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2022/08/31

フォークダンスdeオクホマミクサー

若い頃のリクリエーション活動では、フォークダンスが定番だった。高校は公立で男女共学だったが、3年間女子の応募がゼロという悲惨な状況だったので、女子と手をつないで踊れるフォークダンスの時は天にも昇る気がしましたね。
フォークダンスで最も多かったのは、次の通り。
・オクホマミクサー(アメリカ)
・コロブチカ(旧ソ連、ロシア)
・マイムマイム(イスラエル)
・ジェンカ(フィンランド)
こうして見ると、選曲に第二次大戦後の反ファシズムの影響を感じる。
舟木一夫の「高校三年生」の歌詞に「僕らフォークダンスの手をとれば 甘く匂うよ黒髪が」という一節があるが、これは「オクラホマミクサー」ですね。男女がペアになって手をつなぎ、男性が女性の後ろに立って踊るのはオクラホマミクサーだけ。だから黒髪が匂ったのだ。
コロブチカも男女でペアになるが、正面で相対するので黒髪は匂わない。
いずれも踊る中でパートナーが交代するので、お目当ての子に回ってくるのが楽しみでしたね。
マイムマイムは全員が丸く手をつないで踊るので、男女がペアになることは無い。YOUTUBEで見ると、イスラエルでは現在もお祝いの時にマイムマイムを踊るようだ。
ジェンカ(レッツ・キス)は、列になって踊る。
さて「オクラホマミクサー(Oklahoma mixer)」だが、アメリカにそんな名前の曲は存在しない。
成立の経緯だが、元は米国人が日本人との会食の席でアメリカのフォークダンスである"Virginia Reel"を自ら踊ってみせ、これに興味を示した日本の出席者たちに手ほどきをしたのが始まりで、これが全国に拡がったとある。
オクラホマミクサーの振り付けはオリジナルとは異なっていて、日本独自のアレンジが施されている。
曲も"Virginia Reel"ではアメリカ民謡のメドレーだったが、オクラホマミクサーで使用されている曲は「藁の中の七面鳥」だ。
タイトルの「ミクサー」とは、欧米の社交ダンスやフォークダンスにおいて複数の男女ペアがパートナーを順に換えながら踊るダンスのジャンルだそうだが、「オクラホマ」の根拠はよく分からない。
だからアメリカ生まれの日本育ちといった所。
それではご一緒に。
タラッタラッタン、タラッタラ、タラッタラッタン、タラッタラ、ターランタンタンタンタリラレラ、ターランタンタリラレランランタン・・・

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2022/08/29

「ひろゆき」って意外に世間知らずだね

「ひろゆき」、本名西村博之だが、世間では専らひろゆきで通っている。もっともネットに縁のない方は、誰?となるだろうが、ネット掲示板2チャンネルの創設者で、現在はパリ在住の実業家として活躍しているようだ。最近では世の中の様々な問題について発言していて、ネットの世界では一定の影響力を持っている。
そのひろゆきだが、俳優・香川照之が過去に、銀座のクラブでホステスの女性に対して、服の中に手を入れてブラジャーを剥ぎ取るなどの行為を行ったことについて、SNSで次の内容を発信していた。
「キャバクラなど風俗は、性的被害や嫌な思いをする事で高い給料が貰える仕事です。セクハラが嫌なら風俗で働くべきではないです。「他の仕事が出来ないので選択肢が無い」という人は生活保護をどうぞ。「キャバクラで働いても性的な被害を受けない」というのは嘘です」
この主張を見る限りでは、「ひろゆき」って人はいわゆる風俗店とクラブとキャバクラとの区別がつかないんじゃないのかな。名前はややこしいが、キャバクラとキャバレーとは別物だし、クラブとは全く違う。いずれも性的サービスを提供する風俗ではない。
こうした店では、大概の客はホステスとの会話を楽しむのであって、香川の様な行為をすれば店から「出禁」になっても文句は言えない。
ひろゆきの言う、「性的被害や嫌な思いをする事で高い給料が貰える仕事」では決してない。
一昔まえの「ピンサロ」じゃあるまいし。
ひろゆきの、意外な世間知らずの面が晒される結果になったようだ。

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2022/08/28

(続)歳は取りたくないもんだ

先週、経験したことが無いような激しい腹痛におそわれ、3日間苦しんだあげく病院に行ったたら、S字結腸が捻じれて腸全体が詰まったのが原因と分かった。
直ちに入院して内視鏡手術をおこない、捻じれと詰りは解消したが、腸が正常に戻るまで点滴と下剤の治療。まともな食事が取れるまで10日間の入院生活になってしまった。
全く次から次へと、我ながら嫌になる。
これが加齢というもんなのか。
それとも性格が捻じれていると、腸まで捻じれるのだろうか。疑問?

