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2022/12/02

元祖ジェンダーフリーは幕末の女性だった

近ごろジェンダーフリーという言葉を耳にするようになったが、その元祖ともいうべき人は幕末の女性だった。
その名は「高場乱(おさむ)」、天保2年に福岡で広く知られた藩医であった高場正山の次女として生まれた。
父の正山は娘の資質をみて「男にする」と決め、医学と漢学を教えこんだ。10歳で元服した時は、藩にも男子として届けて認められ、帯刀、男装の許しを得た。
この時代で、しかも男尊女卑で名高い九州でこういう事が許されたというのは驚きだ。
高場乱は元服後には男言葉を使い、髷を結い袴つけて牛や馬に乗って往診に出かけた。また漢学にも磨きをかけた。
高場の従姉に勤王派の歌人である望東尼がいて、高杉晋作を匿った罪で流罪となったが、その後救いだされ高杉が亡くなるまで面倒をみた。
高場はその望東尼から強い影響を受け、福岡で勤王の思想を広め若者を育てようと、明治6年に「興志塾」を設ける。
入塾希望者が殺到したが高場は血気盛んな若者を好んで受け入れ、型にはまらない生き方を奨励した。その中の一人が後に右翼の頭目となる「頭山満」だった。
熟生達は学問の延長から次第に政治行動をとる様になる。
明治の初期には士族の不平が爆発して九州各地でも様々な乱が起きる。
特に西郷隆盛が政府と対立すると、興志塾生はその支援に乗り出す。これが「福岡の変」となり、福岡県令の渡辺清は直ちに次々と人を捉え、死罪など厳しい措置を取った。
この時、高場も捕らえられ、死罪に値すると尋問されるが、こう言い返したという。
「拙者の白髪頭と県令渡辺清の首を刎ねた上で、一緒に並べて頂きたい」
高場はその後釈放されたが、死罪となった塾生もいた。
生き延びたと頭山らが「玄洋社」を結成し、高場もこれを支援した。
明治22年には玄洋社の来島恒喜が大隈重信に爆弾を投げ付け、その場で自害するという事件を起こす。
その2年後に、高場は59歳の生涯を閉じる。
福岡の崇福寺境内には高場の墓があり、勝海舟の書による「高場乱先生之墓」が建っている。
生涯を男として生き抜いた女性の数奇な人生だった。
(本稿は、月刊誌「選択」10月号の記事を参考にした)

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