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2021/06/13

第26回「COREDO落語会」(2021/6/12)

第26回「COREDO落語会」
日時:2021年6月12日(土)13時30分
会場:日本橋三井ホール (東京都)
<   番組   >
山本益博『ごあいさつ』
林家たま平『孝行糖』
春風亭一之輔 『千早振る』
瀧川鯉昇『船徳』
~仲入り~
柳家喬太郎『錦の舞衣(下)』

過去2回はアリーナ席で、椅子は固いわ、床がフラットなので高座が見えにくいわで、懲りたので、今回は階段席にして正解だった。

たま平『孝行糖』
明るく元気なのは取柄。

一之輔 『千早振る』
マクラで、ワクチン接種の打ち手がいないことで、過去に麻薬を注射した経験のある有名人に協力して貰ったらと、ブラックジョーク。
ネタはお馴染みだが、一之輔のはオリジナルをいったん解体し、組み直すようなが如き演りかた。随所にギャグを放り込んで、「鬼才」ぶ
りを発揮していた。この人、この先、どこまで行くんだろう。

鯉昇『船徳』
通常の演りかたに比べ、居候の徳が船頭になると言い出すまでが長い。ここはちょっとダレ気味。徳が船を漕ぎ出す所で、羽織を脱いで丁寧にたたむが、これが大桟橋の手前で客が船を降りる場面の小道具にしている。「熱演をしない」と言ってる鯉昇だが、このネタはかなりの熱演だ。後半はテンポ良く、徳を質屋の跡取りにして、「どうりで流された」でサゲた。

喬太郎『錦の舞衣(下)』
原作は三遊亭圓朝作『名人くらべ(錦の舞衣)』。サルドゥの「ラ・トスカ」の翻案で、プッチーニのオペラ化に先立つ明治24年の新聞連載されたもの。オリジナルの政治犯を匿う設定を大塩平八郎の乱に置き換えている。
圓朝の原作では、最初に伊三郎と荻江節をめぐる物語で始まるが、喬太郎はこの部分はカットしている。本編とは関係が無いからだろう。
なお、古今亭志ん生が『名人くらべ 寶樂の舞』というタイトルで演じているが、こちらも伊三郎と荻江節の部分はカットされているようだ。
前回に引き続き、今回は後編。
お須賀の夫・毬信は獄に繋がれ、大塩事件との関わりを責められる。毬信の身を案じるお須賀に、予てからお須賀をモノにしようとしていた吟味与力の金谷東太郎と、それを手助けする同心の石子伴作。
金谷に二階の座敷に呼び出されたお須賀。そこで石子から金谷が11年もお前に岡惚れしていた。毬信の身が心配なら金谷に身を任せろと告げる。しかしお須賀は「私は芸を売る身、舞は舞ってもお酌の相手はしない」とかたくなに拒む。石子は、それなら金谷の本心を試してみたらどうかとお須賀に提案する。金谷が先祖代々家宝としている政宗の脇差をお須賀に預けるようなら、金谷が本気である証拠になると。
そこに遅れて金谷が登場し、「石子の言ったことは、そのままわしの思いじゃ」と語る。お須賀は金谷に酌をし、喜んだ金谷は盃を重ねだらしなく酔い潰れ、最後にお須賀に脇差を預ける。「この正宗はわしの真心、わしの思いじゃ。お前に預かって欲しい」と言う。石子が席を立った後、酔い潰れた金谷を介抱しようと近づいたお須賀を、寝たふりをしていた金谷が押さえつけ思いを遂げる。
やがて毬信は獄死し、遺体には全身に拷問の跡。嘆き悲しむお須賀のもとに、お参りにやってきた道具屋の奈良屋助七に、お須賀が金谷の脇差を見せたところ、正宗とは真っ赤な偽り、安物の刀であることが判明。騙されたと知り怒りに燃えるお須賀。
最愛の夫・毬信の無念を、自らの手で晴らし真の供養をしたい。そう思ったお須賀は、母や世話になった人達を呼び、好きな三味線方を招き、文字通り一世一代の「巴御前」を舞う。
翌日、金谷を呼び出したお須賀、刀が偽物だったことを責め、「武士の真心というものは、これほどまでに軽いものなのですか?」と詰る。
泥酔した金谷の脇腹を背中を斬りつけ、金谷の生首を落として風呂敷に包み、毬信の墓前へ差し出す。「これで本当の供養ができました」と毬信に語りかけ、お須賀はしごきを取ってヒザを硬く縛り、懐に入れてきた匕首で自分の命を絶つ。
金谷家は断絶。須賀は鞠信の墓に入れられ、今でも二人は谷中南泉寺に眠っているという。

後編の喬太郎の高座は、金谷と石子の悪党ぶりが生き生きと描かれ、それが貞操が奪われプライドまで傷付けられたお須賀の怒りへの共感となった。こうした描写が喬太郎の高座の白眉と言える。
前後編合わせて2時間近い長講だったが、間然とすることなく最後まで惹きつけられた。

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コメント

「千早ふる」のように完成度の高い噺を、「いったん解体し、組み直す」のは至難の業でしょうね。竜田川が相撲取りというのからして、代えがたいものがあります。
圓丈・白鳥風のパロディのそのまたパロディだったんでしょうか?

喬太郎の長講は自らの体力との格闘でもあったかと想像します。
立派なもんですね。

福さん
「百人一首」が出てこないので、頭に数字がつく4文字とヒントを出したら、「京浜急行」には驚きました。そんなギャグが満載でした。

「京浜急行」がなぜ頭に数字がつくのか?
しばし考え込んだ落語者の福です。
「京」が大きな数の単位だと、遠い昔に習った記憶が・・・
「いい男がいましたね」
業平の代わりにキムタクなんていうのもありかな、と。

福さん
「京浜急行」の後は「兆次村田」「萬田久子」「千眼美子」「百田尚樹」と続いて、ようやく「百人一首」です。

以前,このブログにときどきお邪魔していた者です。

ちょうど同じ日,よみうり大手町ホールに「ザ・柳家さん喬 其の七」を聞きに行っていました。弟子喬太郎師匠と違って,オーソドックスな演目で「百川」「たちきり」「百年目」でした。

数字と言えば,さん喬師匠自ら言われて気付いたのですが,この三題は「百」つながりだったのですね。この日は,やはり最後の「百年目」がメインだったようで,最後に旦那が番頭に語る場面では,本当に涙が出ました。

ところで,喬太郎師匠が「錦の舞衣」という噺を演じていらっしゃることを存じませんでしたので,落語研究会のDVDを衝動買いしてしまいました。これから,ゆっくり聞こうと思います。

なもさん
「百川」「たちきり」「百年目」、確かに「百」つながりですね。私はさん喬の「たちきり」で涙したことがあります。

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