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都合でしばらく休載します。
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都合でしばらく休載します。
今回の衆院選で、「改革」を声高に叫んでいる政党があるが、「改革」は自民党政権でも既に推し進められてきた。例えば医療分野では、出費のかさむ保健所と感染症病棟が「改革」され、1990年代に比べ、保健所の数はほぼ半減し、感染症病棟数は5分の1以下になった。その結果、医療先進国である日本で、新型コロナに感染しても入院ができず、「自宅放置」されて亡くなる人を出してしまった。特に「改革」を標榜する政党の影響力の強い地域で、命の選別が行われていたのは記憶に新しい。
かつては国際的モデルと賞賛されてきた日本型雇用も「改革」され、低賃金の非正規雇用が増加し、今や勤労者の4割を占める。
「政治改革」の名のもとに、税金を政党に配る「政党交付金」制度という悪法をお手盛りで作ってしまった。「小選挙区制」により、都内では国会議員の選挙区が区議会議員より狭いという現象が起きている。
議員定数を削減するという「改革」案もあるようだが、それだと国民の声が議会に反映する機会が減るという副作用が起きる。それなら「政党交付金」の廃止の方が、国民への副作用がなく効果的だ。
社会には、守るべきものと「改革」すべきものがあるし、「改革」も何をどう変えてゆくかという中身が問われる。
共同通信社は16、17両日、衆院選に対する有権者の関心や政党支持傾向を探る全国電話世論調査(第1回トレンド調査)を実施した。比例代表の投票先は自民党29.6%が最も多く、2位の立憲民主党9.7%、共産党4.8%、公明党4.7%、日本維新の会3.9%、国民民主党0.7%、れいわ新選組0.5%、社民党0.5%などとなった。
「まだ決めていない」は39.4%だった。
岸田政権が安倍、菅両政権の路線を継承するべきか聞くと「継承するべきだ」は26.7%で、「転換するべきだ」が68.9%に達した。
政党の支持率では自民党が圧倒しているが、その一方で安倍、菅両政権の路線を転換すべきという声が7割近い。
今回、立憲民主、共産、れいわ、社民の4党と、市民連合とが選挙協力で合意しているが、支持率で比較すると自民・公明には及ばない。問題は「まだ決めていない」39.4%の人たちの支持を獲得できるかにかかっている。
だからこそ、自公両党は選挙戦で立民・共産の選挙協力を叩くことに躍起となっている。
さて、立民と共産との選挙協力だが、合意では連合(連立)政権が実現しても、共産党は閣外協力にとどめるとしている。要は、政権ができても共産党は仲間に入れてやらないぞ、という分けだ。閣外協力というのは分かりにくいかも知れないが、イメージとしては今の自民党と維新の会の関係が近いだろう。幹部同士が親しい関係にあり、重要な法案の採決で殆んどが両党は足並みを揃えている。
処が、立民の支持母体である「連合」の芳野会長は、その閣外協力も認めないと拒否の姿勢だ。立民は「連合」の意思には逆らえないから、最終的には共産党は完全に外されることになろう。国民民主党が共産党を排除するのも、同じ理由だ。
過去の立民と共産との選挙協力でも、立民の候補には共産が全面的に支持するが、共産の候補には立民の支持は部分的にとどまっている。
協力、共闘は、本来は対等平等が原則だが、立民・共産との関係は極めて片務的であり、不公平なものだ。
共産党は人が好すぎると思うのだが、どうだろうか。
政党を運営する費用は、どう賄うべきか。
①党員の党費
②政党が行う事業収入
③支持者からの献金
政党は国民生活と結びながら資金を集める。日本の各政党も、「政党交付金(助成金)」制度が出来る1994年以前は、そうした活動により収入を得てきた。
「政党交付金」が導入されて、どういう弊害が起きたか。
①交付金目当ての政党が乱立するようになり、小党が生まれては消え、その資金も行方不明となっているケースが多い。政党のビジネス化である。
②交付金の使い道について使途の制限がないことから、資金の流れが見えにくくなってしまった。
③余った交付金は原則、国庫に返納されるべきだが、基金として積み立てることが認めらているため、実際は取り放しになっている。例えば2019年に各党が翌年に繰り越した金額は236億円以上であり、本来は国庫に返納すべきものだ。
