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2023/09/01

関東大震災と亀戸事件

以前、街を歩いていてたまたま「亀戸事件犠牲者之碑」というのが眼に入った。不勉強で全く知らなかったのだが、調べたら関東大震災のなかで起きた虐殺事件の一つだった。
関東大震災のドサクサに、この機に乗じて軍や警察は敵対していた人たちの抹殺を計画し、その中で起きた事件だった。
東京府南葛飾郡亀戸町(現・東京都江東区亀戸)で、社会主義者の川合義虎、平澤計七、加藤高寿、北島吉蔵、近藤広蔵、佐藤欣治、鈴木直一、山岸実司、吉村光治、中筋宇八ら10名が亀戸警察署に捕らえられ、9月3日から4日(あるいは9月4日から5日)に習志野騎兵第13連隊によって亀戸署内あるいは荒川放水路で刺殺された事件だ。
彼らが日頃から労働争議で警察と敵対関係にあった事から目を付けられたのだ。
大正12年10月11日付の各新聞は、そろって亀戸事件に関する警察発表を大きく報道した。警視庁官房主事正力松太郎(後の讀賣新聞の社主)らの談話のとして報じた概要は次の通り。
1.9月4日深夜から5日早朝にかけて平沢計七、川合義虎、山岸実司、北島吉蔵、鈴木直一、近藤広造、加藤高寿、吉村光治、佐藤欣治、中筋宇八の10名の労働運動者は、亀戸署の演武場横の広場で習志野騎兵第13聯隊の兵士によって殺害された。彼らは、震災後おれ達の世がきたと革命歌をうたい、「朝鮮人が毒薬を井戸に入れた」など流言を放っていると附近の者が密告してきたため3日夜検束した。彼等は留置場内でも革命歌をうたい、多数の留置人を煽動して手がつけられないので、軍隊に制止方を依頼したところ、更に反抗したため殺されたものである。
2.死体は附近の空地にはこび出し、他の多数の死体とともに石油をかけて焼いてしまった。家族からの問い合わせには「既に釈放した」と答えさせた。事実を言えば一層騒ぎが大きくなると考えたからである。
3.軍隊の処置は衛戌勤務令第12によつた適法のものであると認めた。
しかし、彼らの検束や殺害の理由としてあげられたものは全て噂や密告によるもので、証言や証拠は何もない。
大杉栄らの虐殺と同様、大震災の混乱の中で社会主義者や労働運動家を狙い打ちしたことは明白だ。
大震災から今年で100年を迎える。
また流言飛語によって多数の朝鮮人が殺害された。
今後発生する災害に備えて、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう教訓としたい。
(以上は、二村一夫『亀戸事件小論』を参考にした)

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