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2022/05/31

美空ひばりは、いつから国民的歌手になったんだろう

先日、ある書籍のキャッチコピーに「焼跡にひばりの歌声が流れた」とあった。チョット待ってくれよ、ひばりのレコードデビューは1949年で、その頃には既に焼跡は見られなくなっていた。ひばりが昭和最後の年(正確には平成元年)に亡くなったこともあって、なんとなく昭和史と重ねてしまうのだろう。
1989年に死去した美空ひばりだが、死後もその人気は衰えず、数々の歌謡番組では頻繁に「ひばり特集」が組まれ、永遠の歌姫、歌謡界の女王の名を恣にし、国民的歌手としての地位を築いた。
しかし、ひばりほど毀誉褒貶が多かった歌手は他にいないだろう。熱烈なひばりファンがいた一方、「アンチひばり」もそれに劣らず多かったのだ。
アンチ派は、
①山口組(田岡組長)の影。美空ひばりと山口組とは二人三脚で、双方が力をつけてきた。ひばりの興行を山口組が仕切り、その代りひばりのボディガードや会場警備を山口組が務めた。ひばりの要所要所の会見や、他社との交渉の場には、常に田岡組長が同席し眼を光らせていた。
②何かと口を出す母親の存在。ひばりの私生活から楽曲にまで口を出してきて、一卵性母娘と陰口を叩かれるほどだった。その家族愛が、暴力団員だったひばりの弟が起こした不祥事をひばり一家がが擁護したことにより、NHKとは疎遠になった。
を問題にしていた。
私の周囲でいえば、ひばりの名を口に出すことさえ憚れる状態だった。もしかすると隠れひばりファンはいたかも知れないが、それを公言すれば馬鹿にされる雰囲気があったので、黙っていただろう。
ひばり好きは低俗、あるいは田舎者という図式が固定されていたように思う。
その雰囲気に変化が起きたのは1980年代になって、母親と二人の弟が亡くなり、田岡組長も死去、さらには親友の江利チエミの急死と続き、ひばりは孤独になっていく。世間のアンチ派もその頃にはひばりに同情的になっていた。
晩年のひばりは、病魔との闘いだった。1987年の入院の時は、歌手として再起できるかという声もあったが、1988年4月11日の「不死鳥コンサート」でカムバックした。立っていることさえ困難な状態だったにも拘わらず、ひばりは予定の39曲を歌いきった。
かくて、ひばりは国民的歌手となった。
今にして思えば、ひばりの舞台を一度見ておきたかった。そこが心残りだ。

2022/05/29

憲法に「男女同権」を入れたベアテ・シロタ・ゴードン

前回のメルケルに続いてとりあげる女性は、ベアテ・シロタ・ゴードン。
ウクライナ出身の父親レオは天才ピアニストと言われていたが、ロシア革命を逃れるようのオーストラリアに渡り、そこではユダヤ人排斥運動が起きて、かつて演奏旅行で訪れて好感を持っていた日本へ。
両親はベアテに音楽の才能がないと見抜くと語学を学ばせ、6ヶ国語を身につけたベアテを米国に留学させる。
しかし日米開戦により両親の安否も分からなくなり送金も途絶えて、ベアテはアルバイトとしながら大学を卒業。タイム誌に就職するがそこは男性社会で、記者は男性しかなれにずに、彼女は補助的な業務しか与えられなかった。「自由、平等の国で、私は女性の非力さを知った」と、ベアテは自伝で書いている。
日本にいたベアテの両親は、敵性外国人として強制疎開させられ、食料も十分に与えられず、憲兵から尋問される日々を送っていた。
戦争が終わると、ベアテは日本に行く手立てを探し、1945年12月にGHQ民生局員として日本に戻る。重篤な栄養失調になっていた両親との再会を果たす。
1946年2月に、ベアテら25人が日本国憲法の草案作りに携わることになり、ベアテは人権委員会に配属された。与えらた時間は9日間。ベアテは語学力を活かして、世界各国の憲法について書かれた文書を集めた。
「私は日本の女性が幸せになるには、何が一番大事かを考えた。男性の後ろを俯き加減に歩く女性、親の決めた相手と渋々見合いさせられる娘さん。子どもが生まれないと離婚させられる日本女性。法律的には財産権を持たない日本女性。これを何とかしなければいけない。女性の権利をはっきり掲げなければならない」、そうベアテは考えた。
妾と妻が同居している家庭、夫がよその女性に産ませた子を育てる妻。農村では口減らしのために奉公や子守に出され、飢饉になれば娘は身売りされる。
ベアテは日本女性を守りたい一心で「男女同権」の草案を書きあげた。
民生局の上司からは、憲法に入れるのには細か過ぎる、詳細は制定法によるべきだと注意されたが、ベアテは、憲法に掲げなければ民法に反映されないと必死に食い下がった。
3月から始まった内閣とGHQの交渉の場では、日本側から「男女同権は日本の風土になじまない」と反対されたが、「日本を深く知るベアテが、日本女性の立場や気持ちを考えながら、一心不乱に書いたものだ」と主張し、日本側も了承した。
日本国憲法に男女同権を明記したのは、欧米に先んじた先駆的なものだ。
女性も帝国大学に入れるようになり、1946年には初の女性東大生が誕生した。
1947年にベアテは米国に戻るが、日本国憲法草案に携わったことは晩年になるまで秘した。それが憲法改正の口実にされることを恐れたのだ。
日本人は一人一人は優しいが、集団になると変わってしまう。自分の意見をはっきり持たず付和雷同する。封建的な支配に馴れ服従が文化として根付き、強い者、上の者には無条件で従う。「だからこそ、憲法に書くことが大事だと思った」とベアテは語っている。
(以上、月刊誌『選択』5月号の記事を参考にした)

