フォト
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 2023年12月 | トップページ | 2024年2月 »

2024/01/28

林家正楽の訃報

落語フアンならこの人の名前を知らぬ人はいないだろう。
紙切り芸の第一人者である林家正楽(3代目)が、1月21日亡くなった。76歳だった。
直前まで寄席に出ていたそうで、とても残念な気持ちだ。
紙切りという芸は、当日客席からのリクエストがあればその場で紙を切り抜いてゆく芸で、事前の準備ができない難しい芸だ。
客層は子どもから老人まで幅広く、テーマも具体的なことから抽象的なものまで(例えばその年の芥川賞の作品というリクエストもあった)あるので、膨大な情報を頭に入れる必要がある。
同時に紙を切ってる間を客が退屈しないようにせねばならない。
正楽の場合は前後に体を揺らせながらトークを入れていた。このトークも楽しみの一つだった。
寄席ではトリの前に出る「ひざ代わり」の出番が多く、トリの口演時間の関係で数分ということもあれば十数分も時間を繋ぐこともある難しい役目だ。
あの芸をもう一度見たいと願うファンも多いだろう。
ご冥福を祈る。

2024/01/26

正司歌江の死去を悼む

昭和を代表する音曲漫才トリオ「かしまし娘」の正司歌江が1月19日、亡くなった。享年94歳。
正司歌江は1929年(昭4)生まれの北海道出身。妹の照枝、花江と「かしまし娘」を結成。56年から本格的に活動を開始し、流行歌や浪曲を取り入れた音曲漫才で人気を博した。ギターや三味線を弾きながら「うちら陽気なかしまし娘」のテーマソングと共に、全国的に親しまれた。
私は、女性はお笑いに向かないとかねがねから思っていて、実際に女性だけのコンビやグループで面白いと感じるのはいなかった。
唯一の例外は「かしまし娘」だった。
お笑いには女性であることを捨てることも必要とされるが、「かしまし娘」は同時に女性としての色気を失っていなかった。
3姉妹はとても仲良く見えていたが、お互い火花を散らすような激しさも有していた。
それを一つにまとめ上げていたのは正司歌江の統率力だったと思う。
大衆の厳しい目で揉まれ育てられた本物の芸だったので、あれ程の人気を長期間保つことができたのだろう。
ご冥福を祈る。

2024/01/12

あの頃の一風変わった落語家の思い出

以前、小学生時代に寄席で出会った落語家の思い出を書いたが、今回はちょっと変わった人について触れてみたい。
上方の落語家で東京の協会に席を置き寄席に出ていた人がいた。
代表的なのが桂小文治(2代目)で、芸協の副会長として弟子も多い。ただこの人の関西弁は聞き取りづらく、内容は分からなかったせいか面白くなかった。今聴いてもやはりつまらない。
ただ、1席終わってから踊ることがあったが、これは上手かった。
小文治を聴いて、やっぱり落語は東京だよなと思っていたら、その考えを改めたのが三遊亭百生(2代目)の高座だ。
コテコテの関西弁だったにもかかわらず内容が聴き取れ、噺も面白かった。そして何より愛嬌があった。
桂小南(2代目)はソフトな関西弁で聞きやすく、明快な語り口で人気があった。
桂右女助(後に6代目三升家小勝を襲名)は、新作の『水道のゴム屋』で売っていた。
古今亭今輔(5代目)は、お婆さん落語で人気を博した。「お爺さんは黙ってらっしゃい!」なんてやっていた。
口の悪いのは鈴々舎馬風(4代目)で、高座に上がって開口一番が「よく来たな」だった。刑務所に慰問に行って、「満場の悪漢諸君!」と挨拶したという有名なエピソードが残されている。
桂枝太郎(2代目)は、漫談風の高座だった。
三遊亭小金馬(後の4代目三遊亭金馬)は腹話術だった。
三遊亭圓馬(4代目)は押し出しは良かったが、噺はあまり面白くなかった。
文楽や志ん生といった人たちは、ホール落語やラジオ番組出演が主で、普段の寄席には出なくなっていた。

2024/01/10

中村メイコの訃報

日本のテレビ放送の草創期から活躍してきた俳優の中村メイコが、12月31日に亡くなった。89歳だった。
天才子役は大成しないというジンクスを破って活躍した人だった。
さすがに子役時代は知らないが、NHKのラジオドラマ『ジロリンタン物語』(♪毎朝手を振るジロリンタン)や『お姉さんと一緒』(♪いいないいなお姉さんと一緒)あたりから名前を知ることになる。
最も印象的だったのは「七色の声」という特技で、ラジオのドラマでは一人だけで色々な役を演じ分けていた。
歌手としては『田舎のバス』(♪田舎のバスはおんぼろ車)がヒットした。
稀有な俳優として名が残る人だ。
ご冥福をお祈りする。

