落語『百年目』、残された疑問
落語『百年目』は上方落語の大ネタとされ、演者には相当な力量が求められる。
東京でも6代目三遊亭圓生らの口演があるが、このネタだけは上方、特に桂米朝の名演が飛びぬけている。
難しいのは大旦那の「腹」で、特に最後の場面で番頭を説諭する際の風格が出せるかがポイントだ。
ストーリーは、大店の一番番頭は堅物で知られ、今日も今日とて部下の奉公人たちに一通り小言を言ってから得意先を回るといって外出する。
ところが、番頭は特別誂えの高価な着物に着替えて、芸者、幇間を連れて屋形舟を借り切り豪勢な花見に出かける。
扇子で顔を隠していたが、酔って「鬼さんこちら」をやっている最中に、偶然花見に来ていた店の大旦那と鉢合わせ。信用は丸つぶれ。
悪くすればお暇(解雇)、30年間奉公してきた努力がいっぺんに水泡に帰すとしょげかえった番頭。
翌朝、大旦那に呼び出されビクビクしていると、大旦那は一晩かかって帳簿を調べたが一切穴が開いてない。
つまり、番頭は自らの甲斐性で稼いだ金を使ったということになる。
これからは番頭だけが楽しむのでなく、奉公人たちにも露を下すように、上司と部下は持ちつ待たれたでゆくよう諭す。
「それはそうと、あのとき何で『長らくご無沙汰してます。』て、長い事会うてないような言い方したが、どないしたのじゃ」「顔見られて、『しもた、これが、百年目』と思いました。」でサゲ。
一件落着と言いたい処だが、さてこの番頭はどんな甲斐性で金を稼いだのか、という疑問が残るのだ。
番頭が芸者幇間含めを10数人を連れて、屋形舟一艘を貸し切り花見に繰り出すとなると相当な金額になる。
とてもじゃないが、奉公人である番頭のポケットマネーで賄える金額ではない。
番頭が何らかの商売、それも店に内緒で商売し利益を得ていたに違いない。
恐らくは勤務時間中に商売をしたのだろうから、本来は店の売上や利益に繰り入れるべきものだろう。
であれば、番頭の行動は商家のコンプライアンスに著しく違反したことになる。
もし商家の経営者が、奉公人にこうした個人的な取引を許していたなら、経営は成り立たず、店は潰れる。
大旦那としては、今回の件は大目に見ることにしても、番頭に二度と繰り返さぬようクギを刺すか、あるいはいっそ暖簾分けをして本家の経営から切り離すか、いずれかの選択が必要だったではと思う。
露を下すという大旦那の懐の深さには感心するが、経営者としてはどうなんだろうか。
« 柳家さん喬が落語協会会長に | トップページ | 『百年目』の補足、番頭の金遣いについて »
「寄席・落語」カテゴリの記事
- 「落語みすゞ亭」の開催(2024.08.23)
- 柳亭こみち「女性落語家増加作戦」(2024.08.18)
- 『百年目』の補足、番頭の金遣いについて(2024.08.05)
- 落語『百年目』、残された疑問(2024.08.04)
- 柳家さん喬が落語協会会長に(2024.08.02)
桂米二 上方落語十八番でございます。日経出版 第一席 に百年目が取り上げられています。そこで米二師匠は、番頭は店として商いをするのではなく、番頭個人が自分の給金の中から元手を作り、別に商売をしたのでしょう。と記しておられます。 茶葉屋の番頭が 出入り先の娘さんが嫁入りする際、出入りの茶道具屋を紹介し、嫁入り道具を安く揃え、出入り先と茶道具屋から礼金をもらった、とゆう話がありました。大店の番頭ともなると、そうゆう役得とゆうか、商売もできたのでしょう。そのあたりは、番頭の甲斐性、でいいのではないでしょうか。
投稿: 熊吉 | 2024/08/04 21:17
熊吉さん
桂米二、確か京都の落語家でしたか。確かに大店の番頭ともなれば余禄もあったでしょう。しかし百年目の番頭の金の使い方は、その範疇を大きく超えていたと思われます。
投稿: home-9 | 2024/08/04 21:33
過日、NHKの演芸番組で、文枝と正蔵との対談がありました。
文枝が「百年目」について否定的な評価を口にすると、「何でですか?旦那と番頭のやりとりがいいじゃないですか!」と苦笑いしながら反論していました。(正蔵、よくこの噺を高座にかけるとか)
例の文枝が鈴本でトリをとる前宣伝の意味があったようです。
師匠の東京での生活はウチ(根岸)でみます、なんて勇んでおりました。
投稿: 福 | 2024/08/05 06:23
福さん
少なくとも文枝は『百年目』を高座にかける気はないでしょう。演者としては難しいネタですね。
投稿: home-9 | 2024/08/05 11:22