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2023/12/31

「日本は人権を守る国」ではありませんよ

日本へ難民として入国しようとした人々が酷い扱いを受け、「日本は人権を守る国」と聞いてきたのにという落胆の声があると言う。
もし、そう思われているなら事実に反する。
日本国民については憲法で保障されている人権はある程度は守られている。
しかし、難民や移民といった外国人に対しては極めて冷淡(又は冷酷)な国だ。
なかには、そうした人々に手を差し伸べ救済に奔走する人もいるが、全体から見れば極く少数だ。
「オモテナシ」を受けるのは観光で来日した外国人だけで、短期滞在でお金を落としてくれるので歓迎されているだけ。
それも観光関係の人だけで、一般の国民の多くは必ずしも歓迎しているわけではない。オーバーツーリズムで迷惑を蒙っている人さえいる。
難民に対しては基本拒否、移民は役にたちそうな人だけ選別して受け入れるというのは政府の方針であって、対象となる外国人には「人権を守る国」ではないというのが現実だ。
日本は「ムラ民主主義国家」なのだ。

2023/12/29

「自民党の裏金事件」有権者側の反省はどうなのよ

自民党の裏金事件は既に二人の現職国会議員に家宅捜索が入り、これからどこまで拡がるのか底なしの状況だ。
フタを開けてみれば、安倍派が最大派閥になれたのは、派閥に集金力があり議員の懐に裏金が渡っていて、その金が自由に使えたからだという、身も蓋もない話になってしまった。
選挙資金が豊富なら当選し易くなる。
要は、金で票を買ったのだ。
それなら、金につられて投票した有権者側に反省点はないのだろうか。
知らなかったでは済まされない。
選挙法をいくら弄ったところで、有権者の意識が変わらない以上は金権政治は無くならない。
ここへきて、政治に金がかかることが批判されている。
それを言うなら、国民から強制的に徴収した金を各政党にバラマク政党交付金制度をなぜ認めているのだろうか。
私的な政党活動に公的資金を投入するというバカげたことを放置しておいて、政治と金を論じても意味がなかろう。
二世三世議員問題も、詰まるところ国民の有名人好きに起因している。
親が祖父が議員だからといって、本人の信条や人格など無視して投票する人間が多いのだ。
親が有名な野球選手だった、有名な作家だったということだけでTVのコメンテーターになれる時代。
政治を変えようというなら、先ず国民の意識が変わらねばならぬ。

2023/12/27

戦後を代表する女性歌手「二葉あき子」

戦後といえば、通常は1945年に敗戦を迎えたアジア太平洋戦争(大東亜戦争)後を指すが、戦争直後ということでここでは1946-1950年の5年間を一区切りとする。
この期間を代表する歌謡曲の歌手は、男性なら「岡春夫」になる。出す曲は片っ端からヒットし、今でもカラオケでは歌われることが多い。
女性歌手ならどうだろうか、一人名前をあげるなら「二葉あき子」になる。
なかには美空ひばりという人もいるだろうが、デビュー曲も最初のヒット曲も1949年だ。先日、ある記事を見ていたら「焼け跡にひばりの歌声が流れて」なんていう表現があったが、時代錯誤も甚だしい。1949年には焼け跡は無かった。
二葉あき子は広島の出身だ。芸名は出身地名の「二葉」と「安芸の国」から取っ手いる。
東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業後は、郷里の女学校の教師をしていた。
1936年春、コロムビアの専属となり、1939年に『古き花園』が大ヒットし人気歌手の仲間入りを果たす。
1940年に藤山一郎との共唱で『なつかしの歌声』、1941年に高橋祐子との共唱で『めんこい仔馬』がヒットする。
1945年には帰郷していた広島で原爆投下にあうが、乗っていた汽車がトンネルの中だったために助かる。
戦後、最初のヒット曲は1946年の『別れても』で、元は1939年に別の歌手が歌ったものだ。ある歌謡番組では、原爆で亡くなった方への鎮魂歌として歌ったという紹介があった。
1947年にヒットした『夜のプラットホーム』は、元は戦時中に外国の曲を装って作られた『待ち侘びて』で、当局から発売禁止となっていたものを、二葉あき子がレコーディングした。
1948年に大ヒットした『フランチェスカの鐘』、最初のレコーディングではセリフが入っていたが、評判が悪かったので翌年にセリフ無しの再吹き込みを行っている。
1948年にヒットした『恋の曼珠沙華』は、『三百六十五夜』のB面としてレコーディングしたもの。
同年には『さよならルンバ』がヒット。
1949年の『恋のアマリリス』は、『青い山脈』のB面としてレコーディングしたものだが、両面ともにヒットした。
1950年の『水色のワルツ』は大ヒットし、
同年には民話調の『村の一本橋』がヒット。
この年は『バラと蜜蜂』が、これもまたB面だがヒットした。
1951年には、和風シャンソンの傑作ともいうべき『巴里の夜』がヒット。
NHK紅白歌合戦にも1951年の第1回から1959年の第10回まで10回連続出場した。
こうして並べてみても、二葉あき子が戦後を代表する女性歌手であることが分かる。

