客のマナー(三遊亭圓生「寄席育ち」より)
「寄席育ち」の中で圓生が「お客様がたへ」という一項で客のマナーについて、「聞いてくださるお客様がたにも、ある程度の行儀は心得ていただきたい」と述べている。ところが、別の個所では常連の無遠慮な態度が芸人の励みになっているとも述べている。
かつての寄席では常連席というものがあり、枕が置かれていた。常連は足を高座に向けて横になって聞いていた。この客が起き上がって、高座に顔が向くように芸人たちは努力をしていて、それが励みになっていたという。
本当に芸の分かるかたが、未熟なものには冷淡に、まともな芸には行儀良く聞くという、そういうことなら、当人にとっては不愉快なことかも知れないが、それは当人の責任だから仕方ない。
しかし、なかには木戸銭を払ったから貸し切りになったような気分になって、無作法な態度をとる人もいる。他のお客にも迷惑だし、芸人も本気で演る気が失せてしまう。
圓生自身も最前列にそうした無作法な客がいて、途中で高座をおりたことがあるという。
亡くなった歌丸が、ある会で最前列の客が2回続けて新聞を読んでいて、次は高座から文句を言ってやろうと思っていたら、以後はその客は姿を見せなくなったと言っていた。
私の経験でも、国立演芸場の最前列で両足を投げ出して熟睡する女性を見たことがあり、別の日にも同じ人が同じ格好で熟睡していた。寝るのじゃないが、せめて後方の席でと、思ってしまう。
以前の寄席では、気に入らない芸人にヤジを飛ばす客もいたが、さすがに最近はみかけない。一部の例外はあるが、昔に比べ全般的に客のマナーは向上している。
反面こういうこともある。
私がまだ親に連れられて寄席に行きだした頃は、客の反応はシビアだった。今と違って前座に拍手する人は少なかった。
子ども心に、高座に上がってくる時の拍手は期待の拍手、おりる時の拍手は評価の拍手というルールが理解できた。だから名前の通った人が出て来ると拍手は大きく、出来が悪いとおりるときはパラパラになる。逆に、名前が通っていない若手だと拍手は小さいが、良かったとなればおりる時は拍手は大きくなる。だから芸人にとって、拍手で客の反応がつかめたと思う。それが今の様に満遍なく同じ様に拍手していると、客の評価が分からなくなってしまうのではなかろうか。いきおい、受けたかどうか(客の笑いの度合い)が基準になってしまう。
そんな惧れを感じるのだ。
客が芸人を育てるという面と、客の反応が芸人を乗せるという両面があり、正解を導き出すのは難しい。
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