「お月様いくつ 十三七つ」が意味するもの
ある程度の年配の方なら「お月さまいくつ、十三七つ、まだ年あ若いな」というわらべ歌を聞いたことがあると思う。辞書によれば「十三夜の七つ時(4時ごろ)の、出たばかりの月のことで、まだ若いの意」(デジタル大辞泉)とある。
月刊誌「図書」2012年2月号によると、「十三七つ」について女子にとっては一つの区切りをつける年齢と、月への信仰との関連を暗示しているという。
男子の場合は15歳が「元服」だが、女子の場合は13歳が「成女式」といって様々な儀礼をおこない、振袖を着て子どもから大人になった。恐らくは女子の「初潮」を迎える年齢とも関係していたのだろうと推測する。
「十三で大人」は今の時代では早すぎるように感じるだろうが、『赤とんぼ』では「十五でねえやは嫁に行き」だし、浄瑠璃『桂川連理柵』で40歳の男と不倫する「おはん」は14歳、小唄勝太郎の『島の娘』では「娘十六恋心 人目忍んで主と一夜の仇なさけ」と唄っている。今なら刑事事件になりかねないけど、昔は立派な大人として扱っていた。
では「七つ」はどういう意味があるかだが、諸説あるようだ。民俗学の分野では「七歳までは神の子」「七つ前は神のうち」として、無垢な子どもらしさの根拠にしてきた。
しかし歴史学者の柴田純によれば、これは昭和になって生まれた俗説にすぎないという。近代・中世の社会では、幼児は「無服」とされ、神事や刑罰から疎外・排除されて、特別な存在とみなされてきた。これは「養老律令」(757年)で七歳までは「服忌(ぶっき)」の対象外としてことにより、七歳を境界とする観念が生まれたのだという。民俗社会では「七歳未満忌服なし」という言い回しがあり、7歳未満は葬式を出さないとされてきた。
フランスの歴史学者のアリエスによると、かつての伝統的な社会では、子どもが死亡した場合は、すぐに別の子どもが代わりに生まれてくると受け止められいたという。子どもの出生や死について社会は無関心であり、7歳くらいまで生き残った子どもだけが労働力として家族の数に加えられていた。
つまりある時期までは「子供は存在しなかった」のだ。
近年になってから、子どもに対する強い関心と親密な家族関係が生まれた。
このことから、親が子どもを虐待したり、子どもを殺しても「無理心中」などという用語が平気で使われているのも、前近代の名残かも知れないと思った。
宮本常一によると、大阪郊外の農村部では、女の子は7,8歳になると子守として金持ちの家に雇われるか、母親が工場で仕事をしている間に子守をしていたという。そして14,5歳になると自分が工場で働くようになった。
こうして見ていくと、子どもの人権が謳われるようになったのは、つい最近のことになる。
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