2023/12/23

落語に解説は不要

落語会のオープニングなどで主催者(席亭)がネタなどを解説するケースがあるが、あれは邪魔でしかない。
演芸番組で演芸評論家が解説するのを聞いたことがあるが、あれも無駄だ。
落語という芸能は、圓朝作の長編ものを除けばそれほど難しい内容のものはない。
ストーリーそのものは子どもでも分かる。
私が親に連れられ始めて寄席で落語を聴いたのは6歳の頃だ。十分楽しかったし、また連れて行ってくれとせがんだ程だ。
印象に残っているのは3代目桂三木助の『蛇眼草』で、ひっくり返って笑った。
小学2-4年にかけて、親や近所の落語好きの女性(オールドミスと呼ばれていたっけ)に連れられて何度か新宿末広亭に行った。
そこで3代目春風亭柳好『野ざらし』や6代目春風亭柳橋『時そば』、桂小金治『禁酒番屋』や
4代目三遊亭圓遊『堀の内』、10代目桂文治(当時は伸治)『反対俥』などが面白くて印象に残っている。
9代目桂文治は子ども心に下手だなと思ったが、今聴いても大して面白くない。
だから子どもでも中身は分かるし、良し悪しの判別はつく、落語というのはそういう芸能なのだ。
先ほどの落語好きな近所の女性のことだが、この人が寄席で笑ったのを見たことがない。客席でニコリともしないのだ。
不思議な人だなと思ったが、楽しみ方は人それぞれなんだね。
客の聴き方楽しみ方は百人百様、だから落語に解説なんか要らない。

2023/12/20

嫌いな歌謡曲

好きな曲については以前に書いたが、嫌いな曲もある。
ここでは有名な曲を4曲とりあげる。
①二葉百合子「岸壁の母」(オリジナルの菊池章子歌唱はOK)
②島倉千代子「東京だョおっ母さん」
③森進一「おふくろさん」
④美空ひばり「柔」
4曲に共通しているのは「押し付けがましい」だ。
①の「岸壁の母」はとても良い曲だ。
戦後、主に当時のソ連に抑留されて、いつ日本に帰国できるか分からない息子を日々待ちわびる母親の姿を描いたもので、菊池章子が歌って大ヒットした。菊池章子はこの曲を何度も泣きながらレコーディングしたと言う。
そうした名曲を二葉百合子は過剰なお涙頂戴なクサイ歌唱で台無にしている。こういう曲だからこそ、抑制的に歌わねばならない。
②から④に共通しているのは「押し付けがましさ」だ。
これらは歌唱の問題ではなく、曲自身が嫌いだ。
「東京だョおっ母さん」は、戦前ヒットした「九段の母」の焼き直しといって良い。歌詞も曲も古臭い。
「おふくろさん」「柔」は、教訓臭が強すぎる。歌で説教されたくないね。
②③は母子の情愛を歌ったものだが、心に響かない。
これが山口百恵「秋桜」だと、何度聴いても涙が出てくる。
私は母親との折り合いが悪く、結婚で家を出るときに母から「お前のただ一つの親孝行だ」と言われた。
私は私で解放感に浸った。
そういう経験が「秋桜」の涙として反作用を生んでいるのかも知れない。
歌を聴くときも、自分の人生が反映されるのだ。

