事件や事故現場での「献花」への疑問
いつの頃からか、事件や事故の現場に花や菓子などがそなえられるようになった。被害者への悲しみや遺族へのお悔やみという気持ちは分かる。しかし、それらを毎日のように片づける人への負担を考えたことがあるだろうか。近所の方が片づけるようだが、ものがものだけに簡単に廃棄するわけにもいかず、処分に困るらしい。
そっと手を合わせるだけで十分ではないか。
勝手な善意は迷惑になるだけだ。
大きな事故や事件だといる、時に記念碑をたてたりする例がある。また、毎年の発生日には遺族の方が集まって現場で祈りをささげるのをニュースで目にするが、遺族の中には負担に感じる人もいるのでは。
人にもよるだろうが、辛い思いは忘れたい遺族もいると思う。
よく「事件を風化させないように」という言い方で、風化を否定的に使っている表現にぶつかることが多いが、もし死にたくなるほどの辛い思い出をずっと引きずっていたら、人は精神的に壊れてしまうだろう。風化は人間が生きてゆく上での知恵ではなかろうか。
家族の法事でも、故人を偲ぶのは3回忌までで、7回忌以降は親戚同士の交流会の趣きになる。
どんな事が起きようと、残された人は生きてゆかねばならぬ。配偶者を亡くした人なら再婚することもあるだろう。兄が亡くなって初七日の時に、義姉には良い人がいたら再婚して下さいと伝えた。
これから生きてゆくことの方が大事なのだ。
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