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2022/01/30

「見て見ぬふり」と簡単にいうけれど

車内暴力事件が起きるたびに、周囲の人は「見て見ぬふり」と、非難するような報道がなされる。こういう報道をする人は、実際の現場に遭遇したら、勇気をもって制止するのだろうか、いつも疑問に思う。
私は過去に2度ほど車内暴力に出くわした。しかし、2度とも駅員に通報するしかなかった。幸い、両方とも暴力をふるった人物は拘束されたのではあるが。あの暴力行為に立ち向かうのは、訓練を受けた人か、よほど腕に自信がある人に限られると思った。止めるのは命がけだ。
また、暴力には至らずとも、何かきっかけがあれば因縁をつけようとウズウズしている人物に出会うこともある。時には向こうから挑発してくる場合があるので、動きに注意し慎重に行動したほうが良い。
もちろん、悪いのは向こうに決まってるが、犯罪に巻き込まれるリスクは避けた方がいい。
世の中には、常識や理屈が通らない人もいる。
稀に、暴力を阻止する勇気ある人がいて、それは賞賛に値する。だからといって、そうした行動をとらなかったから、「周囲の人は見て見ぬふり」などと安易に断定するのは、不適切だ。

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2022/01/28

県民性、魅力度ランキング

民間の調査会社「ブランド総合研究所」が発表した自治体別の魅力度ランキングをめぐり、群馬県の山本一太知事は記者会見で不満をあらわにした。
「なぜ群馬県の順位が下がったのか、理由は判然としない。根拠の不明確なランキングにより魅力がないという誤った認識が広がることは、県民の誇りを低下させるのみならず、経済的な損失にもつながるゆゆしき問題だ」
群馬県は全国44位と、前の年よりも4つ順位を下げた。山本知事は、法的措置も含めて今後の対応を検討する考えを表明した。
大人げない気もするが、第三者から勝手に「お前の地域は魅力がない」なんて評価されるのは、良い気がしないのは確かだ。
この調査はネットによるアンケート形式で、都道府県の魅力度ランキングは、「とても魅力的」を100点「やや魅力的」を50点、「どちらでもない」、「あまり魅力を感じない」、「全く魅力的でない」を0点として、回答を自治体ごとに集計し、点数を算出しているとのこと。
しかし、この設問に回答ができる人は、一体どのくらいいるのだろうか。私は仕事や旅行で47都道府県をいちおう回ってきたが、回答は不能だ。それぞれの地域はそれぞれの魅力があり、順位も点数もつけようがない。調査には、全体で3万5000人に回答して貰っているようだが、都道府県の魅力に点数をつけられる人って、どの程度いるのか。
こうした調査を行い、結果を公表することに意義があるのか、疑問である。
よく「県民性」という言葉で、都道府県に住む人の個性を表すことがあるが、これも意味をなさない。
1871年に行われた「廃藩置県」により、3府302県に分割されたが、その後の地域ごとの合併や離散を経て、1888年に今の形に近い3府43県が成立した。そこから現在までに「県民性」が醸成したとは考えにくい。
東京だって、元からの江戸っ子は少数派で、多くは地方出身者だ。
大阪は、摂津・河内・和泉の3国から成り、それぞれの地域ごとの特性が異なる。
これは他の道府県にも言えることであり、一括りにして評価するのは乱暴なやり方なのだ。