2023/12/17

「政治に金がかかる」に騙されるな

自民党はいまパーティ券不正疑惑に揺れている。現行法ではパーティーで資金を得ることも、キックバック(利益の配分)も合法で、これらを一切帳簿に記載せず裏金にしていたことが違法なのだ。
この疑惑にかんして、原因を「政治に金がかかる」からとしているのを見かけるが、もしこれが本当なら全ての議員がパーティーで収入を得ねばなるまい。
「政治に金がかかる」に騙されてはいけない。
かつての自民党議員の中には借家住まいを通した清廉な人もいた。それでも選挙では連続当選をしていた。
政治に金をかけるかどうかは、政治家本人次第なのだ。
現在は政党助成金(交付金)制度ができて、国民一人あたり年間250円が財源となっている。
この結果2022年度実績で、自民党には約160億円が支給されている。十分過ぎるくらい十分な金額だ。
もちろん、議員には歳費をはじめ各種手当が支給されていて、企業や団体からの献金も豊富だ。
これ以上、何を求めているのだろうか。
政党の中には政党助成金も、企業・団体からの献金も受け取らず、政治活動を行っている共産党の様な政党も存在する。
自分たちで勝手に金をかけておいて、「政治に金がかかる」はないだろう。

2023/12/15

コロムビア・ローズ(初代)論

年配の歌謡曲ファンにとっては懐かしい名前として、そうでない方も名前は知ってる人は多いだろう。
コロムビア・ローズ(初代、以下同じ)は昭和20年代後半から30年代にかけて活躍した女性歌手だ。
1951年(昭和26年)、「第2回日本コロムビア全国歌謡コンクール」で優勝し、日本コロムビアに入社した。
コロムビアレコードでは有望な歌手に社名をつけることがあり(ミス・コロムビアの前例あり)、ローズは戦後有名だった東京ローズに因んだという説があるが、東京ローズは当時批判も多かったところからこの説には疑問が持たれている。
コロムビア・ローズは当初、アイマスクした覆面歌手として1952年にレコードデビューした。
デビュー曲の「娘十九はまだ純情よ」
次いで「リンゴの花は咲いたけど」
とたて続けにヒットを飛ばした。しかし、その後の2年間はヒットに恵まれない時期を迎えた。
この状況を打ち破ったのはコロムビアの文芸路線だ。
1954年に「哀愁日記」がヒット。
翌年の1955年には、玉ノ井の娼婦を描いた「渡り鳥いつ帰る」がヒットし、
以後は、揺れる女心を陰影をつけて巧みに表現する歌唱力に磨きがかかる。
同年の「かりそめの唇」
1956年に「しあわせはどこに」
続いて「どうせ拾った恋だもの」
と文芸路線のヒット曲が続く。
ここで再び路線転換が図られる。彼女が持っている清新な歌声を活かした曲、
1957年に「東京のバスガール」が大ヒットし、
続いて「プリンセス・ワルツ」がヒットする。
最初に「東京のバスガール」を聴いたとき、こんな歌を敢えてコロムビア・ローズに歌わせる必要がないのではと思ったが、聴き直してみると明るい歌声の中にペーソスがあり、やはりコロムビア・ローズでなければあれ程のヒットにはならなかっただろう。
しかし、彼女は歌手生活10周年を前にして1961年に突如引退しまう。
引退理由は結婚とされていたが、真相はよく分からない。
コロムビア・ローズの魅力は声の美しさにあり、特に中音から高音にいたる歌声の美しさは同年代の歌手の中でもずば抜けている。
歌唱力も昭和30年代の女性歌手としてはナンバーワンだったという評価がなされている。