2022/05/28

澤孝子の死去

浪曲師の澤孝子が、5月21日に死去した。
私は、澤の舞台は10年以上前に一度だけしか観てないが、国立演芸場の最前列で聴いた時はあまりの迫力に思わず椅子から滑り落ちそうになった。それほど強く印象に残っている。
浪曲というと演台に派手なテーブルかけが設えていて、立ったまま演じる事が多いのだが、澤は珍しく高座の座布団に座り語る「座り高座」で演じた。
今回調べてみたら、師匠が二代目廣澤菊春だった。菊春は寄席に出ていた浪曲師で、やはり「座り高座」で演じていた。話は脱線するが、菊春は落語浪曲という新しい分野をひらいた人で、小学生だった私も楽しめる面白い語りで人気があった。
澤の舞台は、声・節・啖呵とも申し分なく、すっかり魅了されてしまった。
古典芸能の中では浪曲は昔から女流で活躍した人が多いが、澤孝子のように日本浪曲協会会長を務めた人は稀だと思う。
ご冥福を祈る。

2022/05/27

メルケルvs.プーチン

月刊誌『選択』5月号では、二人の女性をとりあげている。一人はドイツの前首相メルケルで、もう一人はベアテ・シロタ・ゴードン。今回はメルケルについて、主にロシアのプーチンがクリミアに侵攻した際に、彼女がどのような行動を取ったかを記す。
メルケルは1954年生まれで、プーチンは1952年生まれ、共に東独とソ連という同じ共産主義体制のもとで数十年生活していたことになる。
ソ連崩壊後に、メルケルは監視社会の消滅と自由を喜び、民主主義の価値観を共有する体制を目指した。
一方のプーチンは、ソ連崩壊を屈辱と感じ、威信を取り戻す行動に出る。
かつて社会主義で生育し、今は資本主義のもとにいる人にどちらの体制が良かったかを訊くと、ある割合で昔の方が良かったと答える人がいる。同じような状況に置かれても、思いは様々だ。
二人の私生活もまた対照的で、メルケルは4階だての賃貸マンションの一室に住み、自分でスーパーに買い物に行っていた。対するプーチンは世界有数の金持ちで、豪華な秘密の宮殿に住んでいる。
メルケルは首相就任いらい、定期的にプーチンと会談してきた。被害妄想で嘘つきのプーチンの愚痴を辛抱強く聞き、「他の国は物事をそんなふうに見ていない。これはあなたにとって得策じゃない」と諫めた。
プーチンは西側諸国の首脳の中で、メルケル一人だけ敬意を表していたという。

2014年のロシアによるウクライナ侵攻が始まると、メルケルは毎日のようにプーチンと連絡を取り、38回の会談を重ねた。プーチンは例のごとく山のような嘘をまき散らし、ウクライナのファッシストがクリミア在住のロシア人の脅威になっているとか、クリミア在住のロシア人が介入を求めてきたと言い募った。クリミアの議会や空港をロシア軍が制圧しているといえば、あれはロシア兵ではない、軍服は誰でも買えると言い逃れする。
まさに、「ああ言えばプーチン」だ。
嘘を言い続ける男をどうすればいいのか分からないと嘆きつつ、メルケルは辛抱強く交渉を続けた。
2014年9月、二人はウクライナの今後について協議した。時には15時間ぶっ通しで向かいあい、出てくる食事が肉料理かジャムを添えたパンかによって今の時間が分かるというほど、根を詰めた会談だった。
国家の勢力圏だの歴史的怨念だのを問題にするプーチンに対して、メルケルはそれよりウクライナ人のことが問題であり、人々のための平和を実現すべきと主張した。「我々の議論の結果がうまくいくかどうかは分からない。でも試してみる価値はある。ウクライナの人々のために、我々にはそうした義務がある」と。
そしてようやく、プーチンは停戦合意に署名した。
しかし、プーチンはメルケルの退陣を見計うようにウクライナ侵略を始めた。
メルケルに替ってプーチンを説得できる西側首脳は誰もいない。
ウクライナの不幸は終わりが見えない。