④交付金が政党本部から政党支部へ、政党から政党幹部個人へ支出されている。中日新聞が政治資金報告書を元に、自民・国民民主・維新の会・れいわの5党が、2019年に政党幹部らに総額約22億円を支出したと報じたのは、その一例だ。
⑤交付金は、本来は政党の政策作りのための費用に充てられるべきだが、実際は多くが選挙費用に回されている。そのため、権力闘争に使われている実態がある。
国費に依存する政党の体質を改めさせ、政党の自律と自由を守るためにも、百害あって一利なしの「政党交付金」制度は直ちに廃止すべきだ。
私的な存在である政党に、公金を支出すべき理由はない。
強制的に徴収した税金を各政党にばらまく制度は、憲法の「思想・信条の自由」に反する。私は自分が支持しない政党に1円でも払いたくない。
維新の会が、口を開けば「身を切る改革」を叫んでいるが、それなら先ず「政党交付金」の廃止を主張すべきだろう。それなくして、何が「身を切る」だろうか。
(月刊誌「選択」10月号の記事を参考にした)
亡くなった柳家小三治の趣味の一つに俳句がある。「東京やなぎ句会」のメンバーで、宗匠の入船亭扇橋(俳号は光石)以下、永六輔(並木橋)、大西信行(獏十)、小沢昭一(変哲)、桂米朝(八十八)、加藤武(阿吽)、柳家小三治(土茶)、矢野誠一(徳三郎)という錚々たる顔ぶれが、毎月17日に句会を開いていた。欠席の場合は代わりに未婚の女性を参加させるという厳しい掟があった。句会40周年を記念した「五・七・五 句旬四十年」という書籍に各人の「自選三十句」が掲載されており、その中の小三治の三十句は、次の通り。
立春や噺家やっとお正月
寒薔薇や鉄の門扉の内に在り
子の数を数え見上げる燕の巣
あらためてまた歩き出す春嵐
種芋の少し芽の出ている風情
天上で柄杓打ち合う甘茶かな
おもひあったことのあるひとと海雲吸ふ
肩ならべ訪ふぶらんこの母校かな
荷風忌や明日から演芸ホールトリ
その奥の闇は動かず夏のれん
とんかつ屋カメラと金魚に凝っている
紫陽花や男同士の遠ざかる
のどによく効くといはれて枇杷の密
打水の女逞し植疱瘡
ごきぶりが音から先にやってくる
硝子戸のむこうへ行きたい雨蛙
雪渓の鉈で割られたる如し
あめんぼう君なら渡れる佐渡島
太るだけ太って短き夏大根
孫帰り風呂場の棚の浮金魚
心太鼻から出でし痛さかな
ほどのよい形にひとつ秋の雲
旧姓に戻りましたと秋めく日
爪の先かくも見事に蝉の殻
テレビ塔4:30の秋茜
鍋料理などつつきたきひとに逢ふ
銭湯を出て肩車冬の月
このところだけ日の差して冬の蝶
風邪声の人空港へ迎え来る
寒雷やちっとも効かぬ強精剤
作品の中のエピソードがいくつか紹介されている。普段は穏やかな宗匠の扇橋が、烈火のごとく怒った句がある。
句会で佐渡島に渡った時に、ジェットホイルという水中翼船に乗船した。今日は船長のサービスということで、ぐるっと円を書いて回って見せた。これを見て小三治が詠んだ句が、
・ここんとここいつも三度っつ回りますとホイル徳
ご存知、落語「船徳」を詠みこんだ句だ。他のメンバーは大笑いだったが、扇橋だけは何故か怒っていた。理由は「不真面目だ」と言うが、小三治としては納得いかなかった。
もう一句、
・旧姓に戻りましたと秋めく日
この時も他のメンバーからは好評だったが、扇橋は顔色を変えて怒り、「何だいこれは、冗談じゃねえよ」「お前はいつもそうだ」と、何か逆鱗に触れたらしいのだが、小三治には理解できなかった。
「何かありゃがったんだな、きっと」と小三治が書いていたが、今頃二人であの時のことを話しあってるかも。
柳家小三治の訃報。以下、スポーツニッポン新聞社 2021/10/10付記事より引用。
落語家で人間国宝の柳家小三治(本名・郡山剛蔵)さんが7日、心不全のため東京都内の自宅で死去したことが10日分かった。81歳。東京都出身。一般社団法人落語協会は発表した。
落語協会が10日、公式サイトで「当協会顧問の柳家小三治(本名:郡山剛藏)が、令和3年10月7日(木)午後8時、永眠いたしました(81歳)。故人の遺志により密葬にて執り行われました。お別れ会の予定はございません。謹んでご冥福をお祈りいたします」と伝えた。
