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2021/06/03

「スペイン風邪」感染の教訓

米国のバイデン大統領は先日、今回の新型コロナウイルス"covid-19"の発生源についてに調査を命じた。これだけ大きな被害を全世界に与えたウイルスがどこで、どの様にして発生し、最初の感染が拡がったのかは、今後の新たなウイルス研究にとって極めて重要だ。本来はWHOが負うべき課題だが、その役割を果たせぬまま調査を終えている。新型コロナウイルスの発生元は中国の武漢であることは確実の様だが、中国政府の協力が十分に得られなかったので中途半端に終わってしまった。ここは全人類の視野に立って、全ての資料を公開して欲しい。

この問題を考えるうえで、「スペイン風邪」の発生と感染について触れてみたい。
1918年3月にヒトで肺炎を引き起こすウイルスが、米国カンザス州の養豚場で関係者に感染、それが州内の兵営で爆発的なクラスターを発生させた。米国内の他の兵営を経て、欧州西部戦線の米軍を通じて欧州に運ばれた。
処が、当時の米国には「スパイ活動法」が制定されていて、米国政府と米軍は失態を隠し続けた。つまり、やってる事は今の中国と同じだったのだ。
彼らから感染した英兵が本国に帰還し、1918年5月に北部のグラスゴーから入って南部に拡がり、6月にはロンドンに及ぶ。
第1派は1918年5月、第2派は同年の9月から12月、第3派は1919年2月から4月にかけて、それぞれピークを迎える。
人口1000人当たりの死者数は次の通り。
第1派  5人
第2派 25人
第3派 11人
死者の数は、22万8000人とされているが、確かな数は分からない。
処が、英国では当時「国家防衛法」が制定されていて、国民の戦意喪失を恐れ報道を制限した。防疫に必要な疫学情報は、軍事機密として全て軍が握った。
確かなことは何も分からず、闇に閉ざされていた当時の人は、ただ不安に苛まれているだけだった。
1918年6月に「ザ・タイムズ」が、スペインの首都マドリードで10万人を超す感染者が出たと報じた。スペインでは報道管制がしかれていなかったので、同国が唯一の情報源になった。そのため本来は「アメリカ風邪」であるべきはずが、「スペイン風邪」という不名誉な名称で呼ばれるようになった。
病原体が当初は細菌だとされ、ワクチン開発が急がれた。日本でもそのワクチンが500万人に注射されたが、当然のことながら全く効果は無かった。
病原体がウイルスだと分かったのは1933年になって、英国のウイルソン・スミスらが分離に成功してからだ。
ウイルスを鶏卵中で培養し、ワクチンが作られるようになったのは、1940年代になってからだ。それまでは人々はただ不安に襲われるだけだった。
ここから得られる教訓は、感染防止にとって情報の公開がいかに大事かという事だ。
新型コロナウイルスの発生と感染の伝播について、公正で正確な調査結果が得られることを期待したい。

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