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2023/01/31

「首相長男の公用車観光」は日本の構造上の問題

1月に岸田文雄首相の欧米歴訪に同行した長男翔太郎政務秘書官が公用車で観光したと報じられている。報道によると、翔太郎氏は自ら希望し、日本大使館の公用車でロンドンのバッキンガム宮殿や老舗百貨店「ハロッズ」などを訪問し、土産も購入したという。
首相側は、対外発信に使用する目的で街の風景を撮影したり、首相の代理で土産を購入したりするために公用車を使用しただけで、「公務以外の不適切な行動はなかった」と説明している。
この問題を考えるにあたり、2点を整理する必要がある。
①この時期に岸田首相が欧米を歴訪する必然性があったのだろうか。国内には課題が集積していて、首相として最前線に立たなばならなかった筈だ。軍事費を2倍にするという重要政策についても、先ずは日本国民に納得してもらうことが大事で、米国大統領への説明はその後ですべきだったろう。
記者会見や国会審議での不機嫌そうな表情に対して、欧米歴訪時の表情は写真で見る限りゴキゲンな顔に見える。
ひょっとして首相の目的は息抜きだったのではと勘繰りたくなる。
まあ、海外に行って羽根を伸ばし、チヤホヤされるのはさぞ気分がいいのだろう。
②同行した首相の長男が、専ら観光や土産物の買い出しに精を出したのも、元々が大した目的がなかったからだ。首相がちょこっと首脳会談を行っている時に、長男は秘書官としてせっせと買い物をしたり観光をして時間を潰していたに違いない。
現地の大使館は館員をガイド代わりにして公用車を出して応対した。なぜなら、それが彼らの仕事だからだ。
日本から国会議員、特に大臣が来るとなると、宿泊、食事、観光、買い物の手伝いに大忙しになる。満足してもらえないと出世に係るから一大事だ。
これは民間企業でも同様で、本社からオエライさんが来るとなると現地駐在員などが添乗員代わりになって奮闘する。ひと昔前なら、女性の世話までしたという。
首相長男の公用車利用は、日本が抱えている構造上の問題を浮き彫りにしている。

2023/01/29

噺家の死、そして失われる出囃子

この20数年の間に、多くの噺家と別れを告げねばならなくなった。
志ん朝、談志、小三治、喜多八、5代目圓楽、米朝、枝雀と、ほかにも沢山いる。好きだった色物の芸人も数多く亡くなってしまった。
枝雀の様に突然の悲報を受ける場合もあれば、次第に弱ってゆく姿を見ながらこちらも覚悟していったケースもある。
柳家喜多八のケースでは、死の直前まで毎月のように高座を見続けてきた。最後の方は声もかすれてきて見るのも辛かったが、それでも全力を振り絞っての高座には感動をおぼえた。
5代目三遊亭圓楽の最後の高座では、椅子と机という姿だった。それも事務机で背の高いもので、紙をひろげていたので恐らくはメモを見ながらの口演だったのだろう。
古今亭志ん朝の場合は以前から異変に気付いていたので、後から弟子や周辺の人々が何も予測していなかったと聞いて意外な感じを持った。あの痩せ方は尋常ではなかった。もっと周りが注意していれば、最悪の事態は免れただろうと残念に思う。
好きな噺家の死は、親友を失ったような寂寥感に襲われる。
もう一つ寂しいのは、出囃子まであの世へ持って行ってしまうことだ。「野崎」や「鞍馬」の様に複数の人が使っていた場合は残るのだが、それ以外はそのまま「永久欠番」になってしまう例が多い。
有名な所では古今亭志ん生の「一丁入り」がある。あの独特のリズムと志ん生の芸風がよくマッチしていた。
もう再び聞く機会がないと思っていたら、先年、桂米朝がネタの中で使っていた。「骨釣り」で石川五右衛門の幽霊が出てくる場面があるが、ここで「一丁入り」が演奏されていた。
5代目春風亭柳朝の出囃子「薩摩さ」は、孫弟子の一之輔が使っている。
志ん朝の出囃子「老松」もよい曲だった。「老松」が鳴り志ん朝が登場するまでのワクワク感が堪らなかった。
米朝の「地獄八景」じゃないが、あちらで「志ん生・志ん朝親子会」や「米朝・枝雀二人会」に出会えるのを楽しみにしておこう。