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2022/01/26

世界遺産を有難がる時代は終わった

佐渡金山の世界遺産登録をめぐって国会でも質疑にとりあげられていたが、それほどの問題なのかと思ってしまう。
あらためて日本の世界遺産の登録リストを見てみると、17件となっている。他に登録の候補となる暫定リストに佐渡金山を含めて5件。それとは別に、文化庁が文化遺産を公募したところ、各地方から数十件の応募があった。
これだけ拡がってていくと、有難みも薄れる。
世界遺産登録の目的の一つに観光の振興があるが、登録直後は観光客が押し寄せたが、その後は閑古鳥という例もあるらしい。魅力がなければ人は集まらないのは当然のこと。
例えば京都、コロナ以前は世界中から観光客が訪れていたが、仮に京都が登録から外れていても状況は変わらないだろう。
海外のあちこちに行ってみると、「ガッカリ世界遺産」に数多く出会った。説明を受けてもその価値が分からない。
反対に、素晴らしい景観や文化的価値がありながら、世界遺産に登録されていない例も沢山見てきた。
現在、世界遺産に合計1,154件登録されているが、世界遺産条約締約193か国中、1件も登録物件を持たない国が27か国ある。以前の日本もそうだったが、国によっては登録を申請しない方針の所もある。
ドイツのドレスデン・エルベ渓谷は、かつてユネスコの世界遺産に登録されていた。その景観の美しさは勿論のこと、ドレスデンの市街地は第二次世界大戦の末期に、連合軍の空爆により一面瓦礫の山と化した。市民はその瓦礫を集めて組み直し、戦前の街の姿を再建した。この景観には誰しも感動する。
Before
After
処が、市民の生活のためにエルベ川に橋を1本架けようとしたら、世界遺産を取り消すと言われた。住民投票の結果、市民は世界遺産より橋の建設を支持し、登録は取り消された。私がドレスデンを訪れたのは、世界遺産が取り消された後だったが、大勢の観光客で賑わっていた。登録が削除されても、ドレスデンの歴史もエルベ川の景観も、何も変わっていないからだ。ドレスデン市民の心意気に拍手を送りたいと思う反面、いったい世界遺産って何の意味があるのだろうかという疑問を抱いた。
観光に寄与しようとしまいと、伝統文化を保存し継承してゆく努力はせねばならない。日本には、文化財の保存・活用と、国民の文化的向上を目的とする「文化財保護法」があり、この法律に基づき伝統文化を守っていけば良いのだ。
もうそろそろ、世界遺産を有難がる風潮は見直した方がいい。

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2022/01/24

NHK太河ドラマ「鎌倉殿の13人」解けない疑問

NHK太河ドラマ「鎌倉殿の13人」1-3回を視聴。三谷作品らしい面白い出来ではあるが、期待した最大の謎については残されたままだ。
それは北条家(特に当主の時政)が源頼朝をかくまうばかりでなく、長女の政子を頼朝に嫁がせた理由だ。
時は「平家にあらずんば人にあらず」であり、関東周辺にも平家の影響力が及んでいた。一方の北条家は、伊豆国田方郡北条を拠点とした在地豪族であった。また時政の妻・牧の方の実家は平頼盛の家人だった。
そうした中で北条が、源氏への旗幟を鮮明にして平家と戦う体制を固めたのは、ギャンブルだった思う。ギャンブルはリスクと勝算とのバランスであり、リスクははっきり見通せるが、果たしてどの程度の勝算があったのだろうか。
時政は何をもってどの様な勝算を抱いていたのか、そこがこのドラマ序盤の見所だと思っていた。
しかし、3回までの展開では、時政の勝算や決意は見えてこない。これといった戦略もなく、何となく時流に流されている様子だ。
4回以降にこの点がどれほど解明されるのか、展開を見ていこうと思う。

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2022/01/22

真打の粗製乱造

ある寄席で、真打の噺家のひどい高座に出会った。高座名だけでは分からなかったが、帰って調べてみて納得がいった。前座、二ツ目の時も下手だと思っていたが、真打になって名前が変わっていたので分からなかったのだ。
三遊亭圓生の「寄席育ち」を読むと、かつては万年前座というのがいた。いつまで経っても二ツ目になれない噺家だ。なかには、二ツ目昇進を打診しても、「私は未だ実力が備わっていません」と本人から断るケースもあったという。
現在の真打制度は、落語協会、落語芸術協会を問わず基本的には香盤順(大まかに入門時の序列順)となっていて、たまに抜擢で昇進するケースを除けば自動昇格だ。
これは、かつて真打昇進をめぐって協会の分裂が起きていたこと、抜擢を受けた人が周囲の羨望で嫌な思いをしていた場合があったこと、といった事情を考慮したものと思われる。
反面、観客の評価や評判を全く無視したもので、専ら内部事情が優先された結果である。
親や祖父が噺家だったからと、まるで噺家を家業に様に勘違いしてる人も見かける。客にとってはいい迷惑だ。
歌舞伎の世界では、かつて名優として名高い人の息子が、あまりに演技が上達せず廃業した例もあるのに。
なかには、もともと噺家に向いてないと思われる人もいるが、それでも一定年数が経てば真打だ。
これでは昇進を目指して努力したり、お互いに切磋琢磨したりする状況が生まれない。
真打になってもなかなか寄席に顔付けされない人や、寄席でトリを取ったのは真打昇進が最初で最後という人もいる。
「名ばかり真打」を量産しては意味がない。いっそ階級制度を廃止したらどうだろうか。
上方落語には階級制度がないが、それで何か不都合なことがあるとは聞いていない。
若手だろうとベテランだろうと、上手い人は上手いし、下手な人は下手だ。肩書などなくても、客はよく知っている。

