本年はこれにて
この一年も駄文に付き合って頂き感謝します。
来年は良いお年をと言いたいところですが、あまり期待できそうにありません。
軍拡増税の最初の年になるのは確実ですが、総選挙が予想されているので国民がどう審判を下すかが注目されます。
世界のエネルギー事情や食料不足が早期に解決するとは思えません。
でも、たまには良い事があるかも知れないので、そこを楽しみに生きてゆきましょう。
では、本年はこれにて!
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この一年も駄文に付き合って頂き感謝します。
来年は良いお年をと言いたいところですが、あまり期待できそうにありません。
軍拡増税の最初の年になるのは確実ですが、総選挙が予想されているので国民がどう審判を下すかが注目されます。
世界のエネルギー事情や食料不足が早期に解決するとは思えません。
でも、たまには良い事があるかも知れないので、そこを楽しみに生きてゆきましょう。
では、本年はこれにて!
親に連れられ始めて歌舞伎に行ったのは6歳のころで、また連れて行ってとせがんだ覚えがあるからよほど芝居が好きだったんだろう。
寄席に行ったのもそのころで、落語はもちろん漫才や講談、音曲、手品といった色物も楽しかった。
高校生のころになると新劇や新国劇(当時は人気があった)にも足を運ぶようになった。
舞台はジャンルを問わずといった具合だが、宝塚と新派だけは好きにならなかった。いずれもTV中継でしか観てなかったが、さっぱり興味が湧かなかった。
食わず嫌いではまずいと思って、一度新派だけは観に行ったがやはり面白くなかった。宝塚もきっと合わないだろう。
現役のころは、なかなか時間の余裕がなくて、志ん朝の独演会が休日に重なった時だけ通う程度で、歌舞伎も寄席も滅多に行かなくなった。
定年後はその反動からか寄席や芝居に足が向くようになり、オペラやミュージカルに凝った時期があった。クラシックコンサートも声楽を中心にトッパンホールに通った。
若いころから歌謡曲のコンサートにも行っていた。振り返るとかなりの歌手のライブを観に行っていた。
思いつくままに、下記に名前を列記する。(*印はリサイタル又はワンマンライブ)
笠置シズ子*
霧島昇
フランク永井
弘田三枝子*
九重佑三子
尾崎紀世彦
ハイファイセット
五木ひろし*
石川さゆり*
島津亜矢
高橋真梨子*
特に、五木ひろしと石川さゆりのコンサートは、いずれもその年の芸術祭賞を受賞したもので、印象深かった。
つい一月前ごろには、ウクライナ戦争でロシアが苦境に立たされており、プーチンがいつ失脚するかという論調が流れていた。
処が、最近になってむしろロシアが攻勢に出てウクライナが苦境に陥っているとの観測が西側のメディアから報じられている。
冬季になってからロシアは得意の後退や停滞の戦術をとり、ウクライナ軍を追い詰めている模様だ。
ウクライナ軍の損耗は激しく、死者が一日当たり250人とされる。
戦闘機の数は開戦当時に比べ半減しているようで、専らNATOから供与された無人機に頼っている。
消耗戦は国土も国力もロシアに比べ劣るウクライナには不利に働く。
戦争報道というのはかくも不確かなもので、日本の場合、西側からのプロパガンダや偏った情報が飛び交いがちになるので、、そうした情報に踊らされるぬよう注意が必要だ。
こうした情勢もあり、先日ゼレンスキー大統領は急遽アメリカを訪問し、バイデン大統領との首脳会談や議会での演説を行った。
TV中継もされた演説は熱烈歓迎だったようで、20億ドルの地対空迎撃ミサイル「パトリオット」の供与を取り付けた。
しかし、現地からの報道によれば、ゼレンスキーの議会演説では下院の共和党議員の多くが欠席していた。共和党の関係者からは、ゼレンスキーは生活保護の不正受給者だという非難の声もあった。今アメリカでは物価高騰による生活困窮者が増え、ウクライナどころではないという状況もある。
今後、下院で多数を占める共和党の発言力に押され、アメリカからの援助が細る可能性が高い。
