環境ポピュリズム
先般の記事で、環境省が使い捨てのプラ製スプーンやフォーク、ストローなどを対象に有料化を進めることや(ナイフを含めてない所がミソ)、小泉大臣の「スプーンを持ち歩けば良い」発言ととりあげた。
これで思いだしたのだが、30年くらい前に「my箸」運動というのがあった。森林保護のために割り箸を使わないようにと、自分用の箸を持ち歩くという運動だが、あっという間にしぼんでしまった。森林保護のためには木材を伐採しなくてはいけないし、切った木は何かに有効利用せねばならない。いずれにしろ割り箸を減らす程度では、森林保護には貢献しない。その一方、箸を常に持ち歩くというのは面倒であることが分かったのだろう。
水の汚染を防ぐために合成洗剤を使わず、粉石けんを使うという運動もあった。化学物質より自然のものを(石けんは天然品ではない)という口当たりが受けたのだろうが、試験の結果ではむしろ合成洗剤の方が汚染が少なかった様で、これもいつの間にか下火になってしまった。
小池百合子が環境大臣のころ、レジ袋の代わりに風呂敷の利用を薦めていたが、スーパーで商品を風呂敷に詰めている人を見たことありますか?
このように科学的根拠が無いにも拘わらず、環境保護の名のもとに口当たりの良い政策や運動を、仮に環境ポピュリズムと呼ぶ。
環境省のプラスチック製スプーンなどの有料化も、その典型といえる。
昨年、入院して感じたのは、医療用の器具は殆どがプラスチック(正確にはポリマー《プラスチック、合成繊維、合成ゴムなど》だが、分かり易くプラスチックと総称する)で出来ている。今マスクの着用が義務付けられているが、大半は不織布でこれもプラスチックだ。プラスチックが無ければ今の医療は成り立たない。家庭用品、オフィス用品から、乗用車や航空機の内装や機器の多くはプラスチックだ。
プラスチックの持つ軽い、強い、液体を通さないといった特性が活かされている。
プラスチックによる海洋汚染が問題となっているが、それは材料のせいではなく投棄する人間が悪いのであって、プラスチックに罪はない。
紙コップ、紙パックと呼ばれているものも、純粋な紙(パルプ製品)ではない。紙は水を通すし、濡れると極端に強度が落ちてしまうという欠点があるため、紙とプラスチックフィルムを貼り合わせた(又はコーティングした)ものを使っている。廃棄する際には性質の異なる物資が密着しているので、却って仕分けが困難になる。
将来、プラスチックに代る物質が開発される可能性はあるが、どの物質にせよ必ず原材料は必要だし、加工にはエネルギーが消費される。そこは不変だ。
昨今、原発の処理水について人体に無害で飲むことも出来るという主張が安易になされているが、これもまた環境ポピュリズムの一種かも。
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