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2022/08/16

What's the difference between the U.S. military in 1945 and the Russian military today?

Russia's prolonged invasion of Ukraine and the killing of civilians in the wake of Russian military attacks on non-military facilities in Ukraine have been fingered as war crimes and have drawn international criticism. We, too, must loudly condemn Russia's actions.
Today is the anniversary of the end of the war in Japan, but what about the actions of the U.S. military at the end of the Asia-Pacific War, especially in 1945?
The outcome of the war between Japan and the U.S. was already becoming clear, and the U.S. forces were at a stage where all that remained was to force Japan to surrender.
Japanese bases in the Pacific islands fell one after another into US hands, and seemingly hopeless sorties by the Imperial Japanese Navy and air forces failed to change the course of the war.
The U.S. military's targets therefore focused on burning cities and killing civilians.
The background was that the U.S. Air Force (then under the command of the Army and Navy, not an independent entity) had not achieved the expected results. The U.S. spent a huge budget to develop state-of-the-art aircraft. The plan was to bomb military installations from an altitude of 10,000 meters, but the hit rate was low (said to have been around 7%), and the Air Force was increasingly criticized. This was due to the poor performance of the radar, and the effects of Japan's temperamental conditions, especially the jet stream.
Therefore, in order to demonstrate the significance of the Air Force's existence, a change of policy was made: incendiary bombs and bombs were dropped from low altitude flights to burn Japanese homes and kill civilians.
In an early morning air strike on March 10, 1945, the first step was to oil the area around downtown Tokyo, the target of the attack.
The first thing they did was to spray oil around the target area in downtown Tokyo. This was to prevent people from escaping to the outside. Next, incendiary bombs were dropped on civilian homes made of wood and paper, which were engulfed in flames. The fleeing people were killed by bombing and machine-gun fire. Thus, about 100,000 people were killed on that day alone.
The results of the battle were reported in the United States, and the Air Force was applauded.
After this, the Air Force expanded its bombings to cities throughout Japan, and finally dropped atomic bombs on Hiroshima and Nagasaki, and Japan surrendered.
After the war, the Air Force became an independent organization, and has remained so to this day.

Looking at it this way, what is the difference between the U.S. military then and the Russian military now? If the actions of the Russian military are war crimes, then the actions of the U.S. military are war crimes as well.
However, there was no condemnation of the U.S. military, and there is none to this day. Even from within Japan, where the damage was done, only a few people have voiced condemnation.
On the contrary, the Japanese government awarded the Order of the Rising Sun, Gold Rays with Rosette to Air Force General Curtis LeMay, who led the bombing.
How generous the Japanese people are!

(Translated with www.DeepL.com/Translator (free version))