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2022/01/20

維新にすり寄る関西メディア「維新伝新」

毎日放送(大阪市)は19日、1日放送のトーク番組に日本維新の会を創設した橋下徹氏と現代表の松井一郎大阪市長、副代表の吉村洋文大阪府知事がそろって出演したことに政治的中立性の観点から批判が出ているとして、経緯などを検証する調査チームを社内で立ち上げたと明らかにした。
この件について、毎日放送・虫明洋一社長の記者会見(1月19日)での主なやりとりは次の通り。
記者(以下Q) 放送の意図は。
虫明氏(以下A) 司会の2人が誰と話したいかというところから始まり、橋下さん、吉村さん、松井さんが出演する状況が生まれた。番組審議会で3人を出したことに厳しい意見があった。「放送である以上、不偏不党、政治的な中立という点で問題ではないか」と指摘され、なぜこの番組をこういう形で放送したか検証するため、調査チームを発足させた。
Q視聴者から意見は。
A意見は約20件。3人の起用について不満がある、問題ではないかという指摘があると聞いている。
Q放送前に社内から問題があると指摘はなかったか。
A虫明氏 ありました。
Qそれなのになぜ放送に至ったか。
A虫明氏 まさにその点を調査するよう強く命じている。きちんと調査してコメントを出したい。
Q調査結果はいつまでに出すか。
A虫明氏 3月の番組審議会で報告する。
Qネット上には「政治的公平性を欠く」という意見もある。
A虫明氏 きちんと調査してお話ししたほうがいいと思う。作り手の思いが、見る方の思いと一致しないこともある。「公平性を欠く」という意見が出ているならば、非常に残念だ。
(毎日新聞 2022/1/19 より引用)
当該番組が不偏不党に反する恐れがあることは、社内からも危惧する声があったようだが、放送はなされた。
調査結果を待ちたい。