柳家小三治事務所も「柳家小三治(本名・郡山剛蔵)は令和3年10月7日20時、心不全のため満81歳にて永眠いたしました。生前のご厚誼に深く感謝し謹んでお知らせ申し上げます」とコメントを発表。「最後の高座は10月2日、府中の森芸術劇場での『猫の皿』となりました。亡くなる当日まで次の高座を楽しみにしておりましたので、突然のことでした」とつづり、「この先予定されていた落語会を心待ちにしてくださっていたお客さまには申し訳なく存じます。また長らくご贔屓いただきましたお客さま、関係者のみなさまには心よりお礼申し上げます」と感謝をつづり、「故人の遺志により過日近親者のみにて葬儀を執り行いましたので、通夜および葬儀・告別式は行いません。お別れの会等の予定もございません」とした。
落語協会の柳亭市馬会長は「つい最近まで、元気に高座に上がっている、と聞いていたので突然の訃報に接し只々、呆然とするだけです。落語史に、大きな区切りの線が引かれたのは、確かです。何事にも迎合することを嫌い、派手を好まず、極めて芸人らしからぬ、孤高の噺家でした。個人的には、師匠先代小さん亡き後、芸について口やかましい事を言ってくれるのは、小三治師匠だけだったので、いよいよ心細く、寂しくなりますが、『もうあんなに沢山、薬を飲まなくてもいいんだな。』と思うと、少しだけほっとします。小三治師匠、長い間、お疲れさまでした。本当にくたびれましたねぇ。どうかゆっくり、お休み下さい。有難うございました」とコメントを発表した。
柳家小三治の思い出は尽きない。
中学の時の親友で落語が上手いのがいて、ラジオ番組「しろうと寄席」に出演したが、鐘二つだった。その番組で高校生ながら、連続合格していた凄いのがいた。その天才少年が、後年の小三治である。
師匠の5代目柳家小さん譲りの滑稽噺の名手で、聴いていて可笑しさがこみ上げてくる芸風だった。
小三治の高座は数え切れないほど観たが、私が聴いた最後の高座は、2019年11月14日の「国立名人会」のトリで、ネタは「粗忽長屋」だったが、本人と遺体が対面する場面は正に抱腹絶倒だった。
心より、ご冥福をお祈りする。
第69回「大手町落語会」
日時:2021年10月9日(土)13時
会場:日経ホール
< 番組 >
前座・古今亭菊一『雑排』
入船亭小辰『初天神』
柳亭小痴楽『湯屋番』
柳家さん喬『ちりとてちん』
~仲入り~
隅田川馬石『火焔太鼓』
柳家権太楼『心眼』
9月に3回落語会に行く予定だったが、いずれも家族の通院の付き添いなどの事情で断念。直前だったのでチケットを譲ることも出来ず、勿体ないことをした。都内の寄席も、鈴本演芸場が10月下席から通常の営業に戻るようで、ようやく日常に近づきつつある。
大手町落語会は権太楼とさん喬がレギュラーで、これに2-3名の出演者が加わると言う構成になっている。今回は楽しみな顔付けだった。
菊一『雑排』
東大大学院卒だそうで、一昔前なら、親は嘆くだろうなと思われただろうが、今は事情が変わってきたのか。
小辰『初天神』
小辰の様な「上り坂」の噺家を見るのは楽しい。どんな姿を見せてくれるのかと言う、ワクワク感がある。土下座までして父親にねだる金坊の弾け方を演じて、受けていた。
余談だが、柳家の大名跡で長期にわたり空席になっている談洲楼燕枝を、三三か小辰に襲名させたらどうだろうか。ぴっかり☆が来春、蝶花楼を名乗ることだし。
小痴楽『湯屋番』
起き抜けで、人を笑わせる気分ではないと言いながら、熱演していた。小痴楽は明るさと勢いで見せるタイプなので、技術的な点は無視。こういう人も噺家には必要だ。
さん喬『ちりとてちん』
小辰や小痴楽を見て、自分も若い頃は勢いがあったと語っていたが、さん喬の若い頃の録音を聴くと、今とは随分印象が違う。年齢を重ねながら、自分の芸風をどう変えてゆくかは、それぞれの大きなテーマなんだろう。人情噺に定評のあるさん喬だが、私はこの日のような軽い滑稽噺の方を好む。
馬石『火焔太鼓』
肩の力を抜いた「脱力系」の人、長い手を不思議な形で動かすのが特徴、体が柔らかいんだね。1分で仕入れた太鼓が300両で売れて、有頂天になる主の描き方が上手い。人情噺も得意としているのは、師匠譲りだ。
権太楼『心眼』
マクラで、写真家の大森克己が、柳家権太楼の口演「心眼」の一部始終を写し取った写真集「柳家権太楼 心眼」について紹介があり、今渋谷駅の公園通りで写真のパネル展示がされているそうだ。