2023/01/26

この演者にはこの噺

著名な、あるいは好きな噺家の代表的な演目を、出囃子と共に一覧にしてみました。
過去にも何度か同じ試みを行ってきましたが、今回の特長は次の通りです。
①新たな顔ぶれを数名加えたこと
②新作の比率を高めたこと
③演目の選定に当たっては演者の特色が濃いものを選んだ
(数字)は何代目かを示したが、不要と思われる者は割愛しました。
なお、元の原稿はエクセルで作成しましたが、ブログに上手く落とし込むことが出来ず、お見苦しい点はご容赦願います。

 演者    出囃子   演目
金原亭馬生(10) 鞍馬  笠碁
桂枝雀   昼まま 三十石夢の通い路
桂雀々    新鍛冶屋  手水廻し
桂春団治(3)  野崎  代書屋
桂文楽(8)   野崎  鰻の幇間
桂米朝     三下り鞨鼓  百年目
桂三木助(3)  つくま  芝浜
古今亭志ん生(5) 一丁入り 品川心中
古今亭志ん朝   老松  お見立て
三笑亭可楽(8)  勧進帳  らくだ
三遊亭圓生(6)  正札付  包丁
三遊亭圓楽(5)  元禄花見踊り 町内の若い衆
三遊亭金馬(3)  本調子鞨鼓  勉強
春風亭一之輔   薩摩さ  普段の袴
春風亭柳朝(5)  薩摩さ  宿屋の仇討
春風亭柳好(3)  梅は咲いたか 野晒し
春風亭柳枝(8)  三下がり鞨鼓 王子の狐
笑福亭松喬(6)  高砂丹前  首提灯
笑福亭松喬(7)  お兼晒し  月に群雲
立川志の輔    梅は咲いたか みどりの窓口
立川談志     木賊刈り  源平盛衰記
露の新治     金比羅船々 大丸屋騒動
林家正蔵(8)    菖蒲浴衣 一眼国
柳家喜多八    梅の栄 鈴ヶ森
柳家喬太郎    まかしょ コロッケそば
柳家小さん(5)   序の舞 粗忽長屋
柳家小三治    二上り鞨鼓  出来心
柳家権太楼    金毘羅船々  鼠穴

 

2023/01/22

お知らせ

体調不良につき、しばらく休みます。

2023/01/20

ニフティの不誠実な対応とレイアウトの変更

先日、お伝えしたようにブログの右側サイドバーがある時から表示されなくなった。
ニフティに対して、改善するよう申し入れしたが、回答は効果の無いものばかりだった。
その後、技術者からアドバイスするとの連絡があったが、現在に至るまでナシのつぶて。
やむを得ず、レイアウトを変更し左側サイドバー付きとした。
不本意だが、やむを得ない。

2023/01/18

全ての戦争は「防衛」から始まる

全ての戦争は「防衛」から始まる。
先のアジア太平洋戦争も、元は日本の防衛という大義名分から始まった。
今のロシアによるウクライナ侵攻はどうだろうか。ロシアは「防衛」のためとしている。歴史を振り返れば、こうした主張は根拠がないと一笑にふすことは出来ない。
世界各国が行ったいわゆる「干渉戦争」で、日本もシベリア出兵やノモンハン事件を引き起こし、ロシアに脅威を与えた過去がある。
そして最大の脅威は、第二次大戦時のナチスドイツによる侵略だった。
戦後は、アメリカを中心とした西側とソ連を中心とした東側の、両陣営による冷戦が数十年にわたり続いた。
ソ連を封じ込めるための西側の軍事同盟「NATO」が結成され、対抗してソ連を中心とした東側の軍事同盟「ワルシャワ条約機構」が結成された。
20世紀末になってソ連は崩壊し、ワルシャワ条約機構も解体した。
その時点でNATOも役割を終えていれば問題はなかっただろうが、反対に好機とみて東側の国を次々とNATOに加盟させ拡大を図ってきた。
東西ドイツの合併にあたり、ドイツより東側へのNATO拡大は行わないという約束は守られず、気が付けばかつての同盟国でさえNATOに飲み込まれていた。さらに隣国のウクライナまでがNATO加盟を主張し出した。
もし、ウクライナに米国製のミサイルが配備されたらと考えると、ロシアにとっては安全保障上の危機となる。
誰もロシアを攻撃なんてしないさ私たちは思いがちだが、ロシアからすればそう楽観的ではいられない。
ウクライナのNATO加盟だけは何としても阻止したいとロシアが考えたのも、それなりの理由があったということになる。
「防衛」問題の難しさは、客観的に危機にあるかどうかというより、当該国が危機として感じているかが優先される。
「防衛」が戦争に発展するのも、そこが原因だ。
今の日本も、この点は肝に銘じておくべきだ。