また、ウクライナ軍によるロシア本土への攻撃(敵基地先制攻撃)には、これ以上のロシアとの対立は避けたいホワイトハウスから釘を刺されている。
ゼレンスキーが、キーウのロシア正教教会を「スパイの巣窟」だと決めつけ破壊し、神父らを拘束していたことも、アメリカの保守派宗教団体からの反発もある。
アメリカからの援助抜きでは、ウクライナは戦闘を継続できない。
こうした状況を勘案すれば、ウクライナはロシアとの停戦交渉を急いだ方がいい。
「一将功成りて万骨枯る」になっては困るのだ。
毎年、この時期恒例のNHKの「番宣」が始まった。
特に年末の紅白や、来年の大河ドラマへの宣伝がすさまじい。一見、無関係とみられる他の番組にも「番宣」が仕込まれていることが多い。
視聴率が経営に影響する民放とは違って、受信料を強制的にふんだくっているNHKにとって番組の視聴率は関係ないのだ。
関係あるとすれば、番組のディレクターなどの製作者のメンツや社内での評価だけで、国民にとってはどうでもいい事だ。
しかも番組宣伝のための費用は我々の受信料から出ている。こんなバカな話はない。
そんな金があるなら、番組の質の向上に充てて貰いたい。
話題は変わるが、NHKで「いいいじゅう」という番組がある。名前のとおり都会から地方への移住を勧めるという内容で、政府の方針に沿ったものだ。
番組を見ると、地方への移住で成功した例が毎度紹介されている。それはそれで結構なことだが、実際には失敗例も多いのが実態だ。
NHKは公共放送なんだから(確かそうだったよね)、成功例も失敗例も公平に扱うべきではないか。双方の例から教訓を得て、地方移住について適正な選択が出来るようにするのがNHKの使命だろう。
政府のお先棒ばかり担いでいると、公共放送の名が泣くぜ。
今年の10大ニュースのトップになったのが、安倍元首相が銃撃により死亡した事件だった。
長期政権で日本の政治に君臨してきた安倍の死去は、様々な影響を及ぼし始めた。
確実にいえることは、安倍が存命なら旧統一教会の問題がこれほど大きくクローズアップされる事はなかった。旧統一教会がこれほど自民党を中心に多数の政治家に深く浸透し、政治を動かしてきたことが明るみになることは無かった筈だ。
旧統一教会と政治との係わりは引き続き温存されていただろう。そう考えるとゾッとする。
安倍といえば、モリカアケ桜疑惑が定番だが、この問題の重大さはそれらと比較にならぬ。
不思議に思うのは、安倍がなぜあそこまで旧統一教会に肩入れしていたのかだ。彼らは日本から吸い上げた資金の大半を韓国に送っていた。それは偶然でもなんでもなく、彼らの教理に根差したものだった。さらにその一部は北朝鮮に送られていた。
総理を長く務めていた安倍が、こうした事実を知らぬ筈はない。安倍は最終的に何を狙っていたのだろう。
残念ながら、その点が明らかにされることは無い。
東京五輪をめぐる不正も、安倍が健在なら抑えられた可能性がある。
その一方、安倍の残した課題が引き継がれたものもある。その最も大きなものは、例の防衛費をGDPの2%に引き上げるという政策だ。米国の要請に応えたもので、当時は全額を国債で賄うという無責任な主張だったが、さすがにそれだけは岸田政権も鵜呑みにしなかった。
岸田がもっと賢明なら、ヒト・モノ・カネを細分析したうえで最適な防衛費を算出して国民に提示しただろうに。
岸田にとって大事なのは「聞く力」より「考える力」だ。
昨日、娘から聞いた話。
娘は25年前に第一子を妊娠し、会社に出産後も仕事を続けたいと申し出た。
人事部から呼び出され、どうして辞めないのか訊かれ、夫が失業中なので仕事を続けざるを得ないと説明した。そうとでも言わないと会社は納得しなかったのだ。
続いて、子どもが病気になったらどうするつもりかと訊かれ、近くに母親がいるので面倒を見て貰えるからと答えた。
そこで会社は渋々仕事を続けることを認めた。
娘と同期入社の女性社員は、当時結婚や妊娠を機に全員が退職していたという時代だった。娘は、会社で出産後に仕事を続けた最初の女性社員となった。
出産後8週間で出社したが、その日からフルタイムで働く。しばらくは定時で退社していると、残業しないのかと非難された。