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2022/08/15

1945年の米軍と今のロシア軍、どこが違うんだろう

ロシアのウクライナ侵攻は長期化して、ロシア軍によるウクライナの非軍事施設への攻撃に伴う民間人への殺戮が戦争犯罪として指弾され、国際的な批判を浴びている。私たちも声を大にしてロシアの行為を非難せねばならない。
今日は終戦記念日だが、アジア太平洋戦争の末期、とりわけ1945年の米軍の行動はどうだったんだろうか。
勝敗の帰趨は既に明らかになりつつあり、米軍としては後は日本を降伏に追い込むだけの段階にあった。
太平洋の島々の日本軍の拠点は次々と米軍の手に落ち、海軍や航空隊の絶望的とも思える出撃も、戦局を変えるには至らなかった。
そこで米軍のターゲットは、都市を焼き尽くし民間人を殺戮することに重点がおかれた。
背景としては、米空軍(当時は独立した存在ではなく、陸軍と海軍の指揮下にあった)が、それまで期待された戦果を挙げられなかった事がある。膨大な予算を使い、最新鋭の航空機を開発した。高度1万メートルから軍事施設を爆撃するという構想で出撃するが、命中率が低く(7%程度だったという)、空軍への批判の声が強まっていた。レーダーの性能が悪く、日本の気性条件、特にジェット気流の影響が大きかったためだ。
そこで空軍の存在意義を示すため、低空飛行からの焼夷弾と爆弾投下により、日本の民家を焼き民間人を殺戮するという方針転換を行った。
1945年3月10日未明の空爆では、先ず攻撃目標の東京下町の周囲に油をまいた。中の人々が外側に逃げ出さないようにしたわけだ。次は焼夷弾の投下で、木と紙で出来ていた民間の住宅は炎に包まれた。逃げ惑う人々には爆弾の投下と機銃掃射を浴びせて殺害してゆく。こうして、この日だけで約10万人の人が犠牲になった。
戦果は米国内に伝わり、空軍は喝采を浴びる。
気を良くした空軍は、全国の都市に空爆を拡大し、最後は広島、長崎に原爆を落とし、日本の息の根を止める。
この功績により戦後、空軍は独立した組織になり、現在に至る。

こうして見ていくと、当時の米軍と今のロシア軍と、どこが違うんだろう。ロシア軍の行為が戦争犯罪なら米軍の行為も戦争犯罪だ。
しかし、米軍を非難する声は無かったし、今に至るまで無い。被害を受けた日本国内からも非難は一部の人にとどまっている。
それどころか、空爆を指揮した空軍のカーチス・ルメイ将軍に対して、日本政府は勲一等旭日大綬章を授与している。
なんと、日本人は心が広いことよ。

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2022/08/14

戦時歌謡と伊藤久男

軍歌と混同されることが多いが、軍歌は軍が依頼して作らせたもので、レコード会社など民間で作ったものは戦時歌謡という。
戦時歌謡といえば、落語ファンなら川柳川柳を頭に浮かべるだろう。十八番の『ガーコン』では歌いまくっていたっけ。私も戦時歌謡が好きで、川柳が披露した曲の8割はソラで歌えた。
戦時歌謡を代表する歌手のひとりに伊藤久男がいる。
思いつくだけでも、『露営の歌』『白蘭の歌』『父よあなたは強かった』『暁に祈る』などのヒット曲がある。作曲家の古関裕而と組んだ歌が多い。力強いバリトンが勇ましい曲にピッタリだった。
かなり以前のことになるが、あるTV番組で戦時歌謡の特集があり、数名の歌手と一緒に伊藤も出演していた。
それぞれが戦争中の苦しい思い出を語った後で、司会者が纏めようとした時に、突然、伊藤久男が立ち上がり「あの当時は良かったよ」と語りだし、「今は金だけでしょ」と続けた。当時は使命感を持って歌っていたと言いたかったのだろう。
司会者も他の出演者も一瞬にして凍りつき、司会者の困惑した表情が印象的だった。まさに空気を読まない、事前の打ち合わせとは異なる発言だったに違いない。
伊藤の胸の内は想像するしかないが、戦時中に活躍した作詞作曲家や歌手の多くが、あの当時は軍部の圧力でやむを得ず協力させられたと言い訳する姿に、伊藤は我慢がならなかったかなと思える。
伊藤は、終戦直後は、戦時歌謡を多く歌った責任感から疎開先に引きこもり酒に溺れて再起不能とも言われたが、その後再起して詩情豊かな抒情歌で数々のヒットを飛ばした。

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2022/08/12

第74回上方落語会~文化庁芸術祭大賞、東西揃い踏み~(2022/8/11)

第74回上方落語会~文化庁芸術祭大賞、東西揃い踏み~
日時:2022年8月11日14時
会場:横浜にぎわい座芸能ホール
<  番組  >
月亭遊真『お公家女房』
笑福亭喬介『時うどん』
(令和2年・新人賞)
隅田川馬石『明烏』
(令和3年・関東の部・大賞)
《仲入り》
桂吉の丞『胴切り』
(令和3年・優秀賞)
笑福亭松喬『三十石』
(令和3年・関西の部・大賞)

