対照的な運命をたどる。
1946年に帰国し、名を本名の山口淑子と改めて『わが生涯の輝ける日』『暁の脱走』などの映画に主演。一方、シャーリー・ヤマグチの芸名でハリウッド映画に出演し、チャプリンやジェームス・ディーンとも親交があった。
1958年に外務官僚の大鷹弘と再婚し、テレビの司会者をするかたわら、ジャーナリストとしてパレスチナや北朝鮮を取材した。
1974年には自民党の参議院議員に当選、3期18年務めた。主に中国、中東、北朝鮮外交に尽力した。
山口は総理大臣の靖国参拝には反対し続け、1995年から「アジア女性基金」副理事長として、元慰安婦に補償金を手渡す作業にも関わった。それは山口自身が戦時中に満州や中国で見聞きした体験に基づくものだ。
残念ながら今の自民党には山口の様な人物は皆無である。
2014年9月7日に死去、94歳だった。

|

« 自国の負の歴史と向きあう映画(6)『真実の瞬間』 | トップページ | 自国の負の歴史と向きあう映画(7)『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 自国の負の歴史と向きあう映画(6)『真実の瞬間』 | トップページ | 自国の負の歴史と向きあう映画(7)『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』 »