2022/05/25

拉致問題、日本政府の「やってる感」

5月23日、北朝鮮による拉致被害者家族が、来日中の米国バイデン大統領と面会した。面談は、終始なごやかな雰囲気で行われ、バイデンは「あなた方の気持ちはよく分かる」と述べたという。
ただ、この光景は既視感がある。日本政府は代々の米国大統領に拉致問題への協力をよびかけてきた。ブッシュは「指導者が拉致を奨励することは心がない」、オバマは「政治家ではなく人の親として許せない」などと述べ、トランプは米朝首脳会談で金正恩に再三、拉致問題を提起していた。
その他、G7などの首脳会議でも、拉致問題への協力をよびかけ、各首脳からの支持を得ている。
しかし、具体的な進展は見られなかった。
何だか、日本政府の「やってる感」のために利用しているような気がしてならない。
拉致問題は、日本の主権にかかわるものであり、日本政府が主体的に解決すべき課題だ。
他国にとっては、しょせん他人事(ひとごと)だ。
北朝鮮による拉致は、日本以外の国も被害を受けている。でも、私たちは他国の被害者がどうなっているかなんて関心を持っていないでしょう。そこはお互いさまなのだ。
第一次安倍政権以降、いずれの政権も拉致問題解決を最重要課題として掲げてきた。
でも、具体的にどんな取り組みをして、どんな結果になっているかが国民には全く伝わってこない。
もしかして、何もしてこなかったのではと疑ってしまう。
他国に協力をお願いするにしても、先ず日本としてこういう政策を進めるので、この部分をバックアップして欲しいという要請でないと、意味がない。
家族会にとって必要なのは、リップサービスではなく、具体的な成果だ。

2022/05/22

第219回「朝日名人会」(2022/5/21)

第219回「朝日名人会」
日時:2022年5月21日(土)14時
会場:有楽町朝日ホール
前座・入船亭扇ぱい『饅頭こわい』
春風亭朝之助『だくだく』
桃月庵白酒『干物箱』
入船亭扇遊『ねずみ』
 ― 仲入り―
柳家権太楼『鼠穴』

雨模様だったので傘持参で出かけたが、往復ともに雨にあわずに済んだ。久々に都心に出ると景色がまぶしい。

朝之助『だくだく』
このネタのポイントは、後半で畳み込むような喋りで見せ場を作ることだが、そこがやや物足りなかったな。

白酒『干物箱』
暗いニュースが続いていたが、久しぶりに明るいニュースとして、例の山口県阿武町で4630万円が誤送金され、回収できなくなっている事件をとりあげていた。大した問題ではないにも拘わらず、連日ワイドショーで話題にしているのも、コロナとウクライナ戦争報道疲れへの反動かな。
湯屋に行くと出かけた若旦那が途中で知人に出会い、物真似が上手い善公を使って若旦那と入れ替わるという知恵を授かるという場面を加えていた。
善公が二階に上がってから、若旦那と花魁が再会してじゃれ合う場面を連想し大騒ぎするので、親父に咎められる。この場面がいかにも白酒らしい演じ方だった。この人は相変わらず面白い。

扇遊『ねずみ』
扇遊とは二三言葉を交わしたことがある程度だが、誠実な人柄に見えた。その演者の個性がネタに生きている高座だった。
ご存知甚五郎もので、最大の聴かせ所はねずみ屋の主人・卯兵衛が語る身の上話だ。酷い中味だが、ここを淡々と語る姿に甚五郎が心を打たれる。幼い倅の卯之吉の健気な姿にも甚五郎が心を寄せる。
ねずみ屋の主対虎屋の主、甚五郎対飯田丹下という善悪の対比も巧みに描かれていた。
聴き終わって清々しい気分になれるのは、やはり演者の人柄によるものだろう。

権太楼『鼠穴』
持ちなれない大金を持つと、時に人間を破滅させるという怖さを描く。同じネズミの付くタイトルだが、こちらは全く雰囲気の異なるストーリーだ。
オリジナルでは、三文の元手を貰った竹次郎が、小さな商いから始めて大店を持つようになるという筋。前から気になっていたのは、江戸の町で三文では、暮らしてゆけないだろういうことだった。そこを補うように、権太楼は空腹で倒れていた竹次郎を、見ず知らずの人が助け、食べ物と水を与えてくれる(江戸は水もタダではない)。さらにその人が住む長屋の大家に事情を話すと、竹次郎に物置を貸してくれて、住む所が確保できた。そこから竹次郎は小商いを始めて、その働きぶりに感心して後援者が出来てきて、その人の紹介で質屋の跡取りとなる。江戸の町人の人情で竹次郎は立ち直ることができたわけだ。権太楼は、その辺りを丁寧に描いてみせた。
後半では、火事で焼け出された竹次郎が娘を連れて兄のもとを訪れ金を無心するが、冷たくあしらわれる。オリジナルでは、元手を作るために娘を泣く泣く吉原に売るが、その金も掏られれしまい、絶望した竹次郎は首を括ろうとするが、権太楼はこの部分を全てカットして演じた。
そうすることにより、人間の心の中に棲む善悪の心を浮きだたせる心理劇として演じようとしたのではないかと推察する。
一見の価値のある見事な高座だった。