このネタの色男の盲人と不器量の女房の組み合わせだが、中学時代に隣にあったアパートの大家が正にその通りだったので、私にはリアリティがある。
主人公の按摩の梅喜は、周囲から蔑まれていたが、客に小春という芸者がいてお互い憎からず思っていた。梅喜は賢妻のお竹の献身には感謝する一方、心の奥で小春と深い仲になりたいという欲望を抱いていたのだろう。それが夢の中で現れてしまい、梅喜自身が慄然となったに違いない。罪の深さを感じた梅喜の、「信心はもうやめた。メクラってぇものは妙なもんだね。寝ているうちだけよーく見える」という幕切れのセリフになったと思う。
と、これは私の解釈だ。
権太楼は全く別の解釈で演じたかも知れない。
演者によって、聴き手によって、様々な解釈がされる、そういうネタである。
共同通信社が10月4,5日に行った世論調査によれば、直前に行われた総裁選ショーのお陰で、自民党の支持率が50.8%と高かった。一方、安倍・菅両政権の路線に対して、転換すべきが69.7%と、継承すべきの24.1%を大きく上回った。岸田内閣への指示率が55.7%と、発足時としては低めだったのも、安倍の影響力が強いと見られたのかも知れない。とにかく、安倍政治から変わって欲しいという国民の声が7割近いという事実に着目すべきだろう。安倍が、過去に2度も政権を投げ出しておきながら、依然としてキングメーカー気取りで政治を支配しようとしている姿は異常である。自分に都合の悪い事は全て隠蔽し、国会ではウソの答弁を繰り返す姿は、政治家として失格だ。
では、岸田新政権は数に押されて安倍の言うままに動くのかというと、そう単純ではないだろう。安倍が属する細田派と異なり、岸田が率いる宏池会はリベラル色が濃く、政策が異なる。岸田は総裁選に勝つために安倍の政策を飲むような軌道修正を行ったが、自分が首相になれば独自のカラーを出してくるようになるだろう。そうせずに、安倍、あるいは3A(安倍、麻生、甘利)の傀儡政権になるようなら、菅政権と同様に短命に終わると思う。
そろそろ、「アベノ皮」を剥がさねばなるまい。
それには、野党勢力の伸長も欠かせない。
新型コロナの感染により、私たちを取り巻く社会や生活の在り方は一変した。恐らくは、完全に元通りの生活に戻ることは期待できまい。withコロナの時代に向かって政治はどうあるべきか、来たる衆院選で答えが問われる。
大気海洋の循環を考慮した気候変動のモデルを開発した等の功績でノーベル賞を受賞した米プリンストン大の真鍋淑郎・上席研究員(90=愛媛県出身、米国籍)が話題となっており、これを機に地球温暖化への取り組みが一層進むことを期待したい。
日本政府は、昨年末に「パリ協定」に積極的に参加し、「地球温暖化を産業革命以前と比べて2℃以下に抑える努力をする」こととなった。しかし、「可能なら1.5℃に抑えたい」という議論が世界中で真剣に行われているという。この「0.5℃」の差が、どれだけ大きいのか。
例えば、洪水の影響を受ける世界の人口は、1.5℃だと現在の2倍で済むが、2℃だと3倍になってしまう。小麦の収穫量減少はは1.5℃だと9%だが、2%だと16%に激増する。サンゴ礁の消失は1.5℃だと80%だが、2℃だと99%とほぼ完全に地球から消失してしまう。
これらは将来予測だが、1991年に実際に起きた事例で見ると、ピナツボ火山の大噴火で地球の平均温度が0.5℃下がった。この影響とエルニーニョとの複合作用で、日本の東北地方は冷夏となり、水稲の収穫量が40%も減少し、コメ不足で「平成の米騒動」になった事は記憶に新しい。この様に、たった0.5℃の差が人々の生活に大きな影響を及ぼすのだ。
過去の地球の気温を推定するのは難しいことだったが、最近になって正確な海水温を推定するのに大きな進展があった。それは、海の表層に生息するプランクトンが夏季に作る、アルケノンという特別な有機物が、合成時の水温を正確に反映することが分かってきた。これを海水の温度推定に利用できる。海水温と気温とは密接な関係があるため、堆積物の中のアルケノンを測定することにより、過去の気温も正確に推定できる。誤差は0.3℃と高精度だ。
この技術を使って、過去2万2千年の日本の水温、気温を推定したところ、大寒冷期が、社会の大枠を転換する節目になっていることが見出された。
①土器の発明
②縄文遺跡である三内丸山の崩壊
③大陸からの弥生人の渡来
④宮廷政治の衰退と武士の台頭