読売新聞大阪本社がこのほど「包括連携協定」なるものを大阪府と結んだ。いったい何をしようとしているのか。
ただでさえ、在阪の主要メディアは居心地のいい府政記者クラブ、市政記者クラブなどに加盟し、府市から情報提供サービスを受けて、体よく報道コントロールされている。その距離をもっと縮めようというのである。
政治権力と一体化するかのごとき報道機関など、国民の知る権利にこたえられるはずがない。“新聞離れ”が進むなか、権力の監視という本来の役割を捨ててでも生き残りをはかろうとしているようにさえ見える。
「包括連携協定」はそんなものではないという反論もあるだろう。むろん、協定の趣旨そのものは筋が通っている。行政だけで時代の激しい変化に対応するのはむずかしい。民間企業と協力し、地域の課題を解決するのだという。
情報発信や防災対策のために、神奈川県と株式会社LINE、福岡市とYahoo!株式会社がこれを締結するなど、全国各地で取り組みが広がっているのは確かだ。地方紙が自治体と協定を結ぶケースも散見される。
では、読売新聞と大阪府は、具体的に何をどうするつもりなのだろうか。大阪府の資料には、府職員に読売記者が「読む・書く・話す」力を向上させる特別講義を行うとか、府立の小中学校へ出前授業をするとか、読売主催の文化イベントに招待するとか、たくさんの項目が並べられている。実際にどこまでニーズがあるのかはともかくとしても、決して腹に落ちる内容ではない。
ポイントになりそうなのは「大阪府の情報発信への協力」「万博に関連した情報の発信」といった項目だ。情報発信については、読売ファミリーなど無料の生活情報紙が媒体として例示されているが、当然のことながら、府が期待するのは読売本紙であろう。
しかし、万博などの情報発信のためだけに、大阪府が一つの新聞社と手を握ることは考えにくい。万博に関連した情報は、記者クラブで全加盟社向けにいくらでも発表できるからだ。役所まるがかえの記者クラブにいるだけで、放っておいても役人がネタを提供してくれるため、各社は複数の記者を常駐させている。つまり、情報発信に府が苦労するはずはないということだ。
ならば、府は何を読売新聞に期待しているのだろうか。考えられることはただ一つ。吉村府政への、紙面での援護射撃だ。東京五輪もそうだったが、万博という国家的プロジェクトを進める過程では、巨費を投じるだけにメディアからのさまざまな批判が予想される。
万博会場である人工島・夢洲には初期投資約1兆800億円でカジノを含む統合型リゾート(IR)を誘致する予定でもあり、大阪府と大阪市は今年4月までに計画を国に提出することになっている。この夢洲の土壌汚染対策費用だけでも約800億円かかるという。カジノには府民の反発も強く、実現までには曲折が予想される。
読売新聞が今回の協定により、大阪府知事の意向を忖度するようになれば、カジノ反対派の意見は軽視され、推進派の言い分がより大きく紙面に反映されるだろう。
いうまでもなく、万博とカジノリゾートで成功するか否かは、大阪を根城とする日本維新の会の浮沈にかかわってくる。党の吉村副代表をトップとする大阪府が、発行部数ナンバーワンの読売を味方につけたいと思っても一向に不思議ではない。あたかも、読売を御用新聞のごとく利用したアベ・スガ政権のように。
とはいえ、今回の話は大阪府から持ちかけたわけではない。包括連携協定は、あくまで企業側が提案することになっている。
(MAG2NEWS 2022.01.17 より引用)
讀賣新聞の様な全国紙が、特定の地方自治体と協定を結ぶのは前例がないと思う。これが許されるなら、特定の新聞社が日本政府と協定を結ぶことさえ可能だ(もう既に協定を結んでいる社もあるかも)。
狙いはズバリ、大阪府が推進する万博とカジノを讀賣が援護することにある。
この件について某幹部が、「讀賣はやわじゃない」と答えたそうだが、「やわ」なのは今に始まったことではない。戦前は軍部にすりより部数を伸ばし、戦後の一時期は共産党の機関紙と揶揄され、社主が自民党国会議員になったり、安倍・菅政権ではご存知の様な報道姿勢になってきた。

読売新聞も加盟する日本新聞協会の「新聞倫理綱領」の前文には、次のように記されている。
「国民の『知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される」
「公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない」
毎日も讀賣も、もう一度倫理綱領に立ち返って、自らを省みるべきだろう。

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2022/01/18

「巧言令色」のオンパレード

「巧言(こうげん)令色(れいしょく)鮮(すく)なし仁(じん)」は「論語」に出てくる有名な言葉だ。意味は「口先だけうまく、顔つきだけよくする者には、真の仁者はいない」。
いささか旧聞に属するが、昨年行われた自民党総裁選、TV中継で各候補者の討論を聞いたが、「巧言令色」のオンパレードだった。
いわく「温もりのある国」「美しい国」「国民に寄り添う」「全世代の安心感」、抽象的で歯の浮くような言葉が並んだ。
選ばれた総裁は首相になるのが決まりなので、公約したことは実現することが可能なのだ。
勝った岸田は「聞く力」をキャッチフレーズにして、「車座」のパフォーマンスを披露したが、実際は「聞き捨てる力」だった。
「令和の所得倍増」の公約は、首相就任後はあっさりと「所得を引き上げる」に変更してしまった。
「新しい資本主義」にしても、来年度の予算案や政策に具体化しているとは思えない。
首相の言葉がこんなに軽くていいもんだろうか。実行する気がないなら最初から言わなきゃいいのに。方針を変更するなら、その理由を説明すべきだ。
「拉致問題の解決」というフレーズも、先の総裁選でも全員が訴えていた。胸には揃いのブルーリボンを付けていたし、新しい首相が誕生するたびに家族会の人たちと一緒に決意を語る姿は恒例になっている。しかし、この十数年間は1㎜も動いていないのが実情だ。実際に何もしてないのか、それとも具体的な努力をしているが(北朝鮮との窓口とは交渉しているらしいのだが)障害があって進んでいなのかの説明すらない。何に行き詰っているのか、それをどう打開しようとしているのかも不明である。家族会の方々が落胆し、不満を述べるのはもっともだ。
やる気がない、又は無理だと最初から分かっているなら、口先だけの決意表明などしなければいいのだ。
やはり「巧言令色鮮なし仁」である。