2023/01/16

アスベストに罪はない

20代から30代前半にかけて、ほぼ毎日にようにアスベストを扱ってきた。当時は仕事で使う手袋がアスベスト製だった。もちろん、当時から肺に吸い込むと危険だとされていたので、極力防塵マスクを着けての作業だったが、完全に防げたかどうかは疑わしい。
30代のある時期には、アスベストに代替できる材料をさがす仕事に取り組んだことがある。驚いたのは、アスベストは実に多数の分野で使われていたことだ。家庭用の器具から学校の教材まで、自動車の部材にも使用されており、およそ熱を扱う場所にはアスベストは無くてはならぬ存在だった。
色々な材料を取り寄せて試験したが、試験が進めば進むほどアスベストの性能の素晴らしさ気づかされた。
いまアスベストに代替されている材料も一通り試験したが、アスベストの足元にも及ばないものばかりだった。
アスベストの特性は次の通り。
①耐熱性、高温に強く特に燃えないこと。
②繊維としての「しなやかさ」を持っていること。これは他の鉱物性繊維には無い。
③アルカリによる浸食がない。長期使用しても劣化が起きない。
④電気絶縁性が高い。電機部品に広く使われていたのはそのためだ。
アスベストには毒性がない。誤って飲み込んでも危険性はない。ただ肺に吸引した時だけが有害となる。長期にわたって吸引すると肺がんや中皮腫などの疾患をはじめとした健康被害を引き起こすこともあり、日本では使用禁止となっている。
どんな材料でも、使い方を間違えれば危険にさらされるし、時には生命が奪われることになる。

石綿病に似た症状に「珪肺症(けいはいしょう)」がある。私の若い頃は専らこの病気が問題とされてきた。もちろん、今でも恐い病気だ。
珪石(石英、シリカ)の粉塵を吸入したことが原因となって肺が永久的に瘢痕化してしまう病気で、運動中に呼吸困難をきたしたりするほか、悪化すると安静時でも息切れがするようになる。肺が損傷を受けているため酸素の血液中への取り込み能力が低下することから、心臓にも負担をかけることになる。
しかし、珪石は使用が禁止されていない。今でも多くの産業で使われている。
この差はどう生じているのだろうか。
青酸化合物は猛毒で知られており、微量でも人を殺すことができ、過去の犯罪でも殺人に使われてきた。
しかし、一部の産業では無くてはならない材料なので使用禁止にはなっていない。
和歌山カレー事件で脚光を浴びたヒ素も同様で今でも使われている。
アスベストは100%天然品だ。
いま、その代替物質を別の資源とエネルギーを使って製造し、しかも性能は遥かにアスベストに及ばない。
材料を活かすも殺すも使う人間次第だ。
材料には罪がないのだ。

右側サイドバーの不具合について

当ブログの右側サイドバーが、1月11日より突然表示されなくなりました。 現在、ニフティに対応を依頼していますが、解決に至っていません。 しばらくは見苦しい状況が続きますが、ご了承願います。

2023/01/14

原発は廃止できるか

川口マーン恵美「ドイツの脱原発がよくわかる本」(草思社2015/4/11初版)
本書は現在の脱原発を批判しており、当面は原発稼働に頼ざるをえないと結論づけている。
類書と異なるのは、
①著者はドイツと日本の発電所や電力会社の現場を見てまわっていること。そのため主張が観念的ではなく実証的。
②著者は究極的には原発は廃止すべきだという立場だが、いま性急に進めるのはリスクが多すぎると主張。
本書が発売された当時、ドイツは脱原発に大きく舵を切っていた。同時に再生可能エネルギーの増設を進めていた。
著者は、こうしたドイツのエネルギー政策はいずれ破綻するだろうと予測していたが、不幸にもその予測が的中してしまった。
ロシアからのLNG供給がストップしてしまうと、一気に電力不足になった。原発を再稼働し、石炭火力発電を増設して急場を凌いでいる。
電力化会社の使命は「必要な時に必要な電力を供給すること」にある。
不足すれば停電になり、過剰に流せば設備のトラブルを引き起こす。
再生エネルギーの泣き所は、自然の気象条件任せで供給が安定しないことだ。必要な電力は時々刻々と変化するので、電力会社はそれに対応すべく神経を尖らせている。
電力というと発電にばかり目がいくが、送電線の能力も大きな問題だ。
供給が不安定な再生エネルギーには、バックアップの電源が不可欠だ。
日本の場合、バックアップには揚水発電が行われている。簡単にいえば、水力発電に使った水を下部ダムにためておいて、その水をポンプで上部のダムに汲みあげて発電させるという方法。この方法の弱点は、揚水のポンプを動かすのも電力を消費することで、実際には赤字とある。
再生エネルギーの実用化には、大規模で経済的な蓄電設備の開発を待たねばならない。
さらにドイツと比べて日本のエネルギー問題の深刻さがある。
①自国にエネルギー資源が皆無である。ドイツは石炭が豊富だ。
②電力を譲りあえる近隣の国がない。ドイツはフランスとの間で頻繁に電力を交換している。
当面、日本は原発を稼働せざるを得ないというのが著者の見解だ。