2022/05/21

皇室に対する世論はブレまくり

思い出して欲しい、2009年頃の皇室に対する世論を。
当時の皇室についてのネットの記事は、当時の皇太子(現天皇)を「左翼」「反日」「怠け者」などと口汚くののしる言葉に溢れ、「皇太子が次の天皇になると日本は滅びるので(幸い滅びてない)」、何としても阻止しないといけないとまで主張していた。
また、アベさんのお友達である右翼学者、知識人及び一部の皇室評論家などから皇太子批判が行われた。
果ては「秋篠宮が天皇になる日」(文藝春秋2009年2月号)の特集記事が出て、総合雑誌にまで公然とキャンペーンがはられる始末。
ある学者なぞは「次は皇太子さまではなく、秋篠宮さまが天皇になる」ことを望むと、ハッキリ明言していた。
今の時代で良かったね。戦前には「不敬罪」という法律があり、「皇太子ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス」ということで、懲役刑は免れない。もし「皇太子の即位を阻止うんぬん」なんて日にゃ、最高刑は死刑だった。戦後の民主主義に感謝しなくっちゃ。
なんで当時こんな事態になったのかといえば、皇太子妃時代に「適応障害」と診断された雅子さん(現皇后)は、宮中祭祀や公務を度々欠席されるようになった。
その一方で、家族で高級レストランに外食したり、スキー旅行へと出かけたりしたことが、“公より私を優先している”などの批判を浴びて、時には公衆の面前で“税金泥棒”との言葉を浴びせられたこともあったようだ。
また、愛子さんが一時登校拒否になり、雅子さんが登下校の付き添いや授業中も校内で待機したことが、私優先と批判されたのだ。
これに対して秋篠宮家の紀子さんといえば、子育てをしながら公務をこなし、特に悠仁さんを出産してからは「皇統を救った」とまで評されていた。いずれは天皇の「ご生母」となるというわけ。
ところがドッコイ、あれから十数年経て、眞子さんの結婚問題を契機に今じゃ秋篠宮家への批判の嵐だ。あんな問題を起こしたのも、そもそも秋篠宮家の教育が悪かったせいだとなり、評判の良かった紀子さんの言動が週刊誌に叩かれる始末。そのとばっちりは悠仁さんにまで及び、進学先まで物議を醸してる。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」である。
反対に愛子さんの株は上がる一方で、今やアベさんのお友達衆までが女性天皇を認めるようになってきた。
ここまで世論がブレまくると、皇族としては「どうすりゃいいのさ?」である。

2022/05/19

NATO加盟、それぞれの選択

北欧のフィンランドとスウェーデンが、北大西洋条約機構(NATO)に加盟することを決定した。両国ともロシアのウクライナ侵略を受けて、国民の間でNATO加盟を支持する声が強まったためだ。
とりわけスウェーデンは、およそ200年にわたる中立・軍事同盟非加盟の外交政策を大転換することになる。加盟問題をめぐっての議会審議で多数の支持を得られたことから、アンデション首相が「国家と国民にとり加最善」「自国のみならずNATO全体の安全保障に貢献できる」として決断した。
審議では、左翼党と緑の党が加盟に反対した。「NATO加盟は緊急性がない」「意思決定のプロセスが非民主的」といった指摘があり、国民投票を行うよう主張している。市民の間では、中立政策を捨てることへの懸念もあり、抗議デモも行われた。
ただ、トルコが両国のクルド人への扱いに不満を示し、加盟に反対していることから、全同盟国の承認が得られるかは不明だ。
日本でも加盟を支持する意見が強いようだが、これにより欧州がNATOと、ロシアなど旧ソ連6カ国でつくる軍事同盟「集団安全機構」(CSTO)の、二つの軍事同盟にキレイに色分けされることになり、緩衝材となるべき中立国が減ることにより軍事的緊張が高まるのではと懸念される。

一方、オーストリアのシャレンベルク外相は、記者からの質問に「加盟する計画はない」と明確に否定した。地理的状況や歴史が両国とは異なるので、オーストリアのモデルにはならないというもの。議会でも与野党を問わず反対意見が強く、世論調査では加盟反対が75%と、賛成14%を大きく上回っている。
NATO加盟国の一つに対する攻撃は、NATO全体の攻撃とみなすという原則が、かえってオーストリアの安全を危うくするとの危惧がある。また、第二次世界大戦の際に、米英仏とソ連により分割・占領されたという苦い経験から、中立と自由がオーストリアのアイデンティティとなっていることも影響しているとのこと。
北欧両国とオーストリアのどちらが正解なのかは歴史が証明することになるだろうが、安全保障にどう向き合っていくか、我々も真剣に考えねばなるまい。

