門田隆将という「作家」
門田隆将(かどた・りゅうしょう)は、ベストセラーを連発する人気作家として有名で、2012年に福島第一原子力発電所の事故について書いた『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(2012年11月刊行、PHP研究所)はその後に「Fukushima50」として映画化されて大きな反響を呼んだ。
また、門田は右翼の論客として産経系などのメディアにその主張が頻繁に取り上げられていて、眼にした方も多いだろう。
その一方、門田は過去に盗用・剽窃を告発する著作権侵害訴訟を起こされ、東京地裁・東京高裁・最高裁で連続敗訴している。
「門田隆将グローバルクラブ」というサイトに、そのパクリの手口が詳細に紹介されている。
ここでは、
①池田知加恵『雪解けの尾根』(ほおずき書籍、2008年9月刊行の第3刷)
②門田隆将『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』(集英社、2010年8月に出版)
の文章の一部を比較対照したものを引用した。
①の17ページ
朝、元気に家を出た人間が、その夕刻に死ぬなんて、私にはどう考えても信じられない。悪夢でも見ているのではないか、そうであってほしいと思った。今まで、夫のいない生活を考えたこともなかった。これから一人になって、どんな楽しみがあるのだろうと思ったら、涙が止めどなく溢れて仕方がなかった。私は、周囲に気づかれないように涙をそっとふいた。
②の131ページ
朝元気に家を出ていった夫が、その夕刻に死ぬなんて、知加恵にはどうしても信じられなかった。これは悪夢に違いない。そう何度も思おうとしていた。夫のいない生活など考えたこともない。これから一人になって、自分は何を頼りに生きていけばいいのだろうか。
考えれば考えるほど、止めどもなく涙が溢れてきた。周囲に悟られまいと、知加恵は何度もハンカチで涙を拭った。
①の20ページ
日航側の家族受け入れ態勢はこの時まだ不備を極め、あちこち市内をひっぱり回された家族と日航の間はさらに険悪になった。中には、いらだちが高じ日航の社員の胸を足げにする人もいて、本当に恐ろしかった。
②135ページ
しかし、まだ日航の受け入れ体制は整っておらず、引っぱりまわされた家族は、日航の職員に罵声を浴びせた。いらいらして日航の社員の胸ぐらを摑む人や、なかには、実際に胸を蹴り飛ばす人もいた。
①の20~21ページ
私は若い警官の前に腰かけた。
「ご主人の事故当日の服装、所持品、肉体的特徴についてくわしく話して下さい」
と聞かれたが、背広の色さえ記憶していなかった。若いころから着替えは自分でしなければ気のすまない人だったし、空港までの車中も助手席の夫と顔を合わすことがなく、前日自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかった。覚えていたのはニナリッチのカフスボタン、朝磨いてそろえた靴の色くらいである。身体的特徴については次のように説明した。人並み以上に頭が大きいこと、髪の毛が多く、ヘアトニックをたくさんつける習慣のあること、色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、足の水虫のことなど
②の136ページ
聴取を担当したのは、若い警官だった。
「事故当日の服装、所持品、肉体的特徴を詳しくお話し下さい」
二人は、警官からそう尋ねられた。典正には、ほとんどわからない。しかし、知加恵も、あまり答えられなかった。
知加恵は、いざ聴かれると隆美が着ていった背広の色さえ記憶していなかった。若い頃から着替えなど、準備は自分一人でやってしまう夫だった。十二日の朝、空港へ送る車中でも助手席の夫とは横向きの位置関係にあり、前日に自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかった。知加恵が覚えていたのは、わずかにニナリッチのカフスボタンとタイピン、あとは、朝、磨いて出した黒靴の型くらいのものだ。
身体的特徴も人並み以上に頭が大きいこと、髪の毛が多くてヘアトニックをたくさんつける習慣があること、色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、足の水虫のことなど
①の21ページ
家族は、アイウエオ順で数か所の市内の小中学校の体育館に分散、待機させられた。私たちの第二小学校は市内の繁華街から西北にあった。体育館は、折からのひどい暑さの中に立錐の余地もないほどの人いきれで、まるで蒸しぶろのようである。昨晩から着ていたブルーのTシャツも汗まみれであったが、この際なりふりなど構っていられなかった。
②の137ページ
乗客の家族は、姓名のアイウエオ順で数か所の市内の小中学校の体育館に分散、待機させられていた。市の繁華街からやや西北に位置する藤岡第二小学校で知加恵たちは待機した。
体育館は折からの酷暑で、まるでむし風呂だった。知加恵が前夜から着つづけている洋服も汗まみれだったが、仕方なかった。
サイトでは、数十か所に及ぶパクリが紹介されているが、字数の関係でここまでで止めておく。
またサイトでは、門田の他の著作についてもパクリの手口を紹介しているので、興味のある方は直接「門田隆将グローバルクラブ」を参照されたい。
上記の例でも分かる通り、門田の文章はパクリというよりは「コピペ」と表した方が近い。
これは果たして「作家」と言えるのだろうか。
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