あの頃の一風変わった落語家の思い出
以前、小学生時代に寄席で出会った落語家の思い出を書いたが、今回はちょっと変わった人について触れてみたい。
上方の落語家で東京の協会に席を置き寄席に出ていた人がいた。
代表的なのが桂小文治(2代目)で、芸協の副会長として弟子も多い。ただこの人の関西弁は聞き取りづらく、内容は分からなかったせいか面白くなかった。今聴いてもやはりつまらない。
ただ、1席終わってから踊ることがあったが、これは上手かった。
小文治を聴いて、やっぱり落語は東京だよなと思っていたら、その考えを改めたのが三遊亭百生(2代目)の高座だ。
コテコテの関西弁だったにもかかわらず内容が聴き取れ、噺も面白かった。そして何より愛嬌があった。
桂小南(2代目)はソフトな関西弁で聞きやすく、明快な語り口で人気があった。
桂右女助(後に6代目三升家小勝を襲名)は、新作の『水道のゴム屋』で売っていた。
古今亭今輔(5代目)は、お婆さん落語で人気を博した。「お爺さんは黙ってらっしゃい!」なんてやっていた。
口の悪いのは鈴々舎馬風(4代目)で、高座に上がって開口一番が「よく来たな」だった。刑務所に慰問に行って、「満場の悪漢諸君!」と挨拶したという有名なエピソードが残されている。
桂枝太郎(2代目)は、漫談風の高座だった。
三遊亭小金馬(後の4代目三遊亭金馬)は腹話術だった。
三遊亭圓馬(4代目)は押し出しは良かったが、噺はあまり面白くなかった。
文楽や志ん生といった人たちは、ホール落語やラジオ番組出演が主で、普段の寄席には出なくなっていた。
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