2022/05/16

ひとでなし国家イスラエル

ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ジェニンで5月11日、取材中の衛星テレビ局アルジャジーラの女性記者、シリーン・アブアクラさんが顔面を銃撃され、死亡した。アルジャジーラはイスラエル軍が銃撃したと主張している。
アブアクラさんは難民キャンプに対するイスラエル軍の急襲作戦を取材していた。銃撃時に「報道」と書かれた防弾チョッキを着用しており、アルジャジーラは声明で「国際法に反する形でイスラエル軍に冷酷に殺害された」と非難した。
13日にはエルサレムでアブアクラさんの葬儀が行われたが、ひつぎが病院から運ばれた際に、イスラエル警察が葬列に突入し、ひつぎを担ぐ人々を次々殴打した。この模様はロイター通信が配信している。
記者を殺害したうえ、その葬儀にまで暴力をふるうイスラエルは、「ひとでなし国家」と言われても仕方ない。
ヨルダン川西岸もエルサレムも、イスラエルの領土ではない。しかしイスラエルが一方的に侵食し、多くの部分を実効支配してしまった。
私はかつて両地域とも訪れているが、現地ガイドがイスラエルの人だったのでイスラエル寄りの解説を聞いたが、それでもイスラエルの不法性は明らかだ。
核兵器を所有し、強大な軍事力を背景に、一方的に国境線を塗り替えているイスラエルに対し、これを黙認している欧米諸国はダブルスタンダードだ。

2022/05/15

あかつきの大合唱

本日は、沖縄の本土返還50周年の日だ。
1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約で日本は独立したが、沖縄や小笠原は除外された。特に沖縄は米軍との地上戦で多大な犠牲を出していたにもかかわらず、引き続き米軍治世下に置かれるという理不尽な扱いを強要された。
1960年代になって、沖縄はもちろん本土からも沖縄返還を求める声が強くなっていた。
その運動の一環として、1960年代の後半から毎年の大晦日から元日にかけて、沖縄返還を願う「あかつきの大合唱」が行われた。
12月31日の午後9時頃に高尾山の麓につき登山を開始、山頂の神社で新年の参拝したあと、尾根伝いを歩いて景信山山頂に向かう。ここで初日の出を待ち、太陽が昇る時に合わせて参加者が「暁の空に」を合唱した。
これを沖縄返還が実現した1972年まで続けた。
まだ若くて体力があったから出来たんだね。

『暁の空に』
作詞・作曲 大西進

暁の空に 芽を育て
デイゴの花は 春ごとに赤い
ベトナムに思い込め
爆音にたじろがず
命懸け土に咲く
命懸け土守る

二七度線を 突き破り
喜び溢れる 勝利の知らせ
砂川に思い込め
銃剣にたじろがず
根は土に固く
根は祖国の土深く

「ベトナムに」のフレーズは、沖縄がベトナム戦争の米軍前線基地になっていたことから。
「二七度線」は、当時の北ベトナムと南ベトナムの国境ライン。
「砂川」は、東京の砂川町(現立川市)にあった米軍基地の拡張工事に反対する運動が起きていた。

2022/05/13

新聞広告の何が問題なんだろう?

4月に日本経済新聞に掲載された、ある広告が大きな問題になった。
問題の広告は、講談社のコミック本『月曜日のたわわ』第4巻の発売を知らせる全面広告だった。”今週も素敵な1週間になりますように”というキャッチコピーがそえられている。
ネットでは、「少女を性的対象にしている」という批判が起き、炎上してしまったようだ。
さらにネット・メディア「ハフィントン・ポスト」が記事としてとりあげ、騒動が大きくなった。
日経新聞を購読していないので広告を見る機会がなかったが、たまたま別の雑誌に転載されていたので知ることができた。『月曜日のたわわ』というタイトルから想像するに、胸の大きな少女を描いたものだろう。
ただ広告では、胸は腕に隠れるように描かれていて、過激な性的描写という指摘は当たらない。
しかし、広告主の講談社は「今後の宣伝展開には十全の配慮をする」とコメントし、事実上の白旗をあげてしまった。言論や出版の自由を守るべき出版社が、こんなヤワな姿勢で良いのだろうか。
日経新聞は、今のところ事態を静観しているようだが、今度は国連女性機関からイチャモンをつけられたそうだから、なんらかの対応が迫られるかも知れない。
以前に購読していた朝日新聞には、宮沢りえや草刈民代のヌード写真が全面広告で使われていて、その時も抗議を受けたが、朝日ははね返している。
近ごろ、あれはダメこれもダメという「キャンセル文化(特定の言動や表現を排除、追放する)」が日本を覆っているようだが、憲法で保障されている表現や言論の自由を自分たちで統制していることに気がつくべきだろう。
「水清ければ魚棲まず」である。

これからは、こんな画像もダメなんでしょうね。
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2022/05/12