この様に気候変動は社会に大きな変化をもたらし、私たちの運命も左右される。
平均気温の2℃上昇は、「この世の終わりの様な非常事態」が危惧されると推定されている。
地球温暖化の阻止は、人類共通の課題として真剣に取り組まねばならない。
(以上は、月刊誌「図書」10月号の川幡穂高氏の記事を参考にした。)
以下、10月2日付「南日本新聞」の記事より引用。
眞子さまは2018年7月、ブラジル・サンパウロ市であった日本人の移住110周年を記念する式典に出席された。ブラジル鹿児島県人会の文岡セルジオ正樹会長は、現地で日本文化が引き継がれていることに謝意を述べられたのが印象に残っている。「皇族の役割を果たされ、しっかりとした話し方で素晴らしかった」と振り返る。
県人会によると、ブラジル国内各所も視察。子どもや高齢者に自ら声を掛けて握手し、戦没者慰霊碑に深々とお辞儀する姿が称賛を集めた。文岡さんは「(結婚後の)異国での暮らしは大変さもあるだろうが、自分で選ばれた道を幸せに生きてほしい」と願った。
10月1日に発表された秋篠宮家の長女眞子さんと小室圭さんの結婚に関して、「選ばれた道、幸せに生きて」というメッセージだ。結婚が決まった二人への温かいエールだが、今のネットの世界では袋叩きにあいそうだ。
この期に及んで、まだ二人へのバッシングをやめようとしない、その神経が分からない。この結婚を破談に追い込めば、眞子さんは幸せになるのだろうか。皇室の権威は保たれるというのか。
今回の眞子さんに対するバッシングで思い出すのは、1990年代に起きた当時の美智子皇后へのバッシングだ。この時は、皇后が声が出なくなるという事態に陥った。
2010年代には、当時の雅子妃への激しいバッシングがあり、その結果は長期にわたって「適応障害」に苦しむことになった。批判の矛先は当時の皇太子(現天皇)にまで及んだ。
こうしたバッシングは、いずれも主に保守派(右翼)の側から行われたもので、今もその構図は変わらない。
この先、未婚の皇族の婚姻が話題になるたびに、相手先が気に入らないからとバッシングが行われることだろう。
かくして、皇室の権威は次第に失われていく。
日本の保守派は、「反皇室」だ。
事件や事故で加害者になった人の家族に対して、攻撃や誹謗中傷が行われることが頻発している。時には、家族の勤め先まで、嫌がらせがされる例もある。その結果、家族が引っ越しを余儀なくされたり、自殺という事態まで引き起こしている。被害者に同情する心情は分かるが、それとて加害者の家族に対する攻撃は許されることではない。
特に加害者の親が矢面に立たされることが多いが、子育てを経験してみれば分かる通り、親は子どもをコントロールすることは出来ない。同じ両親から生まれ、同じ環境に育ちながら、子どもたちの性格が正反対というのはザラだ。順調にいってるケースもあるが、多くの親にとって子育ては悩みの種だ。
私が中学生の頃、近所に5歳位の女の子に問題児がいた。両親はとても上品な人で、その子も礼儀正しく進んで挨拶し、よその家に上がる時は「お邪魔様です」と声をかけてくる。この一見良い子が、周囲に大人がいないと見ると、幼児を叩くなど乱暴をする。一度、三輪車で遊んでいる子を背後から突き飛ばし、電柱に激しくぶつけるを見た。ぶつけられた子が大声で泣きだしため、家から飛び出した母親に状況を説明し、その母親も女の子を強く叱ったが、ケロッとしていた。子ども心に、私には悪魔の様に見えた。こんな事が続いたため、周りの人の間でもこの女の子のことが評判になり、「将来どんな風になるのかね」という心配の声も上がっていた。しかし、その子の両親に忠告した人はいなかった様で、恐らく親は実態を知らぬままだったろう。また、忠告されても親は戸惑うばかりだったろう。しばらくすると、引っ越してしまったので、その子のその後の事は分からない。
事ほど左様に、子どもは親の思い通りにはならない。成人になった子に対しては、親は無力だ。
ましてや、加害者の兄弟や子どもたちには何の責任もない。
だから、加害者の家族を責めたり中傷したりする行為は、やめるべきだ。
もっとも、そんな事をする連中はネット民と呼ばれる常識の通用しない人たちだろうから、耳を貸してくれるかどうか疑わしいのだが。
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