周囲から、子育てしながら仕事は大変でしょうと声をかけてくれる社員もいたが、部長はこいつは子どもを産んだだけで育てていのは母親だと言われた。
今なら、パワハラ、セクハラで問題になるところだ。
正に隔世の感がある。
25年は個人でみれば四半世紀だが、人間の歩みにとっては一瞬だ。
先進国が、しばしば中東やアフリカなどに対して批判を行っているが、国の歩みは異なることを理解する必要がある。
ミャンマー軍事政権が国民を虐殺しているような事態を批判するのは当然だが、他国の伝統や風習を批判するのは慎重であらねばならぬ。
世論調査では、防衛費の増加に賛成する人が6割を超えている。岸田首相としては、これで国民の支持を得たと思ったのだろう。防衛費を増やした分は、いずれ国民が負担せねばならぬのは分かり切ったこと、と岸田は考えたのだろう。国民は既にそれ相当の覚悟ができた筈だと。
処がそうではなかった。
増税に話が及ぶと、途端に反対の声が大きくなった。防衛費増と増税は別ものだったのだ。
時事通信の最近の調査では、防衛費増への賛成と反対がほぼ30%台と拮抗してしまった。
世論とはかくも気まぐれなものなのだ。
国債で賄えという意見もあるようだが、今現金が無いからローンにしてくれというのと同じであり、返済が元利合計となるのでより負担はより重くなるだけだ。
初めに金額ありきがけしからんという批判があるが、今回の防衛費増は元々安倍元首相が防衛費をGDPの2%にすると言い出したのが始まりで、岸田はその主張をを継承しているだけだ。
その安倍の主張も米国の要請に応えたものであり、確たる根拠があったわけではない。
いま政府が国民に問わねばならぬのは、防衛費UPのためには23年度からの5年間だけで43兆円の財源を確保せねばならぬこと。
そのためには増税が不可欠で、所得税、法人税、消費税などあらゆる選択肢を俎上に乗せて検討してゆくと正直に(岸田の常套句なら”丁寧に”)説明することだ。
さらに防衛費については金額だけの問題にとどまらず中身のこともある。
政府が閣議決定しようとしている安全保障関連3文書では、今回初めて反撃能力(敵基地攻撃能力)が明記されている。これは日本の安全保障政策の大転換であり、憲法に抵触する可能性がある。
日本が反撃能力を持てば、他国は恐れをなして攻撃をしなくなると言うのは希望的観測に過ぎない。逆に警戒感をより強めて一層の軍拡に走ったり、より精巧な兵器を備えたりすることだってある。
軍拡競争で大事なことは、相手側の意図を正確に予測することにある。アジア太平洋戦争では、それで失敗したではないか。
防衛費増額については日本の大きな転換点になるので、政府はここで国民に信を問うべきだ。
毎年、阪神タイガースを応援してきたが、優勝を確信するには至らなかった。
昨年まで指揮をとっていた矢野監督が目指していたのは「面白い野球」だった。
勝負は二の次で、とにかく観客が喜んでくれれば良いというのが矢野野球だった。成績は振るわなくても球場に足を運ぶ人が多く、観客動員数は伸びた。それでも、ともかく4年間はAクラスに留まっていたのは評価できる。
しかし、昨年こそ優勝の絶好のチャンスだったのにも拘わらず、スタートの9連敗が響きペナントを手にすることが出来なかった。それこそが矢野野球の限界だった。
そこで過去に実績のある岡田を監督に迎え、いよいよ来季こそ「アレ」する体制を整えた。
岡田野球は勝つことを目指している。先ずはボロボロだった守備の向上に取り組み、守りの野球に徹しようとしている。
猫の目のように日々変えていた守備位置を固定化する。特に要となるセンターラインを固めることを重点化しようと試みている。
打撃の中心となる大山と佐藤輝はそれぞれ1塁と3塁に固定化し、攻撃に専念できるようにする。
リーグ1といわれる投手陣を軸に、守りの野球に徹しようとしているのが岡田野球だ。
セカンドは中野、センターは近本で、未だ固まっていないのがショートと左右両翼の外野手ということになる。この三つのポジションに誰を充てるのかが、それぞれがどの程度活躍できるかが、「アレ」の鍵を握ることになるだろう。