久々の落語会、この間自粛やら体調不良やらで、いくつもの会を断念しチケットは娘に譲ってきた。
今は感染第7波の真っ最中だが、家に閉じこもっているのも限界で、横浜にぎわい座に出向く。
今月の上方落語会は趣向が変わっていて、タイトル通り「文化庁芸術祭大賞受賞者」が出演、東京からは馬石が参加している。
顔ぶれや内容からすると、客の入りが寂しい感があるが、今どきはこんなものなのかな。

遊真『お公家女房』
東京だと前座に相当するかもしれないが、なかなかの高座だった。ネタは東京だと『たらちね』となるが、上方の方が断然面白い。女房と葱売りが公家言葉で会話するところなんざあ、狂言を思わす。

喬介『時うどん』
名前は知っていたが初見、愛嬌の塊りの様な佇まい。東京だと『時そば』となるが、上方の方はネットリとした演じ方になる。この人の他のネタを聴いてみたい。

馬石『明烏』
落語ファンなら馬石の実力は誰しも認めるところだろう。人情噺と滑稽噺、両方ともイケテル。そういう意味では師匠の芸に最も近いと言える。この日も一分の隙もない充実した高座だった。個々の人物の描き方が巧みで、花魁の浦里の手練手管で一晩でフヤケテしまう時次郎の姿もよく描いていた。
改めて感じたのは、この人は目の使い方が効果的だ。

吉の丞『胴切り』
初見。ネタとしては軽い部類に入るのだろうが、なかなかの熱演だった。東京に比べ上方の落語家は、何とか客を笑わせよう楽しませようとすることに貪欲だ。以前に娘婿にチケットを譲ったところ、彼にとって初めての上方落語だったが、上方の方が面白いと好評だった。

松喬『三十石』
トリネタの代表格。船宿で番頭が名簿を書こうとするが客たちにからかわれて退散する場面と、乗船した男の客が後から来る「お女中」に勝手な妄想をする場面を中心として演じた。勝手に妄想を膨らませていたので、現実との落差が大きい。風格を感じさせる高座だったが、惜しむらくは船頭の舟歌が今一つだった。普段聴いているのが米朝、枝雀、圓生なので、比較するのは酷かも知れないが。

5席とも結構でした。

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2022/08/10

「抗議」は良いが「妨害」してはいけない

8月6日の平和記念式典で、会場となった平和記念公園では憲法改正や安倍元総理の国葬に反対するグループによるのぼりやプラカードの掲示、さらには「岸田帰れ」「国葬反対」といった大きなシュプレヒコールが上がっていたことが問題視されている。
広島市議会では昨年6月、平和記念日について「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を、市民等の理解と協力の下に、厳粛の中で行うものとする」という条文も含む「広島市平和推進基本条例」が可決・成立している。
式典の参加者によると、広島市長の平和宣言がよく聞き取れなかったという声があった。
ここまで来ると、もはや「抗議」というより式典そのもを「妨害」しているとしか思えない。
それに平和記念式典と国葬とはどういう関係があるんだろう。
米国による広島への原爆投下は、一般市民を狙った大量殺りくであり戦争犯罪だ。その行為に抗議するのなら分かるが、国葬反対はこの場には的外れだ。

安倍元首相が演説する先で、抗議活動を行うことが度々行われた。私は安倍の厚顔無恥ともいうべき態度や、右翼的な政策には反対だった。
しかし、安倍の演説会に来た人は安倍の主張を聴きにきたわけであり、それを妨害する権利は誰にもない。
反論があるなら、別の場所で堂々と主張すればいい。
これは民主主義のルールに係わることだ。
私が若い頃の演説妨害といえば、共産党に対する右翼の妨害が定番だった。共産党の宣伝カーから演説が始まると、右翼団体の宣伝カーが近づき、大音量で共産党攻撃を始める。そのため、共産党の演説が聞き取れない。そんな光景を何度か目にした。
平和記念式典での抗議や、安倍の演説への抗議は、これと本質的は変わらない。
「抗議」は良いが「妨害」してはいけないのだ。

 