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2022/01/16

「子ガチャ」だってあるさ

「親ガチャ」という言葉がある。子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」(「実用日本語表現辞典」)と述べる表現を言うらしい。
しかし、「子ガチャ」だってあると言いたい。
同じ両親から生まれ、同じ環境で同じ様に育てにも拘わらず、兄弟姉妹の性格が全く異なるということは珍しいことではない。
私は二人兄弟の弟だったが、兄は模範的な人柄で親孝行、昼は仕事をしながら高校大学を夜間で卒業した努力家だった。だから、親戚の家に行くと、いつも兄を褒める言葉を聞かされた。ということは、私はその正反対に見られたわけだ。なかには露骨に、「この子は兄さんとは似てないねえ」なんて言われることさえあった。
だから親は困惑しただろう。兄弟で何でこんなに違うんだろうと。
自分が親になって子育てをしてみると、二人の子どもは同じ様に育てた筈だが、性格が正反対なのに戸惑うばかりだ。
結局、その子の本来持っているものが異なるのだから仕方ないと思うしかない。全てはこれも運任せ、「子ガチャ」である。
よく重大事件を起こした子どもの家族が夜逃げに追い込まれたり、時には自殺者まで出してしまうことがあるが、気の毒としか言いようがない。
養育環境についてあれこれ議論したりしても、一部のケースを除けば無意味だと思っている。殆んどが特殊なケースであり、その人の個別の事情によるものだと思う。
だから一般的な背景を詮索しても何も出てこないし、ましてや事件を防ぐことなど不可能だと思っている。
前にも触れたが、私は旅行が好きであちこちのツアーに参加してきた。そうすると、必ずと言っていいほど周囲に迷惑をかける人が一定割合いる。
最初は腹が立ったが、ある時に約5%(およそ20人に1人程度)はそういう人がおり、それは仕方ないことだと諦めたら気が楽になった。だから20人ほどのグループで、何も問題が起きなければ今回はラッキーで、迷惑になる人が2人以上いたら今回はついてないと思うことにした。
世の中には、どうにもならない事があるのだ。

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2022/01/14

日本大空襲は米空軍独立のための「人見御供」だった

鈴木冬悠人「日本大空襲『実行犯』の告白」(新潮新書‐2021年8月20日初版)は、米軍に残された膨大な資料と、将校264名・300時間に及ぶ証言によって、なぜ46万人もの民間人が空襲によって殺されたのか、その真実を明らかにしたものだ。本書は2017年にNHKで放送の番組「なぜ日本は焼き尽くされたのか」の取材情報を基に、大幅に加筆されたもの。
ライト兄弟がは初めて空を飛んだ時、これを兵器として使えないかと考えた人がいる。米国「空軍の父」と呼ばれるアーノルド(太平洋戦争時の空軍司令官)だ。第一次世界大戦では、陣地を奪い合う塹壕作戦で、双方に膨大な犠牲者を出してしまった。しかし航空機を使えば、容易に敵陣に深く入り込むことができる。これからの戦争は航空機の時代だとアーノルドは見越した。しかし、こうした考えは軍の内部でも受け入れられず、航空機の役割は偵察だけということで、空軍は陸軍の中の一部として位置づけられたいた。第二次世界大戦開戦時には、アメリカの航空部隊は世界第6位の弱小部隊で、2位の日本に大きく離されていた。米国の両側は太平洋と大西洋という大きな海だったため、攻めるにも守るにも航空機は役に立たないとされていた。
アーノルドが目指していたのは、空軍が陸軍から独立した存在になることであり、それは又空軍関係者の悲願でもあった。

