戦争報道には注意が必要だ
いま多くのメディアがロシアのウクライナ侵略を批判し、世界的にも反戦運動が大きな拡がりを見せている。プーチンの仕業からすれば当然の反応だ。ただ、ここで注意が必要なのは、戦争報道は一般に当事国から発せられるプロパガンダが含まれることが多く、一方の善に対してもう一方の悪が強調されることだ。
例えば、2003年に起きた米国のイラク戦争(侵攻)だが、本質的に今回のウクライナ侵略とどこが違うだろうか。当時は、イラクが大量破壊兵器を所有し、フセイン大統領は国民を弾圧し世界にテロをふりまくとんでもない指導者だという米国の宣伝が浸透していた。日本政府はこの宣伝に全面的にのっかり、イラクを非難し米国を支持した。日本のメディアもこの報道を垂れ流し、国内で反対の声をあげたのは一部の人々だった。
旧ユーゴの内戦では、後に判明したのは片側の陣営が広告宣伝会社に依頼し、プロパガンダを行っていた。ここでは、セルビアが相手国の子どもや女性たちを鉄条網の向こうに閉じ込める写真が全世界に公開され、セルビアへの非難の声が高まり、NATO軍がセルビアに空爆するに至った。しかし、その写真はフェイクであったことが分かったが、後の祭り。
いま、ロシアのウクライナ市民の無差別攻撃が非難されているが、日米戦争の後半には、米軍による日本全国の都市への無差別空爆により、40万人以上の市民が殺害された。だが、当時はこれを非難する者はいなかったし、むしろ終戦を早めたとの評価があったくらいだ。
ことほど左様に、戦争報道というのはバイアスがかかったり、その時の空気に左右される事が多い。
だからこの度の戦争報道についても、当時国はもちろんのこと、日本を含む関係国の報道にも冷静な判断が要るだろう。
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