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2023/10/10

【インパール作戦】5000人殺せば陣地が取れる

インパール作戦とは、先の大東亜戦争のビルマ戦線において、敗色が濃くなりつつあった1944年(昭和19年)、陸軍がビルマ防衛とイギリスによる中国への支援ルートを断つ目的で、インド北部の都市インパール攻略を目指して3月より開始、7月に中止した軍事作戦。
食料も弾薬も不足するなかで、600mの川幅の大河を渡河し、その先の高さ2000mの山地を超えるという無謀な作戦だった。
陸軍幹部からも批判の声があったが、南方軍や現地司令官・牟田口廉也中将の強硬な主張により決行された作戦として知られ、その損害の大きさから日本軍における「史上最悪の作戦」と言われている。
この戦闘による日本側の損傷は、
参加兵士:約6万人
戦死者:約3万人
戦傷病:不明だが戦死傷病合計で53000人という推定もある
また、
軍馬:12,000頭(専ら物資運搬に使役)
牛:30,000頭(物資運搬及び食用)
象:1,030頭(専ら物資運搬に使役)
を失う。
他に、食糧現地調達のために
羊、山羊等(食用):約10,000頭
を消費した。

インパール作戦に関してはNHKの特集番組で詳細な分析が行われ、更に「戦慄の記録インパール」として書籍化されている。
この中で最も衝撃的だったのは、司令官と参謀との会議での
「5000人殺せば陣地が取れる」
という発言だ。
たまたま会議に同席していた若手の将校が耳にしたのだが、驚いたのはここで「殺す」とされたのは敵ではなく、日本軍のことだったと知ったからだ。
部下の兵士の命をまるで虫ケラを扱うように「殺す」と表現していた。ここに当時の日本軍の体質が如実に表れている。
因みに、インパール作戦ではこれだけ大きな犠牲を出しながら、指揮した司令官クラスや参謀たちの犠牲はゼロだったし、その責任を問われることもなかった。

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