落語「らくだ」考
古典落語に「らくだ」という演目がある。上方では「らくだの葬礼」というタイトルで演じられることがある。落語ファンならお馴染みのネタだが、普段の寄席では高座にかかる機会が少ない。
代表的な演者としては、上方なら6代目笑福亭松鶴、東京なら8代目三笑亭可楽があげられる。
「らくだ」は他のネタと比べて特徴的なのは、主要な登場人物が社会の下層に属する人々だということにある。
先ず、らくだ自身(噺の始まる前に既に死亡している)が身寄り頼りがないという設定だ。こいう人だと長屋に住むのが難しかったはずだ。現にらくだが死んでも引き取り手がなかったわけで、たまたま第一発見者が兄貴分だったから葬礼まで出すことができた。大家としては助かったのだ。
その兄貴分もらくだ同様の、江戸時代でいえば人別帳から席が抜かれているような無宿者だったのではなかろうか。主人公の屑屋も身分は低いし、松鶴によれば長屋の住人はみな出商売(棒手振り)というから、店を構えた商人ではない。
そして最後に出てくる火屋(火葬場)の隠亡(火葬場の番人)は、江戸時代では賤民とされていた。
こうした最下層の人々を演じるので、演者にも適不適があると思う。例えば、8代目桂文楽には適さないし、志ん生や5代目小さんは合うけど、圓生は合わない気がする。上方なら、3代目春団治は多分演じていないだろうし、米朝もピッタリ来ない。
一番の推しは、先にあげた8代目可楽だ。東京でいえば、可楽を超す人はいない。屑屋がらくだの兄貴分と酒を呑む場面で、それまで堪えていた屑屋がいきなり「ふざんけんねぇ、ふざけんねぇ」の二言で、怒りを爆発させる。らくだから酷い扱いを受けてきた悔しさと、兄貴分からアゴで使われてきた屈辱感が、ここで一気に爆発するのだ。この場面の演じ方は可楽の独壇場だ。らくだの死骸を坊主する際は、屑屋が頭の毛を毟り取るという凄惨な演じ方も、らくだに対する怒りを示している。
名演と定評がある松鶴の「らくだ」だが、ひとつ納得のいかない点がある。それは屑屋が「らくださんのとこで弁当を使わせて貰っていた」と語る場面だ。出商売の商人はお得意さんの家で弁当を使わせて貰うのはよくあることだが、それはお得意さんとのコミュニケーションのためでもあり、お茶や水を貰うことも出来るからだ。しかし、屑屋はらくだに度々酷い目にあっており、そういう家でわざわざ弁当を使うというのは不自然だ。他は申し分ないだけに、惜しまれる。
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