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2024/02/04

本を書くより芸を磨け

1月早々に行われたある落語会が顔付けが良く、会場が自宅から比較的近かったのと、年末ごろには体調も安定していたので久々にチケットを取った。
処が正月明けに不調になってしまい、娘に代わりに行って貰うことになった。
出演者は前座を除いて4人で、トリが喬太郎、仲入りがさん喬、前方が一之輔、食いつきは立川流の中堅どころのそこそこ知名度のある人だった。
娘の感想は、協会の3人は面白かったが、立川流の人は下手で面白くなかったとのことだった。
ロビーではその人の書いた著作の販売が行われていて、タイトルから察すると落語論の様だったという。
娘は、「本を書くよりまず自分の芸を磨けと」と思ったそうだ。
あの流派の人は家元の影響からか理屈っぽいのがいて、なかにはマクラで落語論とか芸談風な持論を披瀝するのもいて、辟易としたことがある。
落語家の書いた落語論や芸談に関する本も何冊か読んでことがあるが、感心したり納得したりできたのは桂米朝や三遊亭圓生の著作で、他はあまり参考にならなかった。
芸の裏づけが薄い人のものは概して説得力がない。
やはり芸人は、本業を磨くことが何より大事だろう。

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寄席・落語」カテゴリの記事

コメント

立川流の落語家が本を書くのは、談志の教えだとか。
ただ、ご説のとおり、裏付けとして話芸の力がないと虚しいんでしょうね。
>米朝
書誌学者・谷沢永一は、近世の稀少本を注文すると、
店主に「もう米朝師匠にお買い上げいただきました」
と断られることが少なからずあった、と慨嘆していました。

福さん
娘は立川流の人は初めてだったので楽しみにしていたようですが。相手が悪かったかな。

時折このブログを拝読しております。確かに芸を磨けというのは、わかる気がします。顔付けから都内のあの会だったとわかりました。実はその日の昼に家から比較的近いところで喬太郎の独演会に行っており、喬太郎がマクラで「今日は寄席を休演して、このあと都内で毎年出ている会に行く。ただ、自分の代演がその夜の落語会に出る一之輔だった。これを知ってなんとも・・・。」と言っていたのを思い出した次第です。季節柄ご自愛くださいませ。

ぱたぱたさん
喬太郎の膝がだいぶ悪いようで、最近は釈台を前に座っているようです。未だ若いので早めに措置した方が良いのでしょうが。

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