でんでん総理大臣
歴代首相の中でも安倍元総理ほど毀誉褒貶のある人は他にいないだろ。神のごとく崇める人もいれば、蛇蝎の如く嫌うアンチもいる。それは亡くなってからも続いている。
安倍についてはその政治的主張、手法に関しては種々議論があるだろうが、言葉遣いについてはおよそ総理に相応しくないと言わざるを得ない。
政治家にとって言葉は命だ。それを軽んじるなら国のトップとして鼎の軽重を問われても致し方ない。
安倍は国会で「私は立法府の長であります」と発言している。これが誤りだと中学生でも分かる。当初はこれは勘違い、言い間違いだとされていたが、安倍は同じ発言を国会で4回もしている。こうなると、「私は立法府の長」と本当に思い込んでいるんじゃないかと疑ってしまう。
国会で野党から発言の訂正を求められた際には答弁で、「訂正でんでんとの指摘は当たらない」と答弁した。これはどうやら原稿に「訂正云云」とあったのを、「云云(うんぬん)」が読めなくて「でんでん」としたようだ。読んでいて「でんでん」は変だと思わなかったのだろうか。
米国オバマ大統領の広島訪問の際には、安倍は「原爆で沢山のシイの方が亡くなった」と発言している。「市井(しせい)」が読めなかったのだ。シイなら共産党の委員長だ。
桜を見る会の件では、参加を募る文書が地元有権者に配られていたことに安倍は国会で、「募っているという認識だった。募集しているという認識はなかった」と答えている。何を言ってるのか意味不明。
長いサラリーマン生活の経験から言わせて貰うと、ビジネスの世界でも言葉がいい加減な人間は、仕事の能力も劣っていた。
安倍は屡々「美しい日本」に言及していたが、その前に「正しい日本語」を身につけるべきだった。
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