守りの野球といっても点を取らねば試合に勝てない。大山と近本はある程度計算ができるが、問題は佐藤輝だ。新入団から2年間の成績は、並の選手
なら合格点だが、タイガースの中軸として物足りない。特に、得点圏打率が低いのと、夏場になると調子を落とすのが課題だ。佐藤輝の躍進が、「アレ」のもう一つの鍵となるだろう。
そうして来秋には、岡田監督の「そらそうよ」というセリフを聞きたいものだ。
ユーチューブを見ていると、思いがけない懐かしい歌声に出会うことがある。
「フォーラッド」という男声コーラスグループが1953年に歌って大ヒットした「イスタンブール」という曲がある。私が未だ小学生の頃だったが、日本語に訳した歌が様々な歌手によって歌われていた。
歌詞の中に「イスタンブール、昔のコンスタンティノープル」というフレーズがあり、これは歴史の勉強になった。
このメンバーが年代は不明だが、すっかり爺さんになって、あるコンサートホールで歌っているシーンがユーチューブにあった。
声こそ若い頃にはかなわないが、歌唱力はさほど落ちていないように思え感心した。
彼らの発音では、イスタンブールを「イスタンブー」と聞こえる。
日本人の場合、庄野真代の「飛んでイスタンブール」の影響からか、語尾の「ブール」にアクセントを置いてしまうが、現地での発音は「イスタンブー」に近かった。
もう一組、「ダイヤモンズ」という男声グループが1957年に大ヒットした「リトル・ダーリン」という曲がある。軽快でコミカルな曲で、日本語訳の歌も多くの歌手によって歌われヒットした。
このメンバーが、再結成して2004年にライブを行っていたシーンがユーチューブにあるが、いい爺さんになった彼らが、若い頃に負けない愉快なパフォーマンスを披露している。
こういう姿を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
両方のコンサートとも、歌い終わると観客がスタンディングオベーションで大きな声援と拍手で応えていたのが印象的だった。
まさか全員が歌手と同年代とは思えず、レジェンドを讃える姿は清々しい。
こういう所は、私たちも見習う必要があるかも。
人間、歳をとれば声は落ちるし、それをカバーしようとして歌唱力まで落ちてしまがちになる。懐メロ番組で感じる事が多い。
しかし、歌手によってはそうならない人もいる。
例えばイブ・モンタンは、若い頃より年配になってからの方が歌に深みが増して心に響く。
だいぶ以前のことだが、「ペリー・コモ」の来日公演があったが、もう年齢が70代後半になっていたので期待できないとみてチケットを取らなかった。後日、TVで公演の録画があったを見て失敗したと思った。楽譜を片手に歌っていて、声は全盛期には及ばないが、歌唱力はペリー・コモそのものだった。行けば良かったのだ。
同様の時期かと思うが、柳家小三治が米国に行った時、たまたまペリー・コモのライブを見に行って同じ様な感想を述べていたっけ。
こちらもユーチューブで見ることが出来る。
自分が80歳に近づき、体が段々いう事を聞かなくなってきたので、爺さんたちの歌声には励まされる。
世論調査によれば、防衛費の増加には半数以上が賛成している。
処が、増税には多数が反対のようだ。
昨日の自民党の会合では、反対意見の大合唱だったようだ。防衛費増大を牽引してきた自民党が増税に反対するのは平仄にあわぬ。
国債で賄えという声もあったようだが、これ以上国の借金を増やしてどうするのか。
どうやら、増税は選挙に不利とみての反対ポーズだ。
防衛費は恒久的な支出なので、財源も恒久的なものになる。
歳出削減という声もあるが、まとまった金額を削減しようとすれば医療や年金などの社会福祉費に手をつけるしかあるまい。
既に政府は、高齢者の医療費負担を1割から2割に倍増し、2024年度から医療保険料を5400円引き上げる方針だ(いずれも低所得者は除く)。
さらに介護保険料の値上げを計画している。
早くいえば「枯れ木に水をやらぬ」作戦だ。
この様に、歳出削減は先取りするように着々と進められているのが現状だ。政府は財源の一部を法人税の増税で賄おうとしている。
