東京裁判も憲法も、全ては昭和天皇のため
東京裁判と日本国憲法制定についての本をいくつか読んで改めて感じたのは、昭和天皇の戦争責任の扱いをどうするかが最大の焦点だったということだ。
第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために、日本で占領政策を実施した連合国軍機関として「連合国軍最高司令官総司令部(通称:GHQ)」が置かれていた。
しかし、実態はアメリカ合衆国による日本国占領機関であり、天皇並びに日本国政府の統治権は最高司令官(ダグラス・マッカーサー)の支配下におかれていた。
占領下の日本を管理する最高政策機関としてイギリス、アメリカ、カナダ、英領インド、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、オランダ、中華民国、ソビエト連邦、米領フィリピンの11カ国と、後にビルマとパキスタンで構成された極東委員会 (FEC) が設置され、GHQは極東委員会で決定された政策を執行する機関とされた。
ここで、天皇の戦争責任について各国の思惑が飛び交うことになる。
日本国内でも責任を問う声があった。戦後に行われたある世論調査では、当時の国民の9割が天皇に何らかの責任があると考えていたとある。全ての命令は「天皇陛下の命令」だったわけで、そう考えるのも当然だろう。
米国内でも戦争責任を問う声があったし、オーストラリアからは天皇をA級戦犯として訴追するよう要求が出され、ソ連などがこれを支持していた。
日本の占領政策を平和裡にかつ円滑に進めるためには天皇の力が欠かせないと考えたGHQは、こうした主張を拒否した。
1946年に、連合国軍占領下の日本にて連合国が戦争犯罪人として指定した大日本帝国の指導者などを裁く「極東国際軍事裁判(通称:東京裁判)」では、裁判長も主任検事も(共に米国人)天皇を訴追しないことを方針としていて、公判の中で証人や弁護人が少しでも天皇の責任に触れることがあると、忠告を発して止めていたほどだ。
他のA級戦犯被告が言い訳をしたり他人に責任を押し付けたりした中で、東条英機被告だけは全ての責任を認めたのも天皇に累が及を及ぼさないためだった。
東京裁判もこの部分では「出来レース」だったと言えよう。
日本国憲法を検討する段階で、当初GHQは日本政府に原案をださせた。処が、草案が帝国憲法を手直し程度のもので、マッカーサーが激怒したとある。余談になるが、各政党に対しても憲法草案を出させ、この中では日本共産党の草案がGHQの考え方に最も近かったが、まさか共産党案を採用するわけにもいかず却下したとある。
結局、GHQのスタッフが草案を作成し、日本政府に提示した。日本政府側は、人権条項(主権在民、男女同権など)が日本にそぐわないなどと難色を示したが、最終的には受け容れた。
GHQとしては、憲法を極東委員会の場に上げたくなかった。というのは、ソ連などが天皇制を廃止するよう主張していたので、GHQの権限内で早めに決着しておきたかったのだ。
こうして、憲法制定でも昭和天皇の処遇問題が影を落としていた。
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