ウクライナのオデッサの風景

過去に訪れた国が戦争や内乱で破壊されてゆく姿を見るのは辛いことです。
ウクライナに侵攻中のロシア軍は5月9日、南部の港湾都市オデッサを極超音速ミサイル「キンジャル」で攻撃し、大型商業施設を破壊したと伝えられています。
オデッサはウクライナ最高の観光地であり、貿易の拠点でもあります。
私は2017年にこの地を訪問しており、その時に撮った街の様子を紹介します。
オデッサ空港。
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オデッサ市内のトラム
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オデッサの街の風景
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 黒海です。名前の由来は、ギリシアからはるばるこの地に来た人が、天候が悪かったので海面が黒く見えたので黒い海と名付けたそうです。
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オペラ・バレー劇場
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ポチョムキンの階段。映画『ポチョムキン』ではこの階段を、赤ちゃんを乗せた乳母車が落ちてゆくシーンが有名です。
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中央広場に立つリシュリュー像。この地に長官として就任したリシュリューによって、オデッサの都市計画が進み現在のような街になりました。
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オデッサ中央駅。
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こんな静かで美しい街が破壊されないよう祈るばかりです。

2022/05/09

竹田恒泰の全面敗訴

東京新聞5月8日付けのコラムに内田樹(神戸女学院大学名誉教授)が、作家の竹田恒泰と戦史研究家の山崎雅弘との間で争われた民事訴訟の裁判結果について書いている。
問題になったのは、山崎が竹田に対して差別主義という論評を行ったことで、竹田が論評によって受けた被害について数百万円の賠償を求めた裁判だ。
結果としては、地裁、高裁、最高裁ともに、山崎の論評は名誉棄損に当たらないとの判断で、竹田の全面敗訴となった。
判決理由として、裁判所は次のように述べている。
「原告の思想を『自国優越思想』と表現することは、論評の域を逸脱するものとは言えない」
「原告の思想を『差別主義的』とする被告の論評は相応の根拠を有する」
「原告が元従軍慰安婦につき攻撃的・侮辱的な発言を繰り返し、在日韓国人・朝鮮人につき、犯罪との関連を示唆し、その排除を繰り返していることに照らせば、これらの発言を人権侵害の観点から捉えることについても相応の根拠を有するものである」
内田はこれらを当然のこととしながら、言論人である竹田は裁判に訴えずに、言論をもって反論すれば済むことだったと指摘している。
竹田のように、著作物を公刊していて、様々なメディアに登場して発言をし、一定の影響力を持つ人間なら、言論の場で自らの主張をすべきだったのではなかろうか。
一度被告になれば、弁護士を雇い、書面を準備し、長い時間を裁判のために費やすことになる。
勝訴した山崎の場合では、2年3ヶ月と数百万円の費用を要したそうだが、勝訴してもこれらは返ってこない。山崎の場合は、1400人の支援者からの募金があったので裁判費用に充てることができたが、資力のない市井の人間には耐えがたい負担だ。
どこやらの政党関係者は、何かというと裁判に訴える傾向がみられるが、権力や財力、人脈をバックに相手を委縮させる手段として、訴訟を乱用しているとしか見えない。
(敬称略)

2022/05/07

「天保水滸伝」と、その後

前回の記事で書いたたように、天保の時代に下総に有力な博徒が集まった。
①外房は有力な漁場であり、漁業が発展したこと
②獲れたイワシを干した「干鰯」は肥料として人気が高く、醤油とともにこの地方の特産物として高収入を得ることができた
③利根川が年貢米の運搬の要路となっていたことで、下総は漁港として発展したこと
④現金収入が増えて、相撲や博打といった娯楽に人気が集まっていたこと
⑤飢饉の影響もあり農業では食べていけない若者の中には無宿人になる者が出てくるが、この地域では人足として受け入れた
⑥人足の受け入れや手配、娯楽のための興行を仕切ることで、博徒集団が形成された

博徒同士が利権(縄張り)を守るために刀剣で武装するようになる。
幕府としては治安悪化が大きな問題になるが、従来の幕藩体制では抑えることが出来なくなっていた。そこで関八州全体を取り締まる権限を持つ「関東取締出役(しゅつやく)」を置くが、彼らには地域の博徒の現状など把握できないため、手先として「道案内」を現地採用した。
終戦直後の混乱期には警察力が足りなく、ヤクザに治安の一部を担わしたのと同様である。
下総の道案内に飯岡助五郎が就き、いわゆる「二足の草鞋」をバックにして勢力を拡大してゆく。もう一人有力な博徒に笹川繁蔵がおり、両者は縄張りをめぐって小競り合いを繰り返していた。
助五郎は道案内の立場を利用して、関東取締出役から繁蔵一家の捕縛を命じられる。
助五郎一家は船で利根川をのぼり、笹川一家の捕縛にむかい、「大利根河原の決闘」が始まる。
笹川方には病気療養中の用心棒である平手造酒(本名は平田深喜)も現場にかけつけ、斬り合いとなる。
この争いで助五郎一家は4名が死亡し、船で逃亡、捕縛は失敗に終わる。繁蔵一家では死亡は平手造酒一人だった。
ここからは私見だが、当時の博徒の抗争では、命がけで戦うことはあまり無かったと思われる。もしそんな事をしていたら、命がいくつあっても足りないだろう。この決闘では、平手造酒は元武士だったので本気で斬り合いになったのではなかろうか。
浪曲や講談、映画などでは専ら助五郎が悪役になっているが、所詮は博徒同士の縄張り争い、どちらに正義があるとは言えない。
ただ助五郎が「御上」を利用したので、世間は繁蔵贔屓になったと思われる。
繁蔵は追っ手を恐れて旅に出るが、弘化4年(1947年)笹川に戻った時に、助五郎の子分たちに暗殺されてしまう。