2024/01/08

動物愛護と人命軽視

昨年は野生の熊に襲われた人が過去最高を記録し、多くの人命が失われた。このため人を襲った熊を駆除したことに対して、当該自治体に全国から抗議の電話が鳴り、職員がその対応に追われる事態にまでなった。
抗議した人にとっては、襲われた人が気の毒という思いより熊がかわいそうという思いの方が強いのだろう。
1月2日に起きた羽田空港での日航機炎上事故では、乗客と乗員全員が非常口から脱出できたことは奇跡的であり、海外からも賞賛されている。
その一方で、機内の別の場所に保管されていたペットが死んだことを問題視し、ペットもケージに入れて客室に持ち込めないかと意見も出されていいるようだ。そうすればペットも助かったのではと。
この考えは間違っている。
緊急時の脱出には、乗客は荷物を持ちだす事は出来ない。従ってペットは助からない。
ペット好きな人にしばしば見られるのは、周囲の人もきっとペットが好きな筈だと思い込む傾向が見られることだ。
動物アレルギーを持つ人もいれば、もともと動物嫌いの人もいる。
動物好きな人は人間的にも優しいなんて信じる人もいるようだが、ヒットラーを始めナチスに幹部がペット好きだったという事実をどう説明するのだろうか。
戦後に、食べるために犬を殺す人の姿を見たことがあるし、狂犬病を防ぐために公共事業として野犬狩りが行われていたのを知る人間として、最近のペットブームを複雑な思いでいる。

2024/01/06

ブランド品争奪戦

能登半島地震で被害を受けたり苦しんでいる人がいるのに、こんな話題をとり上げるのは些か恐縮だが、これも世の中の一断面と思って頂きたい。
孫娘が今年成人を迎えるが、今まで貯めていたお年玉や今回の成人祝いをまとめて、あるブランドのバッグを購入しようとしている。
今まで何度かブランド品を販売している店に通っているが、入手できないのだ。
人気商品で店に入荷するの数も不安定で、少ない商品を買うために開店前の早朝から並んでいる人も少なくないという。
孫娘は、商品の下見に銀座にあるブランド品の販売店が並ぶ商店街を行ったが、どの店も行列が出来ていたそうだ。
数十万円もするバッグを買いたい(買える)人がそんなにいるんだね。
この店では購入にあたって写真付きの身分証明書が求められるそうで、転売防止のためだという。
片や無料の食料品を求めて行列する姿がある一方、ブランド品を求めて行列する人もいる。これも日本の現実なのだ。
ブランド品といえば、偽物がしばしば問題となっている。
精巧なコピー商品が製造され、最近では商品タッグやICチップまで偽造されているようだ。
最近あるデパートで販売したブランド品が偽物だったとして謝罪したことが報じられたが、プロでさえ見分けが出来なくなっているのだろう。
もう20年以上前に中国で偽ブランド品専門の店に行ったことがあるが、当時から商品を包む布製の袋から、製造番号まで入った専用のケースまで用意されていて、価格は10分の1以下だった。今ではより技術が進んでいるのだろう。
ブランド品といえども、アジアの低賃金の労働者に製造委託しているので、簡単にコピー商品が出来てしまうのだ。
本物と本物そっくりな偽物、これからどうなって行くんだろう。

2024/01/04

辛い新春を迎えて

今年は波乱含みと予想していたが、元日と二日と連続して大きなニュースが飛び込んできた。
元日の夕方に起きた能登半島大地震は、最大震度7で周辺の海岸には1.5mを超える津波が押し寄せ、多くの家屋の倒壊と多数の死傷者が出す大惨事となった。
私は20歳の頃に同じ年の友人3人と能登半島を訪れた。3泊4日で在来線と路線バスを利用して能登半島を1周した。
未だ観光ブームが起きる前で、どこも人影はまばらだった。
旅館では宿泊客が我々だけというのもあったし、ビールを注文したら宿の女将が買い物かごを下げて酒屋に買いに行っていた。
行く先々で親切にされた。
路線バスでは運転手の人が路線を外れ、景勝地の近くで15分ほどバスを止めてくれた。他の乗客から何も文句が出なかった。
交番では警官が大きな地図を広げて名所と行き方を説明してくれた。
お陰で楽しい思い出が詰まった旅行となり、その後数えきれないほど旅行をしたが、今でも一番楽しかったのは能登半島の旅だったと思っている。
それだけに、今回の地震災害には心を痛めている。
私自身は何もできないが、犠牲がこれ以上拡がらぬことを祈っている。
2日の羽田空港での日航機と海保機の衝突による事故にも驚いた。
炎上した日航機から乗客乗員全員が脱出できたのは奇跡としか言いようがない。乗員の的確な誘導と、上極の冷静な行動によるものだろう。
しかし海保の乗員5名が犠牲となってしまった。能登半島地震への救援物資を運ぶ予定だった。
個人の幸せなんてのは、大きな災害や事故によって一瞬に失われてしまうものなのだ。
そんな気の滅入るような新春を迎えた。

« 2023年12月 | トップページ | 2024年2月 »