アメリカは特別な存在だった
ボクらにとってアメリカは特別な存在だった。生まれた時はアメリカと戦争中だった。やがて敗戦となり、小学3年生になるまではアメリカの占領下だった。当時のボクらにはアメリカは仰ぎ見る存在だった。
10代後半になると、砂川や立川の米軍基地反対運動に加わったりし、米軍の横暴さに次第に反発するようになった。
海外旅行は数えていないが数十回(もしかしたら3桁かな)に及ぶが、最も印象的だったのはやはりアメリカ旅行だった。訪米は3回で、うち出張が2回、兄と二人で個人旅行が1回。
1回目はボストン、ロードアイランド、シアトル。
2回目はサンフランシスコ、ウイスコンシン州の地方都市、ワシントンDC、ニューヨーク。この時は一人で出張だったが、ロクに英語を喋れないのに何とか乗り切った。もっとも散々恥をかいたのだが。
3回目は、兄が癌の手術をして5年経ち、初めての海外にどこが良いかとたずねたら、アメリカに行きたいということで最初で最後の兄弟旅行となった。兄としては若い頃のアメリカ映画への憧れがあったのだろう、指定コースとしてナイアガラ、ワシントンDC、ニューヨーク、フィラデルフィアを巡った。ブロードウェイのミュージカルを観劇したのもこの時だった。
たまたまニューヨークのメトロポリタン美術館に知ってる人がいて、最上階のレストランでランチをご馳走になり、館内を案内して頂いた。お陰で良い兄貴孝行ができた。この数年後に兄はあの世へ旅立った。
数々の海外で最も感激したのは、ニューヨーク(マンハッタン)の中心に立った時だった。アメリカへの屈折した思いが一気に出たのだろう、大げさに言えば、これで死んでもいいとさえ思った。
孫娘を連れてもう一度ニューヨークを訪れたいと願っていたが、ボクの健康状態では到底無理だ。
これも思い出のアルバムとして仕舞っておくしかない。
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