2023/12/13

岩田明子にジャーナリストとしての良心を問う

以下は「岩田明子 さくらリポート」より引用。
自民党派閥の政治資金パーティー券疑惑で、最大派閥・安倍派(清和政策研究会)の複数議員が最近5年間で、1000万円以上のキックバック(還流)を受けて、裏金化していた疑いがあることが分かった。東京地検特捜部は13日の国会閉会後、議員らの一斉聴取に乗り出す構えだ。ただ、別の派閥でも政治資金収支報告書への不記載・過少記載は告発されている。「裏金」も「不記載・過少記載」も不適切な処理であることは同じで、国民の「政治とカネ」への不信感は強まるばかりだ。ジャーナリストの岩田明子氏が緊急取材したところ、安倍晋三元首相が初めて派閥領袖(りょうしゅう)に就任した2021年11月より前から同派の悪習は続いており、それを知った安倍氏は激怒し、対応を指示していたという。
自民党派閥の政治資金パーティー裏金疑惑は、岸田内閣の要である松野博一官房長官ら、安倍派所属議員の「政務三役」更迭が不可避という事態にまで発展した。21年10月の内閣発足以来、最大のピンチといえる。
関係者に取材すると、細田博之前衆院議長がトップだった細田派時代(2014~21年)、現金で還流した分を政治資金収支報告書にどう記載するかについて、派として統一方針が提示されることはなかったという。派内からは「このままでいいのか」と疑問の声が上がっていたが、細田氏側からは明確な指示は示されなかった。
安倍元首相が21年11月に初めて派閥会長となった後、翌年2月にその状況を知り、「このような方法は問題だ。ただちに直せ」と会計責任者を叱責、2カ月後に改めて事務総長らにクギを刺したという。
22年5月のパーティーではその方針が反映されたものの、2カ月後、安倍氏は凶弾に倒れ、改善されないまま現在に至ったようだ。

安倍派のパーティー資金の還流や裏金問題が今や大きな政治問題と化しているが、ここで岩田は細田が派閥の長であった時代に行われたものであり、安倍はそれを止めさせようとしたと言っている。
さすが、安倍番記者として有名をはせた岩田明子の面目躍如だ。
ただ、安部、細田両氏とも泉下に入っており、真実の確かめようがない。
ここで問題とすべきは、岩田は以前から安倍派の資金還流や裏金の存在を知っていたという点だ。
ジャーナリストならその事実を明らかにし、不正を追及するのが本来の姿であるべきではなかろうか。
そのことに口を拭って、私だけが知っているエピソードを得々として語る神経を疑うし、ジャーナリストとしての矜持の欠片も感じられない。

2023/12/11

自民党・安倍派の裏金疑惑と旧ジャニーズ問題

自民党・安倍派によるパーティ収入の一部が派内議員へキックバックされ、それらが議員や政治団体の収支報告書に記載されていなかった疑惑が明らかになり、政権を揺るがす問題になりつつある。安倍派の複数の議員がここ5年間で1000万円以上の資金を得ていたと見られる。
パーティと言っても多くは収益が95%を上回ると見られ、実態は寄付と変わらない。
政治資金規正法の網をくぐり抜けた錬金術だ。
この疑惑を最初に報じたのは、昨年11月の「しんぶん赤旗」のスクープだった。しかしこの時はマスメディアの大半がこれを黙殺していた。
1年近く経ってから一部週刊誌が記事にし始め、検察が動き、ようやく大手メディアが取り上げるようになった。
共産党が情報を得ていたくらいだから、各メディアの政治部はとっくに知っていたに違いない。
では、なぜメディアはその情報を黙殺していたのかだが、その原因は旧ジャニーズ問題と共通しているものだと思う。
①政治の安倍派、芸能の旧ジャニーズという一強への忖度。
②しょせん政治の世界とは、芸能の世界とは、そんなものだという見方。
権力には逆らわず、むしろ阿る昨今のジャーナリズムの退廃ぶりを示したものだと考える。
パーティーを、政治には金がかかるからという擁護論があるようだが、それなら全ての政党、全ての議員が揃ってパーティーを行う筈だ。
政治に金がかかるのではなく、政治に金をかける議員の集金手段がパーティーである。
キックバックを受けた資金を収支報告書に記載しなかった理由は、裏金にするためだろう。裏金にしておけば使い道は自由だ。
「驕る安倍派は久しからず」。