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2022/08/08

再生エネルギーに立地条件の壁

温暖化防止→脱炭素→再生エネルギーの流れが官民あげて加速している。代表的なものが太陽光発電と風力発電だ。
問題は再生エネルギー発電の場合、火力や原発に比べ広い土地が必要になることだ。
中国のシルクロードに行った際に、広大な砂漠を利用した大規模な太陽光発電と風力発電が設置されていたが、日本では望むべくもない。
風力発電の場合は、周辺の森林を伐採するケースも出てくる。これでは却って環境破壊になってしまう。
観光地に近いと、景観の妨げになる。
現在、ラスエナジー社が青森県八甲田周辺で、大規模な風力発電を計画している。完成すれば国内最大級となる。敷地面積は1万7千ヘクタールで、対象地域は2市4町にわたる。
計画では、高さ200m羽根の直径が150mの風車が約150基並ぶことになる。さぞかし壮観だろう。
問題は次の通り。
①予定地に十和田八幡平国立公園が含まれる可能性がある
②建設のために切り拓かれた森林は元へ戻らない
③景観の破壊
太陽光発電の立地条件としては①日当たりがいい②水はけがいい③人通りが少ない、などがある。
再生エネルギー発電では自然環境の調和が必要で、日本の国土を考慮すれば自ずと限界がある。
いずれにしろ、建設にあたっては地域住民の理解が必要であることは言うまでもない。

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2022/08/06

安倍元首相は統一教会の集票の「胴元」だったということか

気が付けば、旧統一教会が国会議員を通して国政の隅々にまで深く入り込み、さらに地方議員を通して地方自治体まで影響を及ぼしていたことが明らかになった。
旧統一教会の手口は極めて巧妙で、会員を使って議員たちの選挙運動を手伝わせる。議員としては、無償の人手と票が同時に手に入るのでこんな有難いことはない。
それも個別にやっていれば効果は薄れるので、自民党のなかの有力者を定めて、その人物が最も効果的な配分を決める。そうすれば限られた勢力で最大効果が得られる。
今までの報道を見る限りでは、いわゆる「胴元」の役割を負っていたのが安倍元総理だったようだ。
一方、安倍の側はこれにより自らの権限を強化し、派閥内での力を強固なものに出来た。
その見返りは、彼らの集会にメッセージを送ったり「桜を見る会」に招待したりして、首相が後援していることを印象づけることにより、「ハク」を付けさせた。
それにより、旧統一教会はお墨付きを得て自由に布教活動(集金活動)出来た。
かくして、安倍と旧統一教会とは、win/winの関係を築いた。
安倍元首相の不慮の死を機に、政治と旧統一教会との関係が一挙に噴出し、過去に関係した議員たちが一斉に「知らぬ存ぜぬ」とシラを切り、今後は関係を断つと宣言したりと大わらわなのも、いかに安倍の影響力が強かったかを示している。
泉下で、安倍は子分たちの右往左往する姿を、どういう気持ちで見ているだろうか。

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2022/08/05

「原敬」の潔さを見習ったらどうか

原敬は第19代内閣総理大臣で、爵位を一切受けなかった所から「平民宰相」と呼ばれた。戊申戦争で敗れた南部藩出身というハンディにも拘わらず苦学して、新聞記者や外交官を経て政界入りし、総理にまで上り詰める。
藩閥、軍閥といった特権階級と対決しながら改革を進め、外交では対米協調と日中親善を説いた。
原は、右翼から度々脅迫を受けていたが、1921年11月4日東京駅で刺殺された。犯人は駅の日雇い職員の貧しい青年だった。
原は遺書を用意していて、その内容は次の通り。
一、死去にあたっての位階勲はすべて辞去すること
一、東京では何らの式も営まず、遺骸は直ちに盛岡に送ること
一、墓石の表面には姓名以外、戒名も位階勲も記さぬこと
この潔さを見習ったらどうか。
そうすりゃ、国葬がどうのと揉めることもなかろうに。