昨日、西村経産相は法人税での増税に慎重な立場を明らかにし、「投資の意欲を示し、また賃上げについても多くの企業が、かなりの意欲的な取り組みの方向性も示している。このタイミングで増税については慎重になるべき」と述べた。政府の方針に閣僚が反対意見を述べるのは異例だ。
政府は所得税の増税は行わないという方針を表明しているので、最終的には消費税に手をつける事になるかと予想している。
今回の防衛費増額の概算には、人件費の増加が含まれていないようだが、自衛隊員の増員は不可避だ。今でさえ定員割れの自衛官をこれから大幅に増やすためには、かなりの費用がかかる筈だ。それとも徴兵制にするつもりだろうか。
いずれにしろ「軍拡賛成、増税反対」は理屈にあわぬ。
どこか押せば、どこかが引っ込むのだ。
西側(日本を含む)の報道だけを見ていると、中国は世界から孤立しているように見えるが実態はどうだろうか。
先日のG20では、ロシアのウクライナ侵攻に対し明確な批判をしたのはEU,日本、韓国、オーストラリアだったが、アルゼンチン、ブラジル、インド、インドネシア、メキシコ、サウディアラビア、南アフリカ、トルコの8ヶ国は中国の立場を支持した。ほぼ半分に分かれた。発展途上国がこぞって中国を支持したので、習近平はすっかり気を良くしたという。
中国は豊富な資金を世界にばらまき、今や100ヶ国ほどが中国から融資を受けている。
G20でみれば、インドネシア、アルゼンチン、ブラジル、南アフリカが中国から借金していて、東南アジア諸国も同様だ。なかには債務が膨らんで財政危機に陥ってる国も出てきているが、米国など西側からは誰も助けてくれない。
習近平はバイデンとの首脳会談にあわせて各国を歴訪し、30ヶ国の首脳と会談したが、それぞれが各30分ほどだった。会談というよりは、まるで朝憲を受ける皇帝のようだ。
では、中国が世界のモデルになるような体制を敷いているだろうか。
旧憲法にあった、国家主席は連続して2期を超えてはならないという規定を削除して、習近平は事実上の終身独裁体制を築いた。
また、「監察委員会」を新設して、あらゆる公職者を監視下におくようにした。これは習近平だけの直属の権力機関だ。
ここまで個人独裁を憲法で正当化している国は、G20の中では中国だけだ。他国にとって中国モデルは参考にならないのだ。
それでも親中国が支持を拡げているのは、先に書いた各国への融資が大きく作用しているからだろう。
その他に、西側諸国で性的少数派の人々の権利拡大が進んでいることに、アジアやアフリカの国々に当惑が拡がっていることがあげられる。
いま開催されているW杯の開催国であるカタールに、同性愛に不寛容であることを理由に、EU各国が強く抗議した。
だがイスラム各国にとっては明らかに行き過ぎだった。
FIFAの会長(スイス人)は、「偽善の極み」と西欧を批判しカタールを擁護した。
このように西側の価値観(それが正当であったとしても)を相手国に一方的に押し付けるような態度をとれば、反西側の勢力を増やすだけだ。
中国と対峙している日本にとって、いかに相手国を孤立させ、味方の支持を増やすのかにもっと知恵を絞らねばなるまい。
それが無理なら、相手との宥和を図るしかない。
ロシアが発電所などのウクライナのインフラへの攻撃を強めていることに対して、ゼレンスキー大統領はこれはテロだと強く反発している。
劣勢に立たされているロシアは戦争に勝つために必死だ。
ロシアにとって冬季こそ味方に出来ると考えるのは、過去のナポレオンやヒットラーとの戦争の記憶が残っているせいだ。こうした勝利の経験の記憶というのは国民の間にも深く根付いているだろう。太平洋戦争の時に、日本国民の多くが神風を期待していたように。
ウクライナのインフラを破壊し、国民が冬の寒さに耐えられなくなってネをあげるのをロシアは期待しているのだ。
また、ウクライナの国土の泥濘がロシアの戦車の進軍を阻んできたが、冬季になって国土が凍結すれば戦車にとって有利に働くという計算もある。
もちろん、ロシアの行為は非人道的であるのは論を俟たない。
