「抗議」は良いが「妨害」してはいけない
8月6日の平和記念式典で、会場となった平和記念公園では憲法改正や安倍元総理の国葬に反対するグループによるのぼりやプラカードの掲示、さらには「岸田帰れ」「国葬反対」といった大きなシュプレヒコールが上がっていたことが問題視されている。
広島市議会では昨年6月、平和記念日について「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を、市民等の理解と協力の下に、厳粛の中で行うものとする」という条文も含む「広島市平和推進基本条例」が可決・成立している。
式典の参加者によると、広島市長の平和宣言がよく聞き取れなかったという声があった。
ここまで来ると、もはや「抗議」というより式典そのもを「妨害」しているとしか思えない。
それに平和記念式典と国葬とはどういう関係があるんだろう。
米国による広島への原爆投下は、一般市民を狙った大量殺りくであり戦争犯罪だ。その行為に抗議するのなら分かるが、国葬反対はこの場には的外れだ。
安倍元首相が演説する先で、抗議活動を行うことが度々行われた。私は安倍の厚顔無恥ともいうべき態度や、右翼的な政策には反対だった。
しかし、安倍の演説会に来た人は安倍の主張を聴きにきたわけであり、それを妨害する権利は誰にもない。
反論があるなら、別の場所で堂々と主張すればいい。
これは民主主義のルールに係わることだ。
私が若い頃の演説妨害といえば、共産党に対する右翼の妨害が定番だった。共産党の宣伝カーから演説が始まると、右翼団体の宣伝カーが近づき、大音量で共産党攻撃を始める。そのため、共産党の演説が聞き取れない。そんな光景を何度か目にした。
平和記念式典での抗議や、安倍の演説への抗議は、これと本質的は変わらない。
「抗議」は良いが「妨害」してはいけないのだ。
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