もう一人、米国空軍に大きな貢献をした人物がいた。かつてのアーノルドの上司だったミッチェルだ。彼は、航空機を使って初期に敵の中枢を叩くことができること、戦艦は航空機からの攻撃を防ぐことが出来なくなることを主張した。後者について懐疑的な声が高かったため、ミッチェルは実際の戦艦を使って航空機で沈められる実験を行い、実証してみせた。この結果は欧州や日本にいち早く伝わり重要性が認められたが、皮肉なことに米国だけはこれを無視し、海軍を侮辱した罪で軍法会議にかけられ、軍から追放されてしまう。
真珠湾攻撃に先立つ1924年に、ミッチェルは報告書の中で次の様な予言を行っていた。
「ある晴れた日曜日の7時半、日本の航空機が真珠湾の基地を攻撃する。海軍の戦艦停泊所、弾薬集積所などを爆撃し、太平洋で戦争が始まる。」
それから17年後に、ミッチェルの予言通りになった。前年に旅行者として日本を訪れたミッチェルは、日本の航空戦力を視察し、報告書を書いた。しかし米軍の中でこの報告書に目を通す者はいなかった。

米国が航空機の力に目が醒めたのは、皮肉にも日本軍の真珠湾攻撃だった。ここから航空機の増産とパイロットの育成が始まる。しかし、航空機の製造技術の遅れや未熟なパイロットのために、訓練中に4人に1人が犠牲になった。
航空部隊の使命は、敵の心臓部をピンポイントで叩くことにより、少ない犠牲で最大の成果をあげることができるという主張がようやくルーズベルト大統領にも認められ、そのための国家プロジェクトとして最新鋭の爆撃機の開発が進められた。こうして出来たのがB29爆撃機である。その開発費用は原爆の1・5倍という莫大なものだった。その期待の大きさは同時に空軍にとってプレッシャーになる。空軍は新鋭機のB29を使って、日本の軍需産業や発電所など中枢機能を破壊する精密爆撃を行うこととした。
また、ルーズベルト大統領もハーグ条約に基づき、一般市民を殺害することを禁ずるよう命令を出していた。

ところが、高度1万メートルから爆弾を落下させたが、分厚い雲と激しい偏西風に押され、目標への命中率はわずか7%で、他は無関係の一般住民の住宅にばらまかれた。レーダーの性能が悪いのが原因だった。この結果にルーズベルト大統領と軍の幹部は落胆し、アーノルド空軍司令官は追い詰められる。参謀本部からは、高度1万メートルからの精密爆撃を諦め、低空で市街地に焼夷弾をばらまく方法を求められる。
アーノルドは日本への空爆の指揮者としてルメイ少将を起用し、軍事目標に爆撃を行ったが、結果は同様だった。
そこでアーノルドがルメイに命じたのは、日本の都市に低空で侵入し、焼夷弾を落とすというもの。日本の家屋は木で出来ているので、容易に燃えるので効果的だと。
1945年3月9日の夕方、1機あたり1600トンの焼夷弾を積んだB29、329機が東京に向け出撃、一夜にして130万人が家を失い、12万人が死亡した。その後の10日間で名古屋、大阪、神戸など大都市への空爆で、192万発の焼夷弾を落とし、1万人の命を奪う。
太平洋戦争の帰趨は既に日本の敗戦は決定的になっていて、後は日本の都市を焼き払い、国民の戦争への意欲を失わせることだと米国は考えた。
その後、空爆は中小都市にも及び、その数は2000回に及ぶ。
さらに毒ガス攻撃も計画されていたが、それは実行されなかったが、広島・長崎への原爆投下で犠牲者は合計46万人に達した。その殆どは非戦闘員の民間人だった。
そして、日本は降伏した。
空軍はその圧倒的な力を見せつけた。

終戦から2年後に、空軍は念願の独立を果たした。
日本空襲を指揮したルメイは、その功績を認められ、空軍参謀総長というトップの座を射止めた。
1965年に日本はこのルメイに、勲一等旭日大綬章を授章した。
日本と、それを許した日本人はバカである。