しかし、人道的な戦争というのは過去にあっただろうか。
1945年の米国は日本に降伏を迫るため、焦土作戦を行った。空爆で日本の都市を焼き尽くし、住民を殺害するという作戦だった。
都市は焼け野原となり、数十万人の人々が殺害された。
最後に広島と長崎に原爆を投下し、日本は降伏した。
この非人道的な行為を誰か非難しただろうか? 当時は誰も非難しなかった。
それどころか、被害にあった日本は空爆した米国の指揮官に勲章まで授与している。
戦争というのは、かくも非人道的なものなのだ。
人を殺してはいけないという大原則さえも、戦争になれば敵は殺してもいい、否やむしろ殺さねばならないとなる。
こうなると、人間の倫理観のタガが外れてしまう。
だから絶対に戦争してはいけないし、国の指導者は戦争を回避するためにあらゆる努力をせねばならない。
ロシアの暴走を止めるためには、ウクライナとロシアの間で早期の停戦交渉を進めるしかない。
数か月前にこういう事を主張すると叩かれた。
しかし今は、西欧各国の首脳の中からもこうした声があがっている。
一つには「支援疲れ」という現象が起きている。自国の物価高騰でそれどころじゃないというのが本音だ。ロシアへの経済制裁の影響が、国民の生活にジワリと響いてきていることもある。
プーチン大統領の失脚を期待する声もあるが、仮にそうなるとしてもロシアがウクライナから全面撤退することはないだろうと見ている。
戦況が有利なうちに、ウクライナはロシアとの停戦交渉を早めた方がいい。今なら仲介の労をとってくれる国や指導者が出てくる筈だ。
月刊誌「図書」12月号に、写真家の橘蓮二が「落語家と噺家」というタイトルで、立川談志と柳家小三治の思い出を書いている。
業界以外の人の目で、しかも二人を撮り続けた写真家という目を通して、二人にどういう印象を持ったかという点で興味ある記事だ。
タイトルの由来は、談志が「噺家なんぞと呼ばれたくない。俺は落語家だ」と言っていたのに対し、小三治は「私は話を語って聴かせるだけの噺家」と語っていたことによる。
同じ5代目柳家小さん門下でありながら、対照的な芸風だったいう点が面白い。
橘によれば、二人の「落語家」と「噺家」を別の表現に置き換えるなら、「表現」と「描写」だと言う。
談志が「伝統を現代に」を実践すべく、落語を一度解体、再構成して、演者がどう表現するかに重きを置いていた。
小三治は、言葉のデッサン力で、物語の起伏よりも光景を描くことに注力した。感情を使い過ぎぬよう落語の世界に溶け込む。演者の気持ちを優先するのはなく、登場人物の了見になる。
二人は全く別の落語世界に生きているように感じるのだが、表現の根幹は共通することが多かった。共に人間の営みや滑稽さや切なさに向きあい続ける、答の出ない人生への問いかけを生涯やめることはなかったと、橘は言う。
橘が談志を撮り始めて最初の2年間は全く口をきいてくれず、挨拶してのもチラリと一瞥されるだけだったが、ある日「オイ橘、お前はもう好きにしていい、いつでも撮らせてやる」と言われた。
周囲が求める立川談志として振舞い続ける首都圏の会に比べ、地方公演では自分のペースで過ごすリラックスした姿が撮れる。
自問自答を繰り返し、それまでの信念すら勝手な思い込みと疑い、既存の人間の本質を落語によって証明しようと格闘を続ける姿は鮮烈だったと言う。
無頼で奔放なイメージで語られることが多かった談志だが、ファインダー越しに受けた印象は繊細な心配り人。誰よりも他者の感情の揺れを察知する能力に長け、もっと鈍感であれば楽だったのにと思う事があったが、それこそ持って生まれた業、良くも悪くも世界が見え過ぎていた。
世界と自分とのバランスを取るために選んだのは、破壊と創造が同居したトリックスターであり続けることだったと言う。
私自身は、多くの高座に接した小三治に比べ、談志をライブでみた回数が圧倒的に少なかったで(好きじゃなかったから)、橘の言っていることは理解できない事も多いのだが、優れた談志論であると思う。
橘にとって最も印象的だった小三治の高座は、2008年3月の、まるで演者と観客が物語の中で一つに溶け合ったような圧巻の、「千早ふる」だった。