この話がここで終わるなら単なるヤクザの抗争であり、「水滸伝」の意味を成さない。
親分繁蔵が暗殺されたので、子分の勢力富五郎が後を継ぐことになった。勢力は今までの経緯から助五郎とその背後にいる関東取締出役を恨み、戦いに挑んでゆく。
嘉永2年(1849年)に12代将軍徳川家慶が、下総小金原の牧で鹿狩りを行うことになったが、勢力富五郎一味が跋扈していて治安が悪化していた。このため関東取締出役は約500名もの捕り方を集め、勢力の捕縛に向かう。
勢力富五郎と子分たちは、小南村金毘羅山の山頂に立てこもり、52日間に及ぶ大捕物となった。嘉永2年(1849年)4月28日に、ついに力尽きた勢力は自決し、戦いは終わる。このことが本家「水滸伝」の梁山泊になぞらえたのだ。
幕府としては、
①たかが博徒一味の捕縛に52日間も要したこと
②勢力らの武器に鉄砲や槍、刀などが備わっていたこと
に衝撃を受ける。
この件は、幕府の力が弱まっていたことを示し、やがて江戸幕府は終焉に向かってゆくことになる。

2022/05/05

日本共産党の特異性

ロシア外務省は5月4日、国会議員、閣僚、研究者、メディア関係者など計63人の日本人について、ロシアへの入国を無制限で禁止すると発表した。
そのリストの中に日本共産党の志位和夫委員長の名前があったことで、一部に驚きの声があるようだ。
ソ連共産党時代に、各国の共産党に対してソ連の路線を押し付ける動きが強まり、これに反発した日本共産党は1960年代からソ連に対する批判を強め、それ以来むしろ犬猿の仲となっていた。ソ連は社会主義とは縁もゆかりもない覇権主義と専制主義の体制の国というのが、日本共産党の見方となった。
1991年のソ連崩壊時には、「もろ手をあげ歓迎」という声明を出したほどだ。
これと対照的だったのは欧州各国の共産党で、ソ連から財政援助を受けていたこともあり、一時は壊滅状態に陥った党もあった。
中国共産党との関係もほぼ同様で、文化大革命から天安門事件に至る段階で日本共産党が厳しく批判をした影響で、日中両党の関係は険悪になっている。中国に対しても、社会主義国とはみなしていない。
共産党という名前はついているが、世界レベルから見れば日本共産党は特異な存在なのだ。
だったら党名に拘らなくてもいいじゃない、というのもアリかな。

落語「らくだ」考

古典落語に「らくだ」という演目がある。上方では「らくだの葬礼」というタイトルで演じられることがある。落語ファンならお馴染みのネタだが、普段の寄席では高座にかかる機会が少ない。
代表的な演者としては、上方なら6代目笑福亭松鶴、東京なら8代目三笑亭可楽があげられる。
「らくだ」は他のネタと比べて特徴的なのは、主要な登場人物が社会の下層に属する人々だということにある。
先ず、らくだ自身(噺の始まる前に既に死亡している)が身寄り頼りがないという設定だ。こいう人だと長屋に住むのが難しかったはずだ。現にらくだが死んでも引き取り手がなかったわけで、たまたま第一発見者が兄貴分だったから葬礼まで出すことができた。大家としては助かったのだ。
その兄貴分もらくだ同様の、江戸時代でいえば人別帳から席が抜かれているような無宿者だったのではなかろうか。主人公の屑屋も身分は低いし、松鶴によれば長屋の住人はみな出商売(棒手振り)というから、店を構えた商人ではない。
そして最後に出てくる火屋(火葬場)の隠亡(火葬場の番人)は、江戸時代では賤民とされていた。
こうした最下層の人々を演じるので、演者にも適不適があると思う。例えば、8代目桂文楽には適さないし、志ん生や5代目小さんは合うけど、圓生は合わない気がする。上方なら、3代目春団治は多分演じていないだろうし、米朝もピッタリ来ない。
一番の推しは、先にあげた8代目可楽だ。東京でいえば、可楽を超す人はいない。屑屋がらくだの兄貴分と酒を呑む場面で、それまで堪えていた屑屋がいきなり「ふざんけんねぇ、ふざけんねぇ」の二言で、怒りを爆発させる。らくだから酷い扱いを受けてきた悔しさと、兄貴分からアゴで使われてきた屈辱感が、ここで一気に爆発するのだ。この場面の演じ方は可楽の独壇場だ。らくだの死骸を坊主する際は、屑屋が頭の毛を毟り取るという凄惨な演じ方も、らくだに対する怒りを示している。
名演と定評がある松鶴の「らくだ」だが、ひとつ納得のいかない点がある。それは屑屋が「らくださんのとこで弁当を使わせて貰っていた」と語る場面だ。出商売の商人はお得意さんの家で弁当を使わせて貰うのはよくあることだが、それはお得意さんとのコミュニケーションのためでもあり、お茶や水を貰うことも出来るからだ。しかし、屑屋はらくだに度々酷い目にあっており、そういう家でわざわざ弁当を使うというのは不自然だ。他は申し分ないだけに、惜しまれる。