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2022/01/12

久々のNHK太河ドラマ

もう何年ぶりだろう、1月10日久々にNHK太河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見た。
太河ドラマに限らずここんとこのNHK連ドラは、やれ東京オリンピックだの、古関裕而だのと、国策の臭いが強くて最初から敬遠していた。見てないから断言はできないが、古関裕而は戦時中は嫌々ながら軍部に協力したなんて筋だったんだろう。
さて、鎌倉幕府は、源頼朝が創設した日本の武家政権だが、「平家物語」や「源平盛衰記」と「太平記」の間に挟まれ、加えて3代で終わってしまったこともあり、あまりスポットライトが当っていなかったきらいがある。しかし、その後数百年と続く武家政権の端緒となったもので、歴史的意義は大きい。
中央ではいちおう平家が権力を握ったとはいえ、のちに清盛亡き後は木曽義仲に京都を追われ都落ちするばど基盤は脆弱だった。それを見こし、特に東国の武家たちは、平家を倒し次は我こそと思ったのだろう。
奥州藤原は義経をかくまい、いずれ何かに使えるとみたのだろう。結果はこれが裏目に出て奥州藤原は滅亡させられてしまうのだが。
一方。伊豆の有力な豪族だった北条家は、流人として伊豆にいた源頼朝に目をつけた。源氏の正当な継承者として、平家打倒の看板としての資格十分と見たのだろう。長女・政子を妻にして体制を整えた。そして意図通り、平家を倒したのちに頼朝の死後は、名実ともに北条が実権を握ってゆく。とりわけ、妻の政子は幕府樹立から承久の乱に至る大事な時期に、尼将軍として力を奮う。日本の歴史上でも、女性が最高権力を動かした最初の例ではあるまいか。
まあ、この見立ては私の素人了見にすぎないが、これを三谷幸喜がどう料理するかが楽しみだ。
話は変わるが、近ごろのNHKは年配者を切り捨て若者にシフトした番組作りを進めているようだ。年配者は黙ってても受信料を払ってくれるので、不払いの多い若者にターゲットを合わせているとか。でも、あまり甘く見ていると、しっぺ返しを受けるよ。

正月、年始に来た娘から「笑点」に桂宮治が新加入したのをどう思うか?と訊かれた。新メンバーは芸協から選ばれるとみていて、それなら宮治か柳亭小痴楽のどちらかと思っていたから、予想通りだったと答えた。宮治は前座の頃から何度も見ているが、あのガツガツした芸風は好みじゃないけど、とも。
落語が好きだというと、よく「笑点」が話題に出るが、もう何十年も見ていない。なにせ私が見ていた頃の司会は、立川談志や前田武彦だったんだから。「笑点」の主題歌も今は楽器演奏だけだが、かつては歌が入っていた。「笑う点なら、そのものズバリ、それがご存知それがご存知、笑点だーよ」なんてね。
今は昔の物語。

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2022/01/08

客のマナー(三遊亭圓生「寄席育ち」より)

「寄席育ち」の中で圓生が「お客様がたへ」という一項で客のマナーについて、「聞いてくださるお客様がたにも、ある程度の行儀は心得ていただきたい」と述べている。ところが、別の個所では常連の無遠慮な態度が芸人の励みになっているとも述べている。
かつての寄席では常連席というものがあり、枕が置かれていた。常連は足を高座に向けて横になって聞いていた。この客が起き上がって、高座に顔が向くように芸人たちは努力をしていて、それが励みになっていたという。
本当に芸の分かるかたが、未熟なものには冷淡に、まともな芸には行儀良く聞くという、そういうことなら、当人にとっては不愉快なことかも知れないが、それは当人の責任だから仕方ない。
しかし、なかには木戸銭を払ったから貸し切りになったような気分になって、無作法な態度をとる人もいる。他のお客にも迷惑だし、芸人も本気で演る気が失せてしまう。
圓生自身も最前列にそうした無作法な客がいて、途中で高座をおりたことがあるという。
亡くなった歌丸が、ある会で最前列の客が2回続けて新聞を読んでいて、次は高座から文句を言ってやろうと思っていたら、以後はその客は姿を見せなくなったと言っていた。
私の経験でも、国立演芸場の最前列で両足を投げ出して熟睡する女性を見たことがあり、別の日にも同じ人が同じ格好で熟睡していた。寝るのじゃないが、せめて後方の席でと、思ってしまう。
以前の寄席では、気に入らない芸人にヤジを飛ばす客もいたが、さすがに最近はみかけない。一部の例外はあるが、昔に比べ全般的に客のマナーは向上している。