2023/01/11

林芙美子の「戦記」

日本で最も有名な女流作家といえば、林芙美子の名があがるだろう。林の作品を一度も読んだことがない人でも、名前は知ってる人も多いと思う。
なんと言っても森光子の主演で、東京芸術座で超ロングランを記録した「放浪記」の影響だ。
この芝居の前に上演された菊田一夫の戯曲「がしんたれ」を観たが、脇役に三遊亭圓生や晩年のエノケンらが出演するなど綺羅星のごとく居並ぶ俳優の中で、森光子が林芙美子役でほんのワンシーンだけ登場したのだが、それがとても印象的だった。
菊田一夫がこの時の演技をみて、森光子を主演に抜擢し「放浪記」を書き上げた。
ただ、戯曲の「放浪記」では林芙美子の戦前と戦後は描かれているが、戦中はスッポリ抜けている。
この空白を埋めようと試みたのが、井上ひさしの戯曲「太鼓叩いて笛吹いて」で、ここでは戦中の林の仕事を中心に描かれている。
日中戦争が始まると、多くの作家が「従軍作家」として戦場に派遣された。
戦争に否定的な作家もいて、彼らが書いたレポートが発禁になったケースもあったが、林芙美子は使命感に燃えて自ら進んで戦場に向かった。
何故なら彼女は典型的な「大衆文学者」であり、国民の大多数が戦争を熱烈に支持していたからだ。
林が書いた従軍記「戦線」は大ベストセラーになった。
林は書く。
”戦場へ出てみて、私は戦争の如何なるものかを知り、自分の祖国が如何なるものかを知りました。美食もなければ美衣もない。體だけの兵隊が銃を担い、生命を晒して祖国のために斃れてゆく姿は、美食や美衣に埋もれて、柔らかいソファに腰をすえて、国家を論じている人たちとは数等の違いだと思われます。”
その一方で、林の眼の前に広がる光景には作家としての視点も描かれるのだ。 
”両手をひろげた位の狭い町のあちこちに、兵たちが様々な格好で打ち斃れています。まるでぼろの様な感じの死骸でした。こんな死体を見て、不思議に何の感情もないと言うことはどうした事なのでしょうか。これは今度戦線に出て、私にとって大きな宿題の一つです、違った血族と言うものは、こんなにも冷たい気持ちにるなれるでしょうか。”
そして戦争の後半になると、前線にいたにも拘わらず林は殆ど記事を書かなくなった。
しかも大ベストセラーになった「戦線」を、本人の全集から除外してしまった。無いことにしたのだ。
ただ、林はその理由を語ることはなかった。

2023/01/08

「生存確認」歌合戦

もう旧い話題になるが、昨年の大晦日もNHK「紅白」はスルーし、TV東京の「年忘れにっぽんの歌」を観た。
理由は簡単で、こちらの番組で歌われた曲も歌手も全て知っているからだ。年の終わりに酒を飲みながらボーと観てられるのは心地良い。
久々に見る顔も多く、まだ現役で歌ってるんだと感心したり、さすがに声が落ちたなと感じたり。北島サブちゃんが車イスで登場したが歌詞を間違えたりと。
歌手と自分の年齢と比べながらというのもこの番組の楽しみの一つだ。
なかには、あまりに声が落ちすぎてこの人を見るのも今年で最後かなと思う時もある。
事実、過去に何人かこれが最後のTV出演となった人もいる。そんな時、ああやっぱり見ておいて良かったなとしみじみ思うのだ。
新年明けのNHKは相変わらず番宣、徳川家康一色だ。受信料をこんな事に使うなら返金しろと言いたくなる。
新年早々のニュースで、「広島サミットまであとOO日」の表示ボードができたと、隣に立つ岸田首相の姿と共に報じていたが、一体どこにニュース価値があるんだ。広島サミットに関心がある国民なんてごく少数だろう。報道というよりは完全な政府ゴマすりである。
NHKはスクランブル放送にすべきだと真剣に考える時期にきている。

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