2022/05/03

戦争プロパガンダ10の法則

イギリスの政治家アーサー・ポンソンビーは平和主義者で、その立場から第一次世界大戦へのイギリスの参戦に反対してきた。大戦中に行われた英国をはじめとしてドイツ、アメリカ、フランス、イタリア各国での「嘘」を研究して、「戦争の嘘」という著作を出版した。その中でポンソンビーは、戦争のプロパガンダには共通する10の法則があることを明らかにしている。
これに基づき、ベルギーのアンヌ・モレリが第二次大戦やそれ以降に行われた各種戦争のプロパガンダを分析して、「戦争プロパガンダ10の法則」(草思社文庫、2015年2月9日初版)に著した。

「戦争プロパガンダ10の法則」
1.「われわれは戦争をしたくない」
2.「しかし敵が一方的に戦争を望んだ」
3.「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
4.「われわれは領土や覇権のためではなく偉大な使命のために戦う」
5.「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
6.「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
7.「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
8.「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
9.「われわれの大義は神聖なものである」
10.「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

これを読んで最初に思ったのは、ウクライナのゼレンスキー大統領が主張しているのものは、そのものズバリだと言う事だ。10項目が全てあてはまる。
恐らくは、ロシアではプーチンが同じ主張をしていて、多くのロシア国民はそれを信じているのだと思う。
過去の戦争では、ヒットラーもルーズベルトもチャーチルもスターリンも、そして日本の戦争指導者も、揃ってこの10の法則に従ってプロパガンダを行ってきた。
敵の残虐行為が宣伝される。ドイツ兵がベルギーの少女の腕を切り落としたとか、イラク兵が赤ん坊の喉を切り裂いたといった情報が流され、敵対心が煽られた。しかし、その後の調査ではいずれも虚偽であることが分かった。
ユーゴスラビア内戦では、セルビア側の残虐行為が糾弾され、それを理由としてNATOが空爆を行うのだが、実際には反対側の勢力もセルビア人に対する残虐行為が行われていた。
戦争の大義は、かつては「神の名」だったが、今では「自由、民主、人権」がそれに置き換わっている。
そして、いったん戦争プロパガンダが始まると、それに反対したり疑問を投げかける者は、全て裏切り者として排除される。
全ての戦争は「防衛のために」行われてきたという事実である。それは今後も変わらないだろう。いま、日本の安全保障について論議されているが、この事実を忘れてはいけない。

2022/05/01

「谷間」の揺れ

「ココログ」では、記事にアクセスした方々の年代や地域といったデータが表示される。男女別の項目もあるが、データには表示されていない。4月分のデータによれば、年代では30代が約半数を占めていて、大半が40代以下で、50代以上は1%に満たない。当方としては、50代以上の男性が多いとみていたので、意外な結果である。
そして今回の話題も、50代以上の男性向け。
男として気になるのは、女性の胸の谷間だ。しかし、慎み深い日本の女性は谷間をさらすことは滅多にない。
そこいくと、海外では谷間を拝める機会はグーンと増え、目のやり場に困ることが多い(本当は困っていないが)。夏ともなると、襟の大きく開いたTシャツやタンクトップを着た女性たちが颯爽と街を歩くので、眼福にあずかることになる。
イスラエルのテルアビブを訪れた時、ここは大学が多いせいか下校時ともなると、大勢の女学生たちに出会った。揃ってはちきれんばかりのバストにTシャツ姿で、どちらを向いても谷間だらけ。
早速ワルオヤジたちが集まって、「凄かったねぇ」と感嘆しきり。そこから世界の女性のバスト論議が始まり、今見たばかりの印象からかイスラエルが世界一となった。ヨーロッパは東高西低の傾向があるという認識で一致し、イスラエルが大きいのは、東欧やロシアからの移民が多いせいだろうとあいなった。実際に、店の看板にはキリル文字で書かれたものが多い。
エルサレムの土産物店では、ヒップラインの美しい店員に出会った。今までに見たことがない、ちょうどスイカを縦にスパっと半分に切ったような形で、思わず二度見してしまった。
この後がランチで、真向いの席がツアー最高齢の80代男性だったが、その第一声がいきなり「ねえ、見た!」。「ええ、見ましたよ」と、これだけで男同士は感動を分かち合えてしまう。
女性の皆さん、男というものはかくもショウモナイ生物なのです。

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