「自分で言うのもおこがましいが、小三治落語の完成形だった」と言っていたように、その日の高座は言葉一つ一つが優しい音になり、柔らかく舞うような所作と共に描いた空間はまるで異次元にいるようだったと言う。
こういう高座に出会ったフアンは幸せだね。
橘にとって最後の撮影になったのは、昨年9月23日の三鷹公会堂での「錦の袈裟」だった。珍しく小三治の方から声がかかり、「身体に気をつけろよ、元気でな」「ありがとうございます、また伺います」が最後の会話となった。
その10日後に演じた「猫の皿」が小三治の最後の高座になってしまった。弟子によると、高座を降りてからも「今日のサゲは上手くいったよ」と終始ご機嫌だったとのこと。
予定調和でない人生の、日々を愛で、人は何かの加減で生きているだけと、風に吹かれる柳の如く飄々と生きていた小三治の人生。
権威を嫌い、人間国宝になった時も弟子を前に、「芸人は芸がすべて、肩書などいらない」と言った。
高座では、聞き所をことさら強調せず、登場人物の想いがこぼれ落ちるのを待つように意識を手放し、感情のグラデーションで物語を彩った。台詞で想像力を掻き立てる表現力だからこそ掬いとれない秘めた心の内は、敢えて言葉に出すことことなく伝えた。
その研ぎ澄まされた感性こそが小三治落語の真骨頂だと、橘は言う。
長引くコロナ禍による閉塞感と、分断を煽る不穏な空気。気持ちの均衡が崩れそうになった時こそ、他者を許容する「落語的発想」が必要になる。
二人の稀代の芸人が愛した落語を通じて時代を見れば、きっと世知辛い日常も別の顔になって現れる、と橘は締めくくっている。
近ごろジェンダーフリーという言葉を耳にするようになったが、その元祖ともいうべき人は幕末の女性だった。
その名は「高場乱(おさむ)」、天保2年に福岡で広く知られた藩医であった高場正山の次女として生まれた。
父の正山は娘の資質をみて「男にする」と決め、医学と漢学を教えこんだ。10歳で元服した時は、藩にも男子として届けて認められ、帯刀、男装の許しを得た。
この時代で、しかも男尊女卑で名高い九州でこういう事が許されたというのは驚きだ。
高場乱は元服後には男言葉を使い、髷を結い袴つけて牛や馬に乗って往診に出かけた。また漢学にも磨きをかけた。
高場の従姉に勤王派の歌人である望東尼がいて、高杉晋作を匿った罪で流罪となったが、その後救いだされ高杉が亡くなるまで面倒をみた。
高場はその望東尼から強い影響を受け、福岡で勤王の思想を広め若者を育てようと、明治6年に「興志塾」を設ける。
入塾希望者が殺到したが高場は血気盛んな若者を好んで受け入れ、型にはまらない生き方を奨励した。その中の一人が後に右翼の頭目となる「頭山満」だった。
熟生達は学問の延長から次第に政治行動をとる様になる。
明治の初期には士族の不平が爆発して九州各地でも様々な乱が起きる。
特に西郷隆盛が政府と対立すると、興志塾生はその支援に乗り出す。これが「福岡の変」となり、福岡県令の渡辺清は直ちに次々と人を捉え、死罪など厳しい措置を取った。
この時、高場も捕らえられ、死罪に値すると尋問されるが、こう言い返したという。
「拙者の白髪頭と県令渡辺清の首を刎ねた上で、一緒に並べて頂きたい」
高場はその後釈放されたが、死罪となった塾生もいた。
生き延びたと頭山らが「玄洋社」を結成し、高場もこれを支援した。
明治22年には玄洋社の来島恒喜が大隈重信に爆弾を投げ付け、その場で自害するという事件を起こす。
その2年後に、高場は59歳の生涯を閉じる。
福岡の崇福寺境内には高場の墓があり、勝海舟の書による「高場乱先生之墓」が建っている。
生涯を男として生き抜いた女性の数奇な人生だった。
(本稿は、月刊誌「選択」10月号の記事を参考にした)
今天的中国正在推行在政治和经济上与共产主义截然相反的政策。 然而,它自称 "中国共产党 "是没有道理的。
这对其他国家的共产党来说是一种滋扰。
将党的名称改为 "中国强国党",是符合实际情况的。
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