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2021/04/03

「文化大革命」を描いた中国映画

数年前、中国に観光で行った際に、現地ガイドに「今の中国国民は毛沢東についてどう思っているか?」と訊いたところ、ニコニコしていたガイドの顔色が一瞬で変り「みな尊敬してます」との答え。そこで「中国政府は文化大革命を正式に否定してますよね。それを引き起こしたのは毛沢東でしょう?」とツッコムと、ガイドの顔はさらに青ざめ少し間を置いてから、「毛沢東は国民にとって象徴なんです」という答え。
このガイドの反応を見て、中国では未だに文革の話題はタブーなのだと悟った。
文化大革命や天安門事件が公に語れるようになるには、今の中国の政治体制が大きく変わる時になるだろう。

今の若い方には馴染みがないだろうが、「文化大革命」とは、1966〜76年中国における毛沢東の奪権闘争とそれに伴う政治的社会的動乱である。
大躍進の失敗で国家主席をしりぞいていた毛沢東は,劉少奇・鄧小平らを「資本主義の道を歩む実権派」と批判し,1966年から全国で紅衛兵を動員して大衆運動による奪権闘争を開始した。これに国防相林彪指揮下の人民解放軍も加わり,各地で「造反有理(反逆には必ず道理がある)」のスローガンのもと,武闘がくりひろげられて,政治的迫害や職場・学校・地域内でのつるしあげが横行して社会は大混乱におちいった。毛沢東は林彪国防相と結んで軍を味方につけながら青少年を〈紅衛兵〉に組織して実権派批判に向けた。〈四旧〉(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣)打破をかかげて打ち壊しが行われ,著名な学者・芸術家らも攻撃された。1969年林彪が毛の後継者とされたが,1971年には毛と対立して国外逃亡中に墜死。周恩来らによる脱文革の動きに対して,江青ら〈四人組〉が文革を主導し,周を攻撃。1976年9月の毛の死を契機に〈四人組〉は逮捕され,文革は実質的に終わった。間接の被害者も含めて死者2000万人に及ぶといわれる文革を,中国共産党は1981年の中央委員会で〈指導者が間違ってひき起こした内乱〉として全面的に否定した。
約10年間に及ぶ混乱は、経済のみならず、多くの知識人が迫害や投獄を受け、また若い人たちがまともな教育を受けられなかったことから知識や倫理が欠如するなど、その後の中国社会に大きな影響を与えている。
反面、文革は欧州やアジア、中南米諸国の政治運動にも大きな影響を及ぼした。
日本もその例外ではなく、1970年前後の青年・学生運動の中には毛沢東思想や文革から刺激を受けた層もいた。知識人の中にも文革を支持する人がいたし、新聞などメディアも(産経と赤旗を除き)総じて中立的あるいは好意的な報道をしていたと記憶している。
その文革を描いた中国映画2本を紹介する。

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『活きる』
監督:張芸謀(チャン・イーモウ)
脚本:余華(ユイ・ホア)・蘆葦(ルー・ウェイ)
主演:葛優(グォ・ヨウ)、鞏俐(コン・リー)
1940年代の中国。資産家の息子だったフークイだが、賭けに負けてしまい全財産を失う。身重の妻チアチェンは愛想をつかして実家へ戻ってしまった。しかし、半年後、長男が誕生したのを機に夫フークイのもとへと戻ってくる。心機一転、困窮する一家の家計を支えようとフークイは得意の影絵の巡業を始める。そんな矢先、フークイは国民党と共産党の内戦に巻き込まれてしまう。フークイがやっと家族のもとに戻ってきたのは、共産党の勝利が決まり内戦が終結した後だった。50年代は共産主義の躍進期。国の推進する集会で、息子が事故死。60年代に聾唖の娘は結婚し、妊娠。しかし文化大革命により医者はすべて摘発されており、病院は素人の若い女性ばかりで娘は出産は果たすものの、合併症を起こして死んでしまう。数年後、年老いたフークイとチアチェンは、孫息子の面倒を見ながら生活し、彼らの人生は続いていく。
戦前戦後を通じて中国の内戦から共産主義国家の誕生、経済再建を経て文革の時代を生き抜いた中国人家族の物語。期待していた文革の場面は、フークイの友人が弾劾され自殺に追い込まれる場面と、病院の医師や看護師が追放されてしまい紅衛兵らの治療によってフークイの娘が死亡する場面のみだった。文革の本質的な部分はすっぽり抜けていて、やはり今の中国ではこの程度が限界なんだろう。
作品としては、この時代を生きた人間の辛苦が描かれていて、良く出来ていたと思う。

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『妻への家路』
監督:チャン・イーモウ
脚本:ヅォウ・ジンジー
主演:チェン・ダオミン、コン・リー、チャン・ホエウェン
教師の婉玉とバレエを習っている娘の丹丹が共産党員に呼ばれ、追放中の夫・焉識が逃亡したが、連絡があったら通報することといわれる。丹丹は「革命模範バレエ」の主役に決まりそうだった。父から母と駅で会いたいという連絡を丹丹が受けるが、駅には追っ手が来ていて婉玉の目の前で焉識は捕まる。丹丹は逃亡犯の娘ということで主役から外される。1977年、文化大革命が終わって焉識が右派分子の罪を解かれ、20年ぶりに帰宅する。しかし妻の婉玉は焉識のことは全く忘れ、方という男と間違える。周囲は説得にあたるが、思い出してくれない。丹丹はバレエを諦め、家を出て紡績工場の寮に住んでいて、焉識はその守衛室の隣で暮すことになる。婉玉は毎日、駅へ夫を迎えに通う。医者から心因性の記憶障害だとされる。写真を見せて婉玉に思い出さそうとしたり、焉識が懐かしいピアノ曲を弾いてみせるが、自分を思い出してくれない。西域から大量の手紙が入った荷物が届き、焉識が読んであげるが、「手紙を読む人」としか理解されない。新しく手紙を書き、丹丹と和解してくれと頼み、婉玉はようやく娘を許し同居を再開する。しかし訪れた焉識に、婉玉は「方さん、出ていって」と狂乱状態になる。それから何年も経って、雪の中、焉識が幌付きの自転車で婉玉を迎えにくる。二人で駅へ焉識を迎えに行くが、今日も虚しく待つだけだった。
文革のために夫が20年間も収容された結果、妻は心因性の記憶障害により夫の顔を忘れてしまう。夫も娘も記憶を取り戻させようと必死に努力するが、最後まで妻の記憶は戻らない。そうした妻を優しく見守り、妻が夫を迎えに駅に立つのを付き添う。
これ以上ないような夫婦の純愛物語で、泣かせる。作品としては同じ監督の『活きる』より優れている。
悲劇の原因は文革だが、その背景がほとんど描かれていないので、文革の非人間性への訴求は弱い。
この辺りは、中国映画の限界なんだろう。

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