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2022/08/03

新宿末廣亭の苦境とクラウドファンディング

新宿末廣亭のHPに、経営が苦境に陥っていて、当面の資金繰りのためにクラウドファンディングでの協力を訴えている。
①コロナ前に比べ、観客が7割減になっている。そのため毎月赤字が続いている。
②コロナ前にあった積立金数千万円は1年半で底をついた。前回の寄席へのクラウドファンディングで頂いた2千万円も一定期間の運営を支える形になった。
③現在はコロナ対策の融資を受けているが、このままでは今年の夏頃には経営破綻に陥る。
④席亭としては何とか存続したいと思い、クラウドファンディングへの協力をお願いする。
他の寄席のように新宿末廣亭は不動産収入がないので、厳しい経営環境に置かれているようだ。
振込先などの情報は新宿末廣亭のHPに書かれているので、志のある方は協力ください。

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2022/08/02

あの歌は「ロシア民謡」ではなく「ソ連歌謡」だった

若かりし頃はせっせと歌声喫茶に通ったが、購入した小さな歌詞カードには沢山の「ロシア民謡」が並んでいた。人気コーラスグループ「ダークダックス」の持ち歌にも「ロシア民謡」が多かった。
しかし、その後に調べてみると、実は「ソ連歌謡」、しかも「戦時歌謡」ともいうべき曲が多かったことが分かった。

「カチューシャ」
 りんごの花ほころび 川面に霞たち
 君なき里にも 春はしのびよりぬ
 君なき里にも 春はしのびよりぬ
日本語の訳詞で日本では最も人口に膾炙していて、ロシアの代表的な曲だ。
YOUTUBEでロシアでのライブを見ると、例外なく男性も女性も子どもも軍服を着て歌い、会場ではロシア国旗が振られている。
イサクフスキー作詞・ブランデル作曲の戦時歌謡で、この黄金コンビはこの他にもヒット曲が多い。日本でいえば、西城八十・古関裕而コンビニあたるかな。
余談になるが、スナックにロシア人ホステスを見かけたので、ロシア語(正確にはカタカナ語)で歌ったら、とても喜んでくれた。お試しあれ。
原曲は、国境警備についている青年と故郷の娘という設定になっている。
従って原詩は、
 彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
 カチューシャは愛を強く守り抜く
といった歌詞になっているようだ。訳詞は随分とマイルドに変えている。

「ともしび」
 夜霧のかなたへ 別れを告げ
 雄々(おお)しき ますらお
 出(いで)て行く
 窓辺にまたたく ともしびに
 つきせぬ乙女の 愛のかげ
抒情的な訳詞と曲想が日本人にあっていたのか、広く歌われていた。
この曲も、イサクフスキー作詞・ブランデル作曲の戦時歌謡だが、なぜかオリジナルの曲は流行らず、作曲家不詳の現在のメロディがロシアでも日本でも歌われている。
戦地に向かう兵士と、それを見送る娘の姿を描いたもので、原詩では
 祖国ソヴィエトのために
 懐かしきともしびのために
といった歌詞が付けられているが、「楽団カチューシャ」のマイルドな訳詞が当たったようだ。

「泉のほとり」
 泉に水くみに来て 娘らが話していた
 若者がここへ来たら 冷たい水あげましょう
 緑の牧場にひげづらの 兵士がやって来て
 冷たい水がのみたいと 娘たちにたのんだ
 美しい娘さん ひげづらを見るな
 兵士にゃひげも 悪いものじゃない
 私は陽気な若者
ダークダックスの日本語の訳詞が有名で、ロシアの歌では珍しい牧歌的な曲だ。
アナトリィ・ノヴィコフ作曲の戦時歌謡で、独ソ戦が終了してから作られた、戦場での兵士の若い女性たちとの束の間の出会いを描いた歌だ。
原詩では、
 僕らは 2カ月続けざまにドイツ人をやっつけた 
 娘たちよ、僕らの服装を許しておくれ
となっており、マイルドな訳詞が成功したのだろう。
ロシアによるウクライナ侵攻を眼の前にして、これらの戦時歌謡を見ると、複雑な気持ちになる。
これも余談だが、 深尾須磨子作詞・ 橋本國彦作曲の「いずみのほとり」という別の曲がある。小学校の学芸会で憧れの女子生徒が舞台で踊った時に、チラリと下着が見えた時は心臓が止まるかと思った。
あの頃は純情でしたね。

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