林芙美子の「戦記」
日本で最も有名な女流作家といえば、林芙美子の名があがるだろう。林の作品を一度も読んだことがない人でも、名前は知ってる人も多いと思う。
なんと言っても森光子の主演で、東京芸術座で超ロングランを記録した「放浪記」の影響だ。
この芝居の前に上演された菊田一夫の戯曲「がしんたれ」を観たが、脇役に三遊亭圓生や晩年のエノケンらが出演するなど綺羅星のごとく居並ぶ俳優の中で、森光子が林芙美子役でほんのワンシーンだけ登場したのだが、それがとても印象的だった。
菊田一夫がこの時の演技をみて、森光子を主演に抜擢し「放浪記」を書き上げた。
ただ、戯曲の「放浪記」では林芙美子の戦前と戦後は描かれているが、戦中はスッポリ抜けている。
この空白を埋めようと試みたのが、井上ひさしの戯曲「太鼓叩いて笛吹いて」で、ここでは戦中の林の仕事を中心に描かれている。
日中戦争が始まると、多くの作家が「従軍作家」として戦場に派遣された。
戦争に否定的な作家もいて、彼らが書いたレポートが発禁になったケースもあったが、林芙美子は使命感に燃えて自ら進んで戦場に向かった。
何故なら彼女は典型的な「大衆文学者」であり、国民の大多数が戦争を熱烈に支持していたからだ。
林が書いた従軍記「戦線」は大ベストセラーになった。
林は書く。
”戦場へ出てみて、私は戦争の如何なるものかを知り、自分の祖国が如何なるものかを知りました。美食もなければ美衣もない。體だけの兵隊が銃を担い、生命を晒して祖国のために斃れてゆく姿は、美食や美衣に埋もれて、柔らかいソファに腰をすえて、国家を論じている人たちとは数等の違いだと思われます。”
その一方で、林の眼の前に広がる光景には作家としての視点も描かれるのだ。
”両手をひろげた位の狭い町のあちこちに、兵たちが様々な格好で打ち斃れています。まるでぼろの様な感じの死骸でした。こんな死体を見て、不思議に何の感情もないと言うことはどうした事なのでしょうか。これは今度戦線に出て、私にとって大きな宿題の一つです、違った血族と言うものは、こんなにも冷たい気持ちにるなれるでしょうか。”
そして戦争の後半になると、前線にいたにも拘わらず林は殆ど記事を書かなくなった。
しかも大ベストセラーになった「戦線」を、本人の全集から除外してしまった。無いことにしたのだ。
ただ、林はその理由を語ることはなかった。
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