素噺と音曲師
三遊亭圓生(6代目)の話によれば、かつての東京の噺家は大きく素噺と音曲師に分かれていたという。
ここで言う音曲師というのは、音曲だけを演じるのではなく、噺の途中や最後に音曲を入れる噺家を指している。多い時は一晩の寄席に音曲師が5-6人も出ていたことがあったそうで、かなり比率も高かったようだ。前に上がった人の曲は後の人は避けて演じていたという。
音曲師のネタは素噺の人は演じなかったというから、きっちりと一線を画していたことになる。
最後の音曲師と言われているのは柳家枝太郎だが、昭和19年に戦災で亡くなってしまったと言う。
音曲師の中で圓生が最も上手いと思ったのは3代目三遊亭萬橘で、実に良い声をしていたと語っている。
素噺と音曲師の垣根がなくなったのでと断って、圓生は『包丁』を演じている。
ストーリーは、清元の師匠おあきを女房にしてヒモの様な暮らしをしていた久次が、他の若い女が出来たので女房と別れようとする。一計を案じて金に困っている仲間の寅を引き込んで、久次の留守に寅がおあき宅を訪れ、酒にまかせておあきに言い寄り、そこに久次が出刃包丁を持って現れておあきの不義を責め、おあきを田舎の芸者かなんかに売り飛ばして二人で山分けするという算段だ。
この噺のキモは、酔いに任せて寅が、小唄を唄いながらおあきの袖を引く場面だ。寅は『八重一重』を口三味線をひきながら唄うのだが、この場面を上手く演じるのが腕の見せ所だ。
『八重一重』
八重一重
山も朧に薄化粧
娘盛りはよい櫻花
嵐に散らで主さんに
逢うてなまなか後悔やむ
恥ずかしいではないかいな
圓生はこの場面を実に上手く演じていた。音曲の素養がないと演じるのが無理なネタで、他の演者のものを聴いたことがあるが、小唄(他の曲に変えてる人もいた)の部分がダメで気の抜けたビールの様だった。
他に音曲の素養が必要な『汲みたて』『三十石』(東京版)といったネタも、圓生亡き後に引き継ぐ人がいない。
唄と踊りは噺家にとって必要な修練だが、中堅や若手の人たちは努力しているのだろうか。音曲師の後継者が育っていないということは、落語界全体の課題として捉える必要があるだろう。
他では、春風亭一朝が『植木のお化け』で音曲噺を演じている。
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