あかつきの大合唱
本日は、沖縄の本土返還50周年の日だ。
1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約で日本は独立したが、沖縄や小笠原は除外された。特に沖縄は米軍との地上戦で多大な犠牲を出していたにもかかわらず、引き続き米軍治世下に置かれるという理不尽な扱いを強要された。
1960年代になって、沖縄はもちろん本土からも沖縄返還を求める声が強くなっていた。
その運動の一環として、1960年代の後半から毎年の大晦日から元日にかけて、沖縄返還を願う「あかつきの大合唱」が行われた。
12月31日の午後9時頃に高尾山の麓につき登山を開始、山頂の神社で新年の参拝したあと、尾根伝いを歩いて景信山山頂に向かう。ここで初日の出を待ち、太陽が昇る時に合わせて参加者が「暁の空に」を合唱した。
これを沖縄返還が実現した1972年まで続けた。
まだ若くて体力があったから出来たんだね。
『暁の空に』
作詞・作曲 大西進
1
暁の空に 芽を育て
デイゴの花は 春ごとに赤い
ベトナムに思い込め
爆音にたじろがず
命懸け土に咲く
命懸け土守る
2
二七度線を 突き破り
喜び溢れる 勝利の知らせ
砂川に思い込め
銃剣にたじろがず
根は土に固く
根は祖国の土深く
「ベトナムに」のフレーズは、沖縄がベトナム戦争の米軍前線基地になっていたことから。
「二七度線」は、当時の北ベトナムと南ベトナムの国境ライン。
「砂川」は、東京の砂川町(現立川市)にあった米軍基地の拡張工事に反対する運動が起きていた。
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