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2021/05/23

落語『包丁』の中で唄われる『八重一重』

落語に『包丁』という演目があるが、元は上方の『包丁間男』を東京に移したもので、両者のストーリはほぼ同じだ。
清元の師匠おあきを女房にしてヒモの様な暮らしをしていた久次が、他の若い女が出来たので女房と別れようとする。一計を案じて金に困っている仲間の寅を引き込んで、久次の留守に寅がおあき宅を訪れ、酒にまかせておあきに言い寄り、そこに久次が出刃包丁を持って現れておあきの不義を責め、おあきを田舎の芸者かなんかに売り飛ばして二人で山分けするという算段。
言われるままに寅は、一升瓶を手土産におあきの家に上がり込み、予め久次から教えて貰った佃煮やら糠づけやらを肴に酒を飲むが、おあきは全く相手をしてくれない。酔いに任せて寅は小唄を唄いながらおあきの袖を引くが、おあきから強く叩かれ、「我慢をしてたら、つけあがって。ダボハゼみたいな顔をして女を口説く面か、ブルドック野郎」と罵倒される。
そこまで言われて怒った寅は、久次との悪巧みを一部始終ぶちまけてしまう。
事情を聞いたおあきは久次の裏切りと悪だくみに怒り、久次を追い出して寅と一緒になるから加勢してくれと頼む。
二人が仲睦まじく酒を酌み交わしている所へ、久次が出刃包丁を振りあげて乱入してくるが、却っておあきから啖呵を切られ包丁も奪われて家から追い出されてしまう。
再び二人で飲み直し始めところへ、また久次が戻ってきた。
久次 「さっきの出刃包丁を出せ!」
寅 「出してやれ。今度は俺が相手になってやる。やい久次、四つにでも切ろって言うのか」
久次 「なに、横丁の魚屋に返しに行くんだ」でサゲ。

三遊亭圓生の高座が極め付けで、現役の人の高座をいくつか観たが、いずれも満足に行くもので無かった。3人の登場人物の中でも、あおきの清元の師匠らしい佇まいと鉄火の姿の描き方が、圓生の様に上手くなかった。
それと、寅が唄う小唄の『八重一重』が別の曲にされていたのが不満だった。
圓生によれば、この噺は以前は音曲師によって演じられていた。今は音曲師がいなくなったのでと言って、ネタに入っている。そうするとこのネタは、小唄の『八重一重』を聴かせる場面が勘所となるのだろう。してみると『八重一重』を口三味線をひきながら唄えないと高座に掛けられない分けで(立川談春がこの型で演じているそうだが未見)、かなりハードルが高い。

『八重一重』
八重一重  
山も朧に薄化粧  
娘盛りはよい櫻花
嵐に散らで主さんに  
逢うてなまなか後悔やむ
恥ずかしいではないかいな。

娘盛りを桜花にたとえた文政初年の上方小唄で、幕末江戸端唄、歌沢に唄われた。
「八重一重」とは、桜の八重咲と一重咲の両方のことを指したもので、ここでは単に桜を指している。「山も朧に薄化粧」は、桜の花がおぼろにかすむ山の風情と娘盛りとをかけた言葉。「嵐に散らで」以下は、桜が一夜の嵐に逢って散ることと、初心娘が好いた男に逢うて散ることをかけ、「逢うてなまなか後悔やむ」は、あの時なまじっか(なまなか)主さんに逢わねば、こんな恋の苦労も知らなかったものをと、いう気持ちを唄ったもので、ほんのりと色気のにじむ、情感あふれたよい曲である。
(木村菊太郎著より引用)
見世ぼらしい形(なり)をしていながら、こんな唄を唄う寅に、おあきはどこか魅かれたのかも知れない。

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