反面こういうこともある。
私がまだ親に連れられて寄席に行きだした頃は、客の反応はシビアだった。今と違って前座に拍手する人は少なかった。
子ども心に、高座に上がってくる時の拍手は期待の拍手、おりる時の拍手は評価の拍手というルールが理解できた。だから名前の通った人が出て来ると拍手は大きく、出来が悪いとおりるときはパラパラになる。逆に、名前が通っていない若手だと拍手は小さいが、良かったとなればおりる時は拍手は大きくなる。だから芸人にとって、拍手で客の反応がつかめたと思う。それが今の様に満遍なく同じ様に拍手していると、客の評価が分からなくなってしまうのではなかろうか。いきおい、受けたかどうか(客の笑いの度合い)が基準になってしまう。
そんな惧れを感じるのだ。
客が芸人を育てるという面と、客の反応が芸人を乗せるという両面があり、正解を導き出すのは難しい。

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2022/01/06

芸の行儀(三遊亭圓生「寄席育ち」より)

三遊亭圓生「寄席育ち」が、岩波現代文庫として再刊されたのを機に読み直してみた。
私は落語家や芸能評論家の書いたものをあまり読まないが、圓生と桂米朝は別格だと考えている。この二人は名人の名に相応しいからだ。
米朝は埋もれてしまった過去の多くの作品を掘り起こし、現代に通じるように手を加えて蘇られさせた。米朝を抜きにしては戦後の上方落語の隆盛は語れまい。
圓生は、東京(江戸)落語のあらゆるジャンル-滑稽噺、人情噺、芝居噺、音曲噺など-の作品を高度に演じてみせてくれた。これは同時代の名人と云われる桂文楽や古今亭志ん生も及ばず、他の追随を許さない。
なかには大した芸の持ち主でもないのに、芸談の本を何本も書いたり、高座で得々と芸談を語る噺家もいるが、しゃらくせえ。

この本の中で圓生は「芸の行儀」について述べている。
例えば、旅のマクラを振っておいて、旅の噺をせずに廓の噺に入ってしまう。それから甲の噺のクスグリを乙の噺で使ってしまう。
後から出る演者は、前の演者のネタ帳を見て演目を決めるので、知らずに同じクスグリが重なってしまうことがある。以前はこういうことは「つかみこみ」と言ってやかましく注意していたが、それが段々といい加減になっている。確かにこうした事は寄席や落語会などで度々経験していて、客も反応に戸惑うことになる。
決まったクスグリをあっちへ持っていったりこっちへ持っていったりしてはいけない。落語の公徳心という意味で、そういうことはやってはいけない。
また昔は、あんまり客を笑わせると、おりてから小言を言われた。15分の高座なら2か所か3か所お客がどっと笑うところがあれば良い。のべつまくなしに笑わせるのは、「大道芸」だと言って嫌がられた。
まあ好みにもよるが、笑わせることに力を注ぐようなガツガツした芸は好きになれない。。
噺家は一人で何役も演じるが、その際にあまり強調した声色を使うのも、「八人芸」といって叱られた。
私見だが、東京落語で大事なのは「粋」であって、「粋」を逸脱したような演じ方は「行儀が悪い」ということになろう。

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2022/01/04

【追悼】三遊亭圓丈、川柳川柳

Ennjou

昨年末、当ブログが休止中に二人のベテランの噺家の訃報に接した。
新作落語の雄、三遊亭圓丈が11月30日に心不全のため、亡くなった。76歳だった。圓丈の最大の功績は、従来の新作落語には無かった斬新な作品-例えば「肥辰一代記」「グリコ少年」「ぺたりこん」などなどーを作り、新しい道を切り拓いたことだ。
羽織にワッペンをつけたり、ちゃんちゃんこを着ていた姿を思い出す。

 

Senryu

川柳川柳は、11月17日に死去した。90歳だった。
川柳の高座は数々観てきたが、戦中の軍歌と戦後のジャズをつないて演じる「ガーコン」1本だった。これほど一つのネタに拘った噺家は他にいない、歳を感じさせない若々しい声は晩年まで衰えなかった。
川柳が「ガーコン」に拘ったのは、多感な少年期を戦争中に過ごしたことと無縁ではあるまい。
これは、詩人・茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」の世界と重なる。
 わたしが一番きれいだったとき
 あたしの国は戦争に負けた
 そんな馬鹿なことってあるもんか
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
 わたしが一番きれいだったとき
 ラジオからジャズが溢れた
 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
川柳は今頃は、きっとあの世でもラッパを吹いていることだろう。

合掌

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