話は変わるが、小池百合子都知事の学歴詐称疑惑についても大手メディアは沈黙している。公選法違反の大問題に関わるのに。これまた、忖度ですか?

2023/12/01

『リンゴの唄』と日本の戦後

作家の片岡義男が書いた『歌謡曲が聴こえる』を読んだ。以前に出版された本だが、月刊誌『図書』に片岡がジャズやシャンソンのディスクについて連載しているので、歌謡曲についてどういう関心を持っているかが興味があった。
片岡は私より5歳年上なのでほぼ同時代といって良く、本書でとり上げた曲の大部分は私にとってもお馴染みだ。
なかには物心のつく年齢以前の曲もあるが、子どもの頃は生活の中心がラジオであり、それも一日中つけっ放しの状態だったから、歌謡曲は常に耳慣れていた。
戦後の歌謡曲が『リンゴの唄』に始まるのは衆目の一致するところだろう。敗戦からわずか3か月後の昭和45年11月に映画『そよかぜ』が公開され、その主題歌として『リンゴの唄』が作られた。
『そよかぜ』はGHQ(実質は米軍)が検閲許可した日本映画の第1号で、『リンゴの唄』も検閲許可されたものだ。
映画『そよかぜ』は、元々は終戦間際の戦意高揚映画『百万人の合唱』として制作されたものだったが、こちらは当時の軍部の検閲に撥ねられ公開されずに終わっていた。その原因としてサトウハチローが書いた主題歌の作詞が、時局に相応しくないとされたようだ。
映画会社『松竹』は、お蔵入りだった『そよかぜ』をそっくり戦後の物語に改め、GHQの検閲に引っかからぬよう細心の注意を払って作り直した。一億総玉砕から一億総懺悔へ、軍国主義から民主主義への大転換に時流に乗ったわけだ。
主題歌『リンゴの唄』の作詞はサトウハチローだが、これは映画『百万人の合唱』の主題歌の歌詞をそのまま使ったもののようだ(異説あり)。片岡によれば、この詩には戦時中に犠牲になった多くの子どもたちへの鎮魂の意味が込められているという。
作曲は万城目正。
歌手は並木路子だが、レコードの吹き込みは霧島昇とのデュエットだ。これは霧島が強く希望したもので、コロムビアレコードとしても霧島の要望は受け容れざるを得なかったのだろう。
並木路子は松竹歌劇団(SKD)の団員として、兵士の慰問活動を行っていた。東京大空襲の際は東京の自宅で被災し、母親は死亡。彼女は火に追われて隅田川に飛び込んだが泳ぎが出来ず溺れていたところを助けられた。兄は出征したまま死亡している。
そんな状況の中でのレコーディングは並木にとって辛い思いがあったのだろう。万城目正から何度も「もっと明るく歌うように」という指示が繰り返されたという。
かくして行進曲風の明るい歌でありながら、どこかもの悲しい部分をも感じさせるこの曲は空前の大ヒットとなった。
『リンンゴの唄』は、その制作過程から作詞作曲家や歌手の人生そのものを反映したものであり、戦後日本の大転